七ノ八、月魔
突如、旧市街から起こった人々のパニックに、白騎士団が取った処置は、新市街側の守備だった。
彼らは月魔の存在をまだ知らず、ただ下町から溢れてくる市民や避難民の対応にのみ着手した。つまり同じ市民を敵同然に扱ったと言っていい。
旧市街側の住人の怒りが爆発したのも当然だろう。
月魔への恐怖心に駆られていた彼らは集団で恐慌状態になっていた。
ドロワ黒騎士団の団長、アストール・セルピコが怪我をおして出てきた時には、すでに一部の住民が暴徒化していた。黒騎士団は事態を収拾する為に住民を慰撫して周り、結果、住民の動きを制するにはあまりに少数ずつに散らばってしまった。
――アリステラ騎士団。
「これは……いかなることが?」
初老の騎士が、狼狽しつつも呆れた声音で呟く。
メインストリートを臨むドロワ城の内門前に、ドロワ城から出動したアリステラ騎士団の姿があった。
ドロワの象徴とも言うべきこの場所にも、旧市街から溢れてきた興奮状態の人々が詰め掛けてきていた。いつもならこの内門から外門まで一直線にメインストリートが見通せるのだが、今日はそれすらままならない。
市民なのか避難民なのか判別つかないほど、人々は浮き足立ち殺気立ってすらいる。
このままでは、ドロワ城内にまで雪崩れ込むやも知れない。しかし、ドロワ市の騎士団は第一、第二ともに散開しており、内門周辺の警備は全くもって手薄だった。
「……遅かったか」
ロナウズは痛恨に低く呟く。
「団長、いかが致しましょう」
ロナウズの傍らにいた補佐官は、すでに対応策を考えていたようだ。ロナウズもそれに阿吽の呼吸で頷き、指示を通した。
「展開」
ロナウズの声で、アリステラ騎士団は瞬時に隊列を変え、横並び数列になった。
月魔を退治る為に武装してきた彼らだが、市民相手にそれを振るうわけにはいかない。
アリステラ騎士団は、ドロワ内城に複数ある城門全てに張り付いた。そして各自がその手を後ろ手に組み、その場に立つ。
人壁となって人の流れを変えるとともに、内城への万一の攻撃を監視した。市民への威圧感は免れなかったが、一番考えられるシナリオに対しての措置だけに、耐えるしかなかった。
「私はここを離れるが、いけるか?」
ロナウズは傍らの補佐官に問う。ロナウズから何かを尋ねる場合、多くは無茶な注文をされるということを彼らは承知している。
補佐官は小声でロナウズに問い返す。
「――は。しかし、貴方はどちらに……?」
「心配ない、手錬を数人連れる。この混乱の元凶をおさえに行く」
補佐官は驚きに目を見開く。
「お一人で?」
「この混乱だ。部隊を引き連れていては間に合わない」
「……目標は?」
「月魔だ」
補佐官は口を噤み、頷いた。討伐対象が月魔となれば、たしかにロナウズはこの場の適任者だ。
同じ頃。
ファーナム第三騎士団は旧市街の商業地区で足を止めたままだった。暴徒の略奪を防ぐために、店舗の立ち並ぶ通りを中心に行動していた。
そこへ私服姿のままのアーカンスが帰還した。
人波の中を竜馬を駆って来るわけにも行かず、アーカンスは自らの足で走って軍団に合流した。
「やっと戻ったか。……首尾は?」
出迎えたのはバーツである。
シオンの予想とは違い、バーツはまだ第三騎士団の駐屯地に居た。
「例の件は概ね……しかし、迂闊でした」
アーカンスは首元を締めるカラーを外しつつ、バーツに言う。
「まさかこれほど市民が逃げ惑っているとは……イシュマイル君を施療院に置いてきてしまったのは、失敗だったかも知れません」
「……そうなのか?」
「えぇ、ご迷惑でもシオン殿と行かせるべきだったのか、と」
アーカンスはなおも悔やむように言い、バーツはともかくとアーカンスの肩を叩いた。
「今更仕方ねぇ。とりあえずジグラッドのトコに戻るぜ」
「あ、それから……シオン殿が、我らに市民の誘導を頼む、と」
アーカンスはジグラッドに報告を済ませ、そこで間に合わせに軍服の上着だけを羽織って部隊に戻った。ふだん生真面目なアーカンスにしては冴えない格好となってしまったが、着替えに戻る時でもない。そのまま遊撃隊の指揮を執った。
一方バーツは、それを確認すると騎士団を離れてガーディアンの任務へと戻った。
まずバーツがすることは、月魔の処置だ。
「俺は、アイスたちの所を見てくる。ここは任せたぜ」
ジグラットにそう告げると、バーツは旧市街の奥へと向かった。
アイスは、まだ最初の月魔の出た旧市街に居た。
扉を睨む位置に椅子を置いて、座ったままだった。扉は開いており、時折市民が逃げ込んでくる。時間と共に市民らの数が増していたが、どの顔も不安と恐れを滲ませている。
「信じられませんわ……真昼間から月魔だなんて」
普段はおっとりした声の見習い祭祀官が、今は悲観に暮れている。本来なら市民を励ます立場の彼女たちも、ここではアイスにそっと小声で不安を訴えた。
「大丈夫よ。ここにいる限り安全だから。月魔の退治はあの連中に任せましょう」
アイスは特に名を挙げるでなく、漠然と言う。
「今大切なのは現状の把握よ」
アイスはまるでいつもの通りに落ち着いていたが、見習い達はそうではない。
「でも……どういうことでしょう? 月魔は夜現れると聞いていたのに」
怯えて問う少女らに、アイスは尚も扉を見つめたまま答える。
「いいえ、夜になると活発になる、というだけよ……。実際に魔物が生まれる時は、昼も夜も関係ないの」
「生まれる、とは?」
少女らは、アイスの傍らに膝を付くようにして尋ねた。
「では……先ほどのあれは、新たに生まれた月魔なのです?」
「そういう、ことね」
アイスは否定しない。
「月の冥王・アユールの名を冠する、アユラ・モンスター(月魔)……彼らは一度肉体的に死に、力のみの存在となって現世を徘徊する者たち……」
アイスの知る限り、人の形をした月魔が近年ドロワの周辺に現れたとは聞いていない。あの哀れな犠牲者は最近何かの事情で死に至り、その後肉体は土に還れずに彷徨い、月魔と化したのだろう。
ただ、気になるのは。
(月魔にとっても、生命素の濃い森や洞窟から出るのは、デメリットのはずだわ。生きている人間に反応してドロワまでやってきたとしても……それが、こんな拓けた街にいきなり現れるなんて、どう考えても不自然……)
(これは、人為的な事件と考えた方がいいのではないかしら……? だとしても、月魔を都合よく呼び出す技など、聞いた事もないけれど……)
その頃、新市街にいたドロワ第一騎士団・白騎士団の前にも、新たな月魔が出現していた。