八ノ三、対峙
イシュマイルは、人々が取り囲む広場の真ん中でタナトスを前にしていた。驚きと警戒が先に立ち、怒りはあとから少しずつ沸いてきた。
タナトスはというと、剥き身の剣を片手にイシュマイルを相手に悠然としている。
「参るねぇ、こう情報が入り混じると」
タナトスはいつぞやと同じように軽い口調で笑って見せる。
イシュマイルは答えなかった。手にしていた月魔石を隠すように、両手を後ろに回してタナトスを睨む。
タナトスは不思議そうに瞬いて、問う。
「……どうしたんだよ? また振り出しに戻ったみたいな顔をして」
相変わらずの口調と、大袈裟な手振りはかえって最初の頃の違和感を思い出させる。タナトスの持つ剣の鈍い光にまで恐怖を感じた。
イシュマイルが固まったままでいるのを見て、タナトスもさすがに諦めの息をつき持っていた剣を鞘に戻した。タナトスの視線が自分から外れると、ようやくイシュマイルは声を出すことが出来た。
射竦められる、とはこういうことか。
「……タナトス」
タナトスは一瞥投げた冷たい視線でイシュマイルを見る。
「何」とだけ答える様は、くだけて見えるが近寄りがたくもある。
イシュマイルの脳裏に、不意に迷いが生じた。
この事件の黒幕はタナトスに違いないとつい先ほど結論を出したはずなのに、今はもうそのことに自信が持てなくなっている。
あるいは、いざタナトス本人を目の前にして真意を問いただす勇気が失せてしまったかのようだ。どう考えても、タナトスという人間から悪意を感じることが出来ない。
「イシュマイル」
タナトスが年上ぶってか腰に手を当てたポーズで言う。
「君さ。ここでただ待ってても、この騒ぎは収まらないよ? 僕はもう行くけど、君はここにいるのかい?」
「え? 行くって?」
イシュマイルは釣られる様に尋ねた。
「次の月魔を退治しに、さ」
タナトスは答えて、さらに南側を指差した。
「もう一体、向こうにいるらしい気配だ。これ以上被害が出ないうちに仕留めないとね」
イシュマイルは混乱した。
「何故タナトスが……月魔を退治するんだ」
言葉の洪水の中からようやくそれだけ発したが、言われたタナトスは大袈裟に声を上げた。
「なぜ、だって?」
「参ったね……そこまでガーディアン失格だと思われていたとは」
作り笑いで冗談めかした口調で言うが、タナトスは相当面食らった様子だ。そしてイシュマイルをそのままに、先へ行こうと歩き出す。
イシュマイルは、タナトスの肘を掴んで止めた。
「待て! どこに行く!」
「……言ったろう?南に月魔がいるらしいって」
「何で判るんだ。行ってどうするつもりだ!」
「……」
イシュマイルは、このままタナトスを見失うわけにいかなかった。
タナトスの方は、イシュマイルの言葉にもはや呆れたような顔をするだけだ。
「タナトス」
イシュマイルは低い声でやっと問うた。
「あの時、僕と初めて会った時。何故僕の名前を知っていた?」
「はぁ?」
タナトスはとぼけるように首を傾げたが、それはイシュマイルの口調を荒くしただけだ。
「あの時の、あの男たち。あれは君の仲間なんじゃないのか? 奴らを僕にけしかけたのは、君じゃないのか!」
「……」
「僕は――ドヴァン砦で月魔石の奇妙な使い方を見た。あれがノルド・ブロス帝国のやり方なら、今の月魔も――君の仕業じゃあないのか!」
タナトスは返事の代わりに目を細め、見透かすようにイシュマイルを見る。
「なぜ……そんなことを考える? 僕はそんなに怪しい? 僕はそんなに危険そうに見えるのかい?」
「見えるよ」
イシュマイルは簡潔に答えた。
「正直に言って、今もタナトスが怖いよ」
「イシュマイル……」
タナトスは、ただ目を伏せた。
狼狽して見えたのは一瞬のことで、あとは言葉を選ぶように視線を下げている。
その眼差しは、何故かレムのことを思い出させた。
「……わかったよ。信じないなら、見るがいいよ」
タナトスは掴まれた肘を払うと、イシュマイルの肩を掴み返した。
そして突然に、尋常でない跳躍を見せてイシュマイルごと屋根へと跳んだ。