七ノ六、見えざるもの
ドロワ市の城郭内、旧ドロワ城。
狭義においてドロワ城といえばここを指す。城主の住居のほか、評議会の議場や役所等、ドロワ聖殿以外の主たる政治機関がここに集中している。
アリステラ騎士団とその団長ロナウズ・バスク=カッドは、ドロワ政庁の最奥に控えていた。彼らは、ドロワ評議会の要請を受けて市内に駐屯していたが、その役目を終え、あとは儀礼的な手続きを済ませて帰途につくのみである。
けれどその相手であるドロワの高官が、未だ姿を見せていなかった。
すでに正午を過ぎている。
「様子がおかしいですね」
ロナウズの傍らにいた騎士が、口を開く。
不満を言ったのではなく、彼らは異変を感じて警戒を強めていた。すでに予定の時刻を大幅に過ぎ、にもかかわらずドロワからは何の指示もなかった。
待たされ続けたためか、兵たちにも疲れや焦りが見え始めている。控えの間は、次第に張り詰めた雰囲気になってきていた。
騎士の一人が気持ちを紛らわそうとしてか、室内に視線を巡らせた。
かつてはドロワ領主の居城であり、いたるところに年代物の調度品が置かれた古式ゆかしい風情の館だった。今では政治的な会合などに、主に使用されている。
今はその厳かな雰囲気と相まってか、余計に静まりかえっているように思える。
「どう感じる?」
それまで無言だったロナウズが不意に口を開いた。周りにいる補佐、隊長、副長級の騎士に問う。
彼らは一人ずつ口を開いた。
「鍵は扉も窓もそのまま…監禁されたわけではありませんね」
「包囲されている気配もありませんな」
物騒な意見のあとに、別の若い騎士が答える。
「むしろ、館の内外から急に人が消えました。まるで慌てて他所に駆けつけたような……」
ロナウズが問い返す。
「何事が起きたのか、それは把握できたか?」
「いえ、まだそれは……」
「今、調べさせております」
別の隊の騎士が、横から答える。
「ふむ」
ロナウズは軽く頷いたが、報告を待つより先に周囲に命じた。
「みな、この館から出よ。市街地に戻るぞ」
「それは……」
補佐役の騎士はたじろいだが、ロナウズは構わずに続ける。
「無礼は百も承知。だが、今は安全な場所に閉じこもっている場合ではない」
ロナウズは立ち上がると、周囲の面子を見回した。居並ぶ騎士たちは、自然と体を緊張させロナウズの言葉を待つ。
だが下された命令は、予想の範囲を超えていた。
「全騎武装。ただし竜筒は使うな。市街戦を想定して、各小隊ごとに固まれ」
「――!」
一同はこの発言に度肝を抜かれたが、しかし真っ向から反論する者はこの場にはいなかった。代わりに彼らは即座にロナウズに問うた。
「それは…ドロワ市、あるいはファーナムの騎士団を相手に?」
「違う」
ロナウズは短く答える。
「先ほど突然に気配が乱れた。異常事態だ」
ロナウズという団長は、時折部下の予測を超えた突飛な指示を出す。しかし一見でたらめにもに見えるそれは、後には必ず的確であると、部下たちは経験で知っていた。
「任務の範疇を越えることになるが、致し方ない」
ロナウズは片手を払うようにして、一同を促す。
「詳細は内門前にて伝える。今は急げ」
「はっ」
彼らは一礼すると、まずは命令通りに行動を開始した。
ロナウズの傍らに、見習い上がりの騎士が一人、残っている。
「どうした?」
ロナウズは怒る風でなく、声をかけた。
騎士はそれに答えて、問いを返す。
「……団長殿には、何がお見えになるのですか?」
若い騎士はひどく緊張した顔色と声音で、ロナウズに問うた。
このような行動はこの騎士には初めてのことだったが、尋ねずにはおれなかった。ロナウズの出した強攻な指示と、その判断の源になる情報はどこから来るのか、それが騎士にはわからない。
「経験、ですか? それとも……」
ロナウズは薄い苦笑を浮かべて答える。
「私には、わかるのだよ」
そして付け加える。
「君が聖殿騎士としてこの先進むのなら、似たような場面に何度も出くわすことになるだろう。だが口で説明出来る事柄は少ない……君にも経験で覚えて貰うしかない」
「問題は何が見えるのか、なぜ知ることができるか、ではなく」
「は、はい」
「それに惑わずに結果を出せるか否か、ということだ」
言われた騎士は呆然と、ロナウズを見返す。
「その部分では、確かに経験がものをいう。そういった意味では疑問を持ち、自ら行動するのは悪くない」
「はい……」
返ってきた言葉は尋ねたかった事を解決してはくれなかったが、代わりに別のわだかまりを消化するものだった。
「いま結果を出すために必要なものは、時間だ。すぐに内門まで戻らねば、ドロワ市民の安全を守れない」
答え終わるとロナウズは表情を厳しくし、上官の声音で扉を指し示した。
「では、行きたまえ。そして、ここを出たら今の迷いは一時忘れるのだ」
「はっ」
若い騎士は、一礼すると足早にその場から退出した。
ロナウズはその姿を無言で見送ったが、その表情は厳しさを増した。
(聞こえる……)
自らも足早に歩きながら、襲い掛かってくるような情報の波に、ロナウズは眉根を寄せる。ガーディアン、そして適合者に見られる超知覚、それらがドロワの街での異変を感じ取っていた。
制御の効かない不安定な能力は、しばしば精神的な負担になった。
他人から理解されないその力は、現場での判断を支える貴重な材料をもたらすと同時に、客観的な視点を得られない孤独な情報でもある。
自分の感覚だけを頼りに下す命令に、部下の命や信頼、その場の流れが委ねられてしまう重圧。常に思考と視界を濁らせることなく正常であろうと努める胸の奥底で、その心根を揺さぶり続ける一塊の感情。
日頃、傍目には自信家であると評されるロナウズをして、その自信を揺るがしにくる疑惑の念は、彼を臆病にして取って食らおうとする魔のようだ。
ロナウズは、これを使命だとか懲罰だとかいう言葉にすり替えて、自分を納得させていた。この自虐的な考え方の根には、かつてその臆病に苛まれた自分の経験と、なにより兄ハロルドの一件が深く関わっている。
ファーナムのかつての英雄は、一転してバスク=カッド家の汚点となった。
周囲の者はロナウズにも不審と不安の眼差しを向け、ことあるごとにその件を引き合いに出して一族ごと罵倒し、何かと二人を見比べた。
少しマシな者でも、ハロルドの罪はロナウズが負うべきと考え『もう少しわきまえ、謙虚であるべきた』と思っていた。
ロナウズの奇妙な言動と独善的ととれる態度が、それにさらに拍車をかけた。ロナウズが現在の立場にあるのは、栄転に篭られた悪意のためでもある。
もちろん、好意的に受け取る者もいる。
彼らは古風なストイックさを好ましいと感じ、その中に影を見出して他者にはない魅力を感じていた。が、おそらくそれはガーディアンに接した多くの人が抱く違和感でもあったろう。
――理解を超えた能力への畏れ。
それもまた人の関心を引くことはたしかだ。
こういった問題は、実は殆どのガーディアンが一度は通っている道でもある。アイス・ペルサンやレアム・レアドの例を出すまでもなく、一度は人の輪から浮いた存在となり、時に孤立した。
イシュマイルがノア族の村にいたころには、まだそこまでの顕著さはなかった。もともと村の中で異質な存在であったことから、イシュマイル自身が早くから距離を置いて隠してきたからだ。
けれどタイレス族の中にあって、大きく変化した環境からの刺激、体験、成長。次々起こり得る事件に、急激に能力が引き延ばされるとしたら……。シオンならずとも警戒したに違いない。
そのことに最初から気付いていたのは、他ならぬレアム・レアドだったろう。レアムにとって、イシュという子供の存在は自分を映す鏡のようでもある。