八ノ四、理由
前回見せたのと同じ、術の類の跳躍だった。
二人の体はふわりと屋根瓦の上にたどり着いたが、イシュマイルは今度も目眩を感じ片膝をついた。
タナトスは、イシュマイルが慣れるのを待って肩を掴んだままでいる。
「ここから見れば、一目瞭然だろう?」
目を開くと、前回見たのと同じ、屋根瓦と煙突が並ぶ景色が見える。だが今回はその景色は煙と人々の悲鳴に満ちていた。
「これは……」
イシュマイルはようやく立ち上がった。
「目が醒めたかい?」
タナトスはなおも真顔で皮肉を言った。
確かにここかならば、視線を一巡させただけでも複数箇所で騒動が起こっている様が把握できた。
「タナトス」
イシュマイルは何か言おうと考えたが、タナトスはそれを無視した。
「簡単なことだよ。あてずっぽうってやつさ」
タナトスは視線を彼方にやったまま、淡々と答える。
「君の名前は、街の噂で聞いてた。君の身なりからそうじゃないかと思ったんだ」
「……噂?」
「言ったろ? レミオールことは調べてるって……。本当を言うとね」
「ドヴァン砦でも君の姿を見てたからね。」
「――!」
イシュマイルは驚き、タナトスの整った横顔を見た。
しかしタナトスは静かに話すだけだ。
「あの時……君は確かにノルド・ブロスの軍勢に囚われたはずなのに、あっさりと解放された。君だけじゃない、全員がだ。今の今まで解放に応じなかったライオネルが、あっさりと」
「何かあるな、と思ったんで調べたんだ。そしたらバーツの線から君に行き着いた」
タナトスは不意にイシュマイルに振り返って、短く言った。
「君、利用されてないかな?」
「何故ノア族の君がファーナムの騎士団なんかと一緒に居るんだい? バーツ・テイグラートたちは信用できる連中かい?」
「……」
イシュマイルは言葉に詰まり、返答しなかった。
代わりにタナトスに問い返す。
「く……じゃあ、ドヴァン砦にいたっていうのは本当?」
「本当だよ。あの時の戦いは、ほとんど全部見た」
「なぜ!」
「興味本位」
「……は?」
「実を言うと、レアム・レアドを見てみたかったんだよ。この十五年ほど行方不明だったというじゃないか。今を逃せばヤツの戦いっぷりを見るチャンスなんて、そうはないと思ってさ」
「そ、そんな理由?」
「僕には十分な理由」
イシュマイルは呆れ声を上げたが、タナトスは笑ってみせるだけだ。
「ドヴァン砦がどうなろうと、騎士団とガーディアンが戦おうと、それは知ったことじゃない。どうでもいいよ。……でも」
タナトスは視線を街並に戻す。
「月魔は別だ。ガーディアンしか月魔と戦えないなら、それだけで僕が出てくる意味はあるだろう?」
タナトスはさきほど指差したのと同じ方向、南を指して言う。
「見なよ。かなり近いところに気配がある」
「行こう。 」
不意にイシュマイルの腕をつかみ、屋根の上を走り出した。
「……」
イシュマイルは引き摺られるように走り出しながら、タナトスを伺い見る。
そして、タナトスが焦っていることに気付いた。
「タナトス……!」
イシュマイルの言葉をタナトスが遮った。
「君は……知らないことが多すぎる」
「それでは駄目だ。君の目的は一つだろうけど、その方法は山のようにあるんだよ」
タナトスは、不意に前方の一棟を指差した。
「そっちだ、飛ぶよ!」
言うが早いかタナトスはまた術を使い、通りを跨ぐようにしてイシュマイルもろとも屋根へと飛んだ。
イシュマイルは堪らず目を閉じ、浮遊感に耐えた。
着地までの一瞬は数秒に感じ、その間はタナトスに預けるしかなかった。
両足が無事に屋根瓦に着いた時、緊張のためか息が上がってしまっていた。イシュマイルは、自分がすっかりタナトスに頼り切っていたことに気付く。
「……酷いな」
イシュマイルは息を整え、冷静になろうとする。
タナトスが行動し何事かを話す時、イシュマイルはいつも置き去りにされた気分になる。それは毎回イシュマイルの心に楔を打ち込む。
タナトスの言動は予測が付かないが、それがイシュマイルの好奇心を誘うのも確かだ。今も、先ほどまで抱いていた疑惑や警戒をいくらか忘れてしまっている。
「この真下辺りだろう」
タナトスは屋根瓦の縁まで進んで、下を覗き見た。
眼下の通りには、たしかに月魔がいる。
しかし。
「これは……月、魔?」
タナトスが、その驚きを声音に出す。
イシュマイルが横に来て同じように下を見ると、視界には家屋を破壊して暴れている月魔がいる。
しかし、その姿は通常見る月魔ではない。その身体はなにやら結晶質のものに覆われ、暴れるというよりももがき苦しんでいるように見える。
それはヘイスティングたちが相手にした月魔と同じ、異形のものだ。森のレンジャーたるイシュマイルにも遭遇したことのない形状の月魔だ。
辺りにはすでに異様なモヤが漂い、この距離からでも危険だとわかった。
「……なんだろう?」
タナトスが首をかしげている。
単に不思議がっているのではなく、分析し推測している。
「このモヤ……僕の見立てが正しければ、タイレス族には毒だ」
タナトスは、異形の月魔を指差した。
「見てごらんよ、あの結晶。龍の鱗みたいだ」
「……うん」
「僕はあの結晶をノルド・ブロスで見たよ。あの鱗のような連なり……あれはジェムの鉱山で見られる魔石の原石」
「ジェム?」
イシュマイルは鸚鵡返しに問うしかない。
「ギミックに使われる魔石、ジェムだよ」




