七ノ三、異変
その頃。
ジグラット・コルネス率いるファーナム第三騎士団は、旧市街を拠点としていた。
この辺りは古い空き家の目立つ区域で、かつては聖殿関係の蔵書庫や学び舎などが立ち並んでいた所だ。今はその廃墟を利用し、仮の駐屯地としている。
屋外の空き地にテーブルや椅子などを運んで、簡易に指令所を設えている。
第三騎士団は解放された人々のための仮設宿営地の建設や、それに代わる旧市街地の家屋の修復といったものに借り出されていた。
ドロワ市の地理に詳しいバーツ・テイグラートもジグラットの傍にいた。
イシュマイルとアーカンスをドロワ聖殿に送り届けたあと、ここに来ている。
「なぁ、お前らって――」
バーツが市街地の地図を確認しながら、ジグラットに言う。
「ドロワの連中にいいように使われてねぇ?」
「うむ?」
ジグラットはとぼけるような返事をし、バーツは苦笑いして言う。
「だいぶドロワ評議会にも金積んだんだろう? その上でさらに自主労働かよ? またファーナムのお偉方に下手に出過ぎだとか言われるぜ?」
ファーナム騎士団の騎士、兵士らは先日の敗戦のあと未だ治療を受けている者もいたが、多くは回復しファーナムへの帰還を待つのみとなってる。ジグラットはそんな兵たちの中から、人数を集め旧市街地で活動していた。
またドロワ市に対して、滞在の期間の謝辞として莫大な金子を納めてもいた。
ジグラットは鼻を鳴らして笑う。
「ふん、どうせ儂の金ではないわ」
「どのみち、金が回るのは『上』の連中に、だろう? しかし実際に儂らが世話になるのは別だ」
ジグラットは周りを伺うように、小声になって言う。
「……それに、だ。謙虚にするのも小技のうちよ。良い印象を与えておけば、それなりの親切も受けられるというもの」
「たしかに、な」
ジグラットの現金な言葉に、バーツも肩で笑う。
ファーナム市民とドロワ市民の相性は良くないとはいえ、実際に人として触れ合う機会があれば、多少解れるのが人情である。わずかな間のつきあいではあるが、気のいい下町の店主などはこっそりと酒や雑貨などを工面してくれたりもしていた。
そういった好意への返礼の意味もある。
「ファーナムに戻れば、儂を含め相当数の指揮官が処分を受けよう? じゃから、その前に羽目を外してやるのよ」
この場合の羽目を外すというのは、身内であるファーナムへの意趣返しの意味合いが強い。常々ファーナム評議会から冷遇されている第三騎士団の団長ならではの発言でもある。
「そんな風だから、出世しねぇんだよ。お前」
バーツは軽口を返したが、いつになく楽しそうではある。
「それで」
バーツは話題を変える。
「街中で働くのはいいとして、そのことでドロワの騎士団あたりと揉めたりしてねぇのかい?」
「白騎士団か?」
ジグラットも声音を変えて、真面目に答える。
「今のところそのような事件はないぞ。奴らの任務に差し障りないよう、注意は払っておる」
「なら、いいんだけどな」
バーツは軽く返したが、ジグラットはその件には気懸かりもあるようだ。
「たしかに、ドロワの治安が悪くなっているのも事実。白騎士団が警邏にあたっているとは言え、間に合っているとは思えんがな」
「ほぅ、そんな有様かい?」
聖殿に篭りがちだったバーツは、意外そうに問う。
ジグラットは深く頷いて答えた。
「直接手出しできんのは歯痒いがな。漏れ伝わってきよるわ」
ジグラットは思案顔で言う。
「解放された人々の行く宛があるわけでなく、街の規模から言ってもすでに飽和状態……。いずれ大事にならんともいえん」
「下町だけでも儂らが請け負うべきか……あるいは、これ以上の騒ぎになる前に見捨ててファーナムに戻るべきか。なんともいえんわのう」
「……」
バーツにも解決策などは浮かばなかった。
こういった事態で起こりがちなのは、緊張を強いられた人々によるパニックなどの事態で、白騎士団はそれらを収拾する能力に欠けていた。
「街一つ混乱に陥れるなんてのは……存外簡単なのかもな。こんな場合」
バーツは無意識に、可能性の一つを口にした。
誰かが仕込んでおいたとすればもっと以前、人質を大量に解放した時から始まっていたとも言える。あとは、針の一刺しで効力を発揮する。
事件を起こした物は、まさに針のような小さなものだった。