七ノ五、リーブラ
用件は一応の結論に達し会話も止まってしまったが、アーカンスは未だ席を立たずにいた。イシュマイルは隣室で、飲み残しのジュースを持て余してソファに凭れている。
シオンは、珍しく彼らに付き合ってその場に残っていた。
「アーカンス」
不意に、シオンが名を呼んだ。アーカンスが驚いて視線を戻すと、シオンがこちらを凝視していた。
「な、なんでしょう?」
対処に窮し、アーカンスはただ問い返すしかない。
「君は……適合者としてはさっぱりだな」
シオンは相手の動揺を知ってか知らずか、さらりと口にした。
「君の一族にも、適合者はいまい」
「……その通りです」
アーカンスは面食らいながらも、雑談に話を流した。
「私の一族で聖殿に関わる者は私一人……。随分と世界が違います」
「ほぅ。確か身内はファーナムの政治家と聞いたが」
シオンが興味を惹かれたように問い、アーカンスも身内話で答える。
「それはたぶん評議員を務めている従伯父のことでしょう。ファーナム市はドロワ市と違って伝統的な貴族が存在しませんから、評議会も多くは富裕層の商工人です。わが一族も商家の家系ならば、ファーナムで生き残るためには自然とそうなるかと」
「商家?」
「えぇ。元々私の一族は、古くは隊商としてサドル・ムレス国と交易し、後にファーナムに落ち着いたと聞いています」
つまり、ルトワ一族の遠いルーツはウエス・トール王国でもある。
今でこそファーナムの豪商として名を連ねているが、かつては外様の扱いを受けて冷遇され、それをしたたかに生き抜いてきた誇りがルトワ一族にはある。
アーカンスが、頭の固さと柔軟さを複雑に併せ持っているのは、バーツに出会う以前からそういった素地があったからだろう。
バーツにしろジグラッドにしろ、一般市民から実績だけで叩き上げてきた聖殿騎士は強い個性がある。始めは衝突しても、アーカンスには彼らと理解し合える下地があったのだろう。
「なるほど。道理で貴族然としたドロワの騎士とは雰囲気が違うと思ったよ」
何かと辛口を口にするシオンもまた、かなり癖のある個性かも知れない。
「つまり、我々全員がウエス・トールをルーツとするわけだ」
シオンは、ガーディアンらしからぬ感傷を口にした。
実はシオンもウエス・トールの生まれである。またバーツの出自はオヴェス・ノアであり、これは元々ウエス・トール領である。イシュマイルの出生の謎もウエス・トールにある。
「もっとも、ウエス・トール王国はタイレス族の発祥の地――故郷だ。全ての謎もそこに集約されるということかな」
シオンは神話を引き合いに出して話をしているが、その感覚は同胞と言葉を交わすような懐かしさを感じている。アーカンスとは性質も似ているらしく、バーツ相手の時のような段違いな会話のズレも無い。
一方のアーカンスは、高名なガーディアンの個人的な話を聞き、思わぬ接点を見出してか親近感を覚えた。
アーカンスは、ふと沸いた疑問を返してみた。
「ガーディアン適正とは、一目でそこまでわかるものなのですか?」
「うん?」
「会ってもいない私の一族の適正まで」
シオンは首を傾げる仕草をして考えたが、例えでもって説明した。
「ガーディアンの力は、血脈の中に眠っているからだよ」
「血脈、とは?」
「『鍵』を伝えるものだ。血は循環するもの、そして肉体の制限を越えて直接伝えられるものだ」
「先祖の持っていた能力が、その子孫にも現れる。ガーディアンやその適合者が、同じ一族から連続して輩出されるのは偶然ではない」
「な、なるほど……」
アーカンスは理解できないままに、曖昧に相槌を打つ。
「……そして先祖とは、つまりノア族、タイレス族共通の祖先まで遡るのだよ」
シオンは途方もなく遠い祖先の話しを持ち出した。
「この大陸に辿り着いた頃の祖先――プレ・ノア族には、今のガーディアンに近い能力があったと、石舟伝承にも語られているだろう?」
「えぇ」
神学校で学んだ者ならば皆それは知っており、アーカンスも頷きで肯定した。
「この大陸に広く住み着くと同時に、その代償としてそれ以前の能力は消えていった……それが適応するということだが」
「その能力が消えることのないものだとしたら?」
「それ、は?」
問いかけの意味を計れず、アーカンスは首をひねる。
シオンは自分で答えを続ける。
「私の過去の経験からいうと、既出血族でない一族からでも、突然そういった能力者が現れることがある……まるで先祖がえりのように」
「前触れもなく、ですか?」
「きっかけは至極簡単なことであったり、生まれながらに、ということもある」
「それは……」
イシュマイルのことか、とアーカンスは言葉の裏で問うた。
けれどシオンはそれには答えず、別のことで切り返す。
「環境に適応して能力の一部を失うのが『適応』ならば……その失ったはずの能力を取り戻したガーディアンは?」
「それは……力を得た存在――」
「逆だ」
「で、では『適応』を手放した存在だと?」
「論じるならそちらだな」
シオンは言葉遊びのように問いかけ、言葉を繋いたアーカンスに頷いてみせた。
「それがガーディアンの本質だと、私は考える」
アーカンスには、まだ理解できなかった。
ガーディアンというのは能力の高さから選ばれた戦士や神官で、特権を許された存在だと刷り込まれていたからだ。ガーディアンとなって得るものはあるとしても、失うものなどあるものか? と。
「し、しかし、貴方は今ここで現にこうしておられる。バーツにしても、それ以前となんら変わらない。『適応』とやらを失ったようにはお見受けしません」
「それはエルシオンの御加護ゆえだ。」
「君が想像しているより遥かに深く、エルシオンの眼差しは注がれている。あまねく命に」
シオンは続けた。
「アーカンス。君は我々ガーディアンと深く関わる機会を得た……君の後の代には、ルトワの一族からガーディアンが出るかもしれない」
「……え?」
アーカンスには、やはりシオンの言わんとしていることが予測できず、シオンも別の話へと切り替えた。
「まぁ、それはそれ……。君は適合者ではないが、持っている器はなかなかだよ。そこは自信を持っていい」
「……はぁ」
シオンは、ふっと抜けるような笑みを溢した。
「私の悪い癖だ。これは、という人材を見るとつい、鍛えてみたくなる」
シオンはいつもの外面の良い笑みを向けて微笑んだ。
「君がファーナムの騎士でなければな。……残念だよ」
アーカンスも冗談を返す。
「それは。間一髪で助かりました」
どちらからともなく、笑いでこの場を濁した。
「バーツのこと、よく見ておくといい。」
シオンはこの場にいないバーツを顎で示すように言い、アーカンスは笑いをおさめてシオンを見た。
「アレは『もっとも高い年齢でガーディアンになった例』だが、いずれ『もっとも長い試験期間を要したガーディアン』になるぞ」
「それは……」
アーカンスの表情が硬くなった。この任務が長くなる、ということと同義であったからだ。
シオンは別の言葉を続けた。
「ガーディアンとタイレス族……これを結ぶ架け橋となる人材が、今、極端に少ない。遅かれ早かれ、大きな問題となるだろうな」
「架け橋、ですか」
「君のような人材のことだよ」
「……」
「バーツにしても、私にしても、レアム・レアドにしても……」
「ガーディアンを『人』として接する人間がいなければ、物言わぬ剣と同じだ」
シオンの声音に、鋭さが戻る。
「バーツを、使い捨ての刃にはするな」
「……それが、私からの頼みだ」
「はい」
アーカンスは神妙に頷いた。
普段あれほど『ガーディアンと騎士団は関わるな』といっていたはずのシオンが、今は目の前で正反対とも取れる言葉を言っている。
どちらが本音であるかは、火を見るより明らかだろう。
アーカンスは思う。
(シオン殿も冷淡に振舞うのは外面だけで、内面の情は深い。ガーディアンは決して異質な存在ではないのだ)
だとしたら。
レアム・レアドもまた同じと考えて良いのではないか? と。
『レアム・レアドをドヴァン砦から取り除き、聖レミオール市国を奪取する』
この任務を遂行するのにまず必要なことは、一番の標的であるレアム・レアドを理解することだ。そうアーカンスは結論付いた。
イシュマイルとバーツ。彼らは、例えるならその為の両極端な秤になるだろう。