七ノ十、錯綜
旧市街のドロワ聖殿。
シオンは、イシュマイルとアーカンスに会うために席を外していたのだが、騒ぎが報告されるや否や前触れなく聖殿内に現れた。
驚く者もいたが、それよりも今は市街地の有様である。
外ではすでに拡散された恐慌に、人々が騒然となっている。
対応をひとまず他の祭祀官に任せ、シオンは裏方で事態の報告を聞いた。
「何? 月魔が邸宅地に現れた?」
それはシオンにとって未知の情報だった。
アイスからの情報により、旧市街に月魔が現れたことは知っていた。しかし今は新市街に月魔が現れ、白騎士団の一中隊がその対処に当たっている、という。
「例のアイスの遭遇したという月魔にしては、移動が速過ぎる……まさか、別物か?」
ともかくも、シオンは歩きながら報告を聞く。
「それで、現状は?」
「月魔に関してはまだ報告はありませんが、それよりも民衆の間で恐慌が広がりつつあります。このままでは避難民諸共、暴徒と化すやも」
「シオン様、聖殿が収容できる避難者の上限を超えています。特にドヴァン砦から解放された人々の行き所がありません」
「む……」
シオンは考えを巡らせてか、すぐに言葉を発しなかった。
「……シオン様、ここは民の混乱を鎮めることが先決かと。現状では我々が互いに連絡を取り合うことも、移動することもままなりません」
シオンは独り言のように苦々しく言う。
「無様な話しだ……。これほどの数の人間がいるというのに、その殆どが他人の助けを待つしかいないとは……。」
「よし。ならば、このドロワ聖殿を司令塔としよう。聖殿騎士団――白騎士団、黒騎士団に繋ぎを取ってくれ」
「は、大至急に」
「ファーナム第三騎士団は旧市街にいる。ジグラッド・コルネス殿にもこちらに来て頂こう。それから、アイス・ペルサンも」
通常は事務方を担う司書が、今は伝書鳩となるしかない。一人が立ち去ると、傍らにいたもう一人が口を開いた。
「ドロワ城には私が参りましょう。それから、アリステラ騎士団が内門前に揃い踏みしている様子です」
「アリステラ?」
シオンにとっては、あまり馴染みのない連中、という印象だった。
「奴ら、まだドロワに居たのか」
「は。報告によればドロワ城を守っているとのことですが」
「……街道警備が本来の任務であろうに。まぁ、ファーナムの連中が城を守るよりはマシだがな」
肩をすくめるシオンに、事務官は提案した。
「街道といえば、シオン様。一度外門を開いて民を放出するというのは、如何でしょう」
「民衆を、外へ?」
「一時的に、です。狭い市街路で市民らを誘導するよりは、纏めやすいかと」
シオンは一応、その考えも脳内での計算に入れた。
別の事務官らが横から口を挟む。
「それでは今度は街道にも人手が必要になりましょう。ただでさえアリステラ騎士団の手を借りていたというのに」
「簡単な二択ですよ。範囲を広げて手薄になるか、狭い場所で身動き取れなくなるか……。現状、すでに飽和状態です」
「しかし今ですら、すでに混乱を極めているのですし」
彼らの論争は、飛び込んできた知らせによって中断させられた。
「シオン様! 大変です、外門近くに、また月魔が現れました!」
それは、三体目の月魔発見の知らせだった。
イシュマイルはいまだ施療院の一室にいて、次第に慌しくなる外の様子に、落ち着きを保てなくなっていた。施療院の中に、明らかに治療目的でない人の数が増えている。
これは避難してきた人々に空いた個室を宛がっていたからで、イシュマイルは彼らの会話から、外の様子が伺えるようになっていた。
「月魔が現れた」
口々に人々はそう話していた。
(街中に月魔……?)
人々の話しに聞き耳を立てながら、イシュマイルはあることに気付いた。
その内容に統一性がなく、それぞれが別々の場所と思われ月魔の情報もまちまちだった。
(違う、パニックで出鱈目を言ってるんじゃない。みんなの言ってることは本当だ)
なぜかその部分だけは確信が持てた。
ならば。
現れた月魔が複数だと考えた方が納得がいく。イシュマイルがざっと整頓しただけで、五、六体は居ると思って間違いない。
しかもその全てが人型だという。
(これは、自然発生した月魔じゃない……)
イシュマイルならずとも達する結論であったが、何者かの悪意を感じ取ったイシュマイルの脳裏を、思い当たる何人かの姿がよぎる。
月魔といえば、月魔石との関わりが深い。
そして月魔石ときいて真っ先に思いつく人物は、ライオネル・アルヘイトだ。
(もしこれがライオネルの策だとしたら?)
突然に人質を解放して、大量にドロワに人を流し込んで、そのパニックも計算のうちだとしたら?
(その為に、月魔を物のように使ったのだとしたら……)
解放した人質の中に、仕組まれた月魔がいたとしたら?
(この突然の騒動も納得がいく)
ドヴァン砦でイシュマイルが感じたことは、死の象徴ともいえる月魔石を魔力の源として再生させた行為へのおぞましさだ。
イシュマイルが今感じている不快感も同じ種類のものだろう。その脳裏にはライオネルよりも、レアム・レアドの姿が浮かぶ。
理解を超えた強い力を得ることは、自然が発した警告を無視する行為だと、イシュマイルは教えられてきた。月魔と月魔石には未知の部分が余りにも多く、ノア族はそれらを禁忌の領域と戒めて、畏怖と敬意をもって葬ってきた。
イシュマイルに『未知なるもの』や理解を超えた力への畏れと敬いを教えたのは、他ならぬレアム・レアドだ。
そのレアムが、自らをしてその力でドロワとファーナムの騎士団を壊滅させた事実も、イシュマイルに言いようのないわだかまりをもたらした。
そして、もう一人。
ノルド・ブロス帝国の民で、龍人族、そしてガーディアン。
この共通要素を全て持つ人物が、ドロワのタナトス――その人だ。
タナトスが初めから、ライオネルやレアムらと繋がりがあり、ドロワに潜入してこの騒ぎを起こしたと考えるなら、何も不自然はない。
最初から何もかもが怪しかったのだから。
そこまで考えが及んだ時、イシュマイルは外へと飛び出していた。
一方。
バーツ・テイグラートは、アイスと合流すべく単身旧市街に向かったが、その進みははかどらなかった。
人波を逆行することに加え、顔の知られているバーツはあちこちで避難者からの助けを請われて、足を止めなければならなかった。部下の数人でも連れていれば、彼らに後を任せて自分は先に進めたものを、ここは自らの判断ミスを自戒するしかない。
そんなバーツに、次なる月魔の報せがもたらされた。
「あぁ、バーツさん! 向こうに、魔物がっ!」
その時バーツは人々を誘導していたが、悲鳴を上げながら転がるように逃げてきた市民の様子はただ事ではなかった。
知らされた内容はバーツの予想とは反対側の通りでのことだ。
「なんだって? どこだ、どんなヤツだ!」
叫び返したバーツの位置から、人の流れが乱れるのが見えた。
ある者はそこから逃げて来たらしく、ある者はその方向に駆けつける。やや距離の離れたところから悲鳴が上がるのが聞こえる。
バーツはその場を他人に任せ、跳ね飛ぶように駆け出した。
バーツにはドロワでの土地勘がある。
人々の反応や騒音から、こちらから見えない通りの向こうでの状態をおおよそに把握できた。
通りと通りを結ぶ狭い路地には、混乱した市民らが密集していたがバーツはそれらを避け、路上の障害物を足掛かりに、壁の突起や窓枠を蹴って市民らの頭上を越え、文字通り飛ぶようにして表通りへと現れた。