七ノ四、厳格
「イシュマイルを、ドロワ市民に?」
アーカンスとシオンの交渉は、まだ続いていた。
ドロワ聖殿の一角、施療院として使用されていた部屋の一つである。
シオン、アーカンス、そしてイシュマイルの三人は未だここにいた。
アーカンスより話を持ち出されたシオンは、意外そうに問い返し、そしてそっとカーテンの向こうのイシュマイルを伺った。
多分、イシュマイルは隣の部屋で聞き耳を立てているだろう。アーカンスも、イシュマイルを気遣いつつ、言葉を選んで話しを続けた。
「バーツ・テイグラートから大雑把な説明は受けましたが、例の『ウエス・トール王国から預かった子供』というのがイシュマイル君なら……」
「貴方にイシュマイル君の身元を保証して頂き、のち身柄を我々にお貸しいただけるよう、取り計らっていただきたいのです」
「貸す?」
シオンは不思議そうに首をかしげた。
「今我々遊撃隊はサドル・ノア村から、道案内のレンジャーとしてイシュマイル君の身柄を借りています」
「ですが、このままではイシュマイル君はサドル・ムレス都市連合の領内を自由に行き来できません。そこでドロワ市に彼を準市民として承認して頂きたいのです」
「なるほど」
納得がいった、という風にシオンは数度頷いた。
「つまり私が遊撃隊に代わってドロワの評議会や聖殿、さらには城主に頭を下げるわけだな? ファーナムのために」
「そ、その点は……恐縮です」
アーカンスは軽く咳払いして、話を繋げた。
「――と、ここまでは、バーツ・テイグラートからの指示です。しかし、私は少し考えが違います」
「ほう、どのような?」
アーカンスは、シオンに向き直る。
「レアム・レアドに代わって、貴方がイシュマイル君の身元を引き受けるのが、一番自然ではないかと……思います」
「……」
シオンはしばし押し黙った。
「イシュマイル君に今必要なのは、タイレス族としての証……そして、本来の居場所ではないでしょうか。彼がこの先どう行動するにしても」
アーカンスは続けた。
「イシュマイル君をファーナムに連れて行くことには、私は反対です。かといってノア族の村に返すことにも戸惑いがあります」
イシュマイルは無言のまま、二人のやり取りを聞いていた。
「いびつな面もあるでしょうが……身分社会であるタイレス族の中で生きるには、必要なことです。このままでは彼は家族だけでなく、三種族社会においても孤児となってしまう……それだけは見過ごせません」
「はっきりいわせていただくと、貴方の後ろ盾は大きい。だからこそ」
無言のままでいるシオンに対し、アーカンスは話し続けた。
「貴方の傍に置き、貴方に後見人になって頂けると……この先のさまざまな選択において彼は、彼の意思で進むことができると、私はそう思います」
バーツとは意見を異にするものの、その行く末を案じる気持ちには変わりはない。それはシオンならずとも十分に伝わった。
しかし、シオンは答えなかった。
しばらく頬杖をつく姿勢で何事か考えていたが、人差し指を示すように立てると、おもむろに口を開いた。
「一つ……問題がある」
シオンにしては、弱い口調で切り出した。
「もっとも大事なことは、イシュマイルの意思。そしてレアム・レアドの考えだ」
「……え?」
イシュマイルの意思はわかるとして、レアム・レアドの名が挙がったことにアーカンスは疑問を感じた。口にはしなかったが、今のレアム・レアドはイシュマイルの行動も意思も制限する立場にはない、と思われた。
「私のみたところ」
シオンが言う。
「イシュマイルは、ガーディアンの適合者として高い能力を持っている」
アーカンス、そしてカーテンの向こうのイシュマイルがその言葉に息を飲んだ。
シオンは独り言のように続けた。
「……これはレアム・レアドとの関わりが生んだ結果で、イシュマイルはレアムの弟子だとみなすことができる」
「ガーディアンの暗黙の了解として、他人の弟子に、私が横槍を入れることはできんのだよ」
「で、ですがっ!」
アーカンスがたまらず、遮る。
「そのレアム・レアドがあの状態だからこそ。もう一人の関係者である貴方にお願いしているのです」
「……」
「で、では、ドロワ聖殿――いえ、ウエス・トールではっ?」
「……バーツの案が、妥当だろう」
シオンは冷淡に答えを出した。
シオンは姿勢を戻し、アーカンスを真正面に捉えて言う。
「フィリア・ラパンを担ぎ出すのは不可能だ。何故なら十五年前の子供がイシュマイルであると、証明する手立てが何もない」
それを確認し証人となれる者はレアム・レアドただ一人で、今はそれを得ることは出来ない。
「現状わかっているのは、タイレス族の子供が何かの事情でノア族の村で育てられた、その一点だけだ」
「……はい」
「ならば私に出来ることは、イシュマイルの事情を汲みサドル・ノア族として認めながらも、ドロワ市内で保護する許可を、ドロワ市とドロワ聖殿から得る……それだけだ」
「……」
「私が個人としてイシュマイルを引き取ること、弟子として取ること、どちらも現状では適切ではない」
「なにより、イシュマイルを完全にタイレス族として引き受けるということは、ノア族との関係をも断ち切ってしまいかねんということだ。それは本意ではあるまい?」
「……たしかに」
シオンはアーカンスに諭すように言う。
「この一件、始末を焦ってはいけない。イシュマイルのような、ガーディアン適合者なら、なおのこと」
「そ、それは?」
シオンの声が鋭くなる。
「ガーディアンとして、一言言わせて貰う」
「ガーディアン、そしてその適合者は、もれなく社会にとって諸刃の剣だということを。……だから、我々は恨まれてでも、そういった人材を探し出し、引き離す」
例えれば危険な武器を持つ者が、その使い方を知らぬまま雑踏の中に混じるようなものだろう。そしてシオンはそういった能力者の末路を幾つも見てきた。
「適合者のその後の扱いに関しては、今我々がこの場で議論していることとは次元が違う。エルシオンの管轄だ」
それは目の前のアーカンスだけでなく、隣室のイシュマイルにも聞かせる言葉だ。
「ガーディアンの掟に従うなら――」
「イシュマイルの潜在能力は高く、その生殺与奪の権はレアム・レアドが握っている」
「……!」
シオンは淡々と言葉を繋ぐ。
「ドロワにいる間は、私もイシュマイルのフォローに当たろう。しかし私にはそれ以上の手出しは出来ない。一切な……」
「厳しい言い方だが、今のイシュマイルはタイレス族の社会とは相容れないのだ」
それはガーディアン特有の、無感情ともとれる思考回路から出てくる言葉だった。
アーカンスは弱腰に口を挟む。
「……ガーディアンに適合するということは、それほど異質なことなのですか?」
その問いは、イシュマイルばかりでなく、身近なバーツのことをも思い起こして、口から漏れた疑問だ。
シオンは、ただ黙って頷いた。
アーカンスは、シオンの威圧的な理論に対し、反論する術を持たなかった。一人の人の感情として、理解の範疇を超えていたともいえる。
(ガーディアンというものは……それほど厳しい存在なのか?)
アーカンスは頭の中で考えを巡らせたが、納得する答えは沸いてこなかった。釈然としないまま、深い息をつく。アーカンスにとって、その理屈は暴力的なものに感じられた。
しかし、その話を隣室で漏れ聞いていた当のイシュマイルは、アーカンスほどの衝撃は受けていなかった。
『そういうものだ』と、ずっと以前から我が身に言い聞かせてきたし、時折湧き上る寂しいと思う感情をも押し殺す術を身に付けてきた。同時に、そんな自分を親身に思いやってくれる人がいるということも、知っていた。
イシュマイルのこうした年齢に似合わぬタフさというのも、ガーディアン適合者としての片鱗かもしれない。それはガーディアンが『人』との関わりを持つ上で長所になり短所にもなった。
幸いにして、イシュマイルの場合は良い面として作用してはいたが。