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アモルファス  作者: 霧音
第一部 ドロワ
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七ノ二、繋がり

 アーカンスとイシュマイルは、回廊近くの小部屋に通された。

 施療院の個室として使用されており、以前バーツが治療を受けていた時に泊まっていた部屋に似ている。


「で? 私に用事というのは?」

 扉を閉め、他人の聞き耳がないのを確認してからシオンが問う。

「あ……。それは、ですね」

 アーカンスは返答に詰まった。

 本題のイシュマイルの体調はすっかり回復している。


 シオンは呆れたように溜息をついてみせる。

「……バーツといい、お前といい。すぐに片付く用事でいちいち私を呼び出すな」

「と、とりあえず、イシュマイル君を休ませましょう」

 アーカンスはイシュマイルを長椅子に押しやると、シオンと二人窓際の隣室へと移動した。


「実は、イシュマイル君の身柄のことなんですが――」

 シオンは水屋のグラスを手に、アーカンスを振り向く。

 そして言葉を制するように指を立てた。


 シオンは、ガラス質のコップに果物のジュースを注ぐと、イシュマイルの傍に戻った。

 高地であるドロワで栽培されている蔓状の植物の実を絞った物で、施療院ではしばしば栄養飲料として出されている飲み物だ。


 シオンはコップをイシュマイルに手渡すと、いつもの優しい外面で話しかけた。

「タナトスというのか? そのガーディアン」

「えぇ、多分」

 イシュマイルは差し出された飲み物を一口飲み、その濃厚な甘酸っぱさに目を丸くした。


「だが、タナトスという名のガーディアンはいない。偽名ではないか?」

「……わかるんですか?」

 イシュマイルが不思議そうに問い返す。

「全てのガーディアンは、エルシオンに名を連ねている。現在そして過去においても、タナトスという名のガーディアンは居ない。だが――」


「適合者に、その名を持つ者がいるのは見知っている」

 イシュマイル、そしてアーカンスがシオンを見た。

「しかし……もし彼なら」

 シオンは姿勢を戻すと、先ほどの気配を思い起こす。

「私が把握できないはずがない…。この街のどこに居ようとも、私にはわかるはずだ」

「……じゃあ、あれは……?」

 シオンは、ぼんやりと答えるイシュマイルの手に指を置き、コップをしっかり握らせると静かに立ち上がった。


「断言は出来ないが、君がガーディアンだと感じたなら正しいのだろう。ただ、私やバーツにとっても未知のガーディアンだということだ」

「そんなことが……」

 シオンはイシュマイルを見下ろしつつ、言う。

「ガーディアンは個人主義なのだよ。誰がどんな思惑で、どこに移動したかなど……直接出会うまでわからない」


 ドヴァン砦解放のあと、大量の兵士や市民、巡礼者などがドロワに流入した。

 その中には祭祀官や見習いなど、高い能力を有する者も少なくない。彼らの気配は、ガーディアンとよく似ている。

 そしてその一人一人を把握するのは、不可能だった。


 シオンは話を切り変えた。

「さて、私はアーカンスと話しがあるが……長くなりそうだ。眠って待っていても良いし、本を読むなり、庭に出るなり、好きにするといい」

「……」

 イシュマイルは無言でシオンを見上げた。


 二人が何の話をするのか、先ほどちらりと耳に入った。

 シオンの言い方からすると聞きたくないなら外にいればよく、聞きたいなら聞き耳を立てていてもいい、という風に受け取れる。

「うん」

 イシュマイルは、ただ頷いた。

 そしてコップの中のジュースを飲もうとする。

 味が濃い上に慣れない香りで、しばしこれと格闘することになりそうだ。


 シオンは、イシュマイルをその場に残し、隣室に戻った。

 室内は二つの部屋が繋がった構造になっていて、間には仕切りの布がある程度だ。


 勝手のわからないアーカンスは、先にテーブルについた。

 古い造りの窓は一枚板ではなく、透明なガラス質の小板が並んだ枠に嵌め込まれている。幾何学的な模様の施された窓からは無色の陽が射し込む。


 アーカンスにも、二人の会話は聞こえていた。

「タナトス、というと……」

 アーカンスは独り言のように呟く。

「私などは、タナトス・アルヘイトを思い起こします」


 シオンは、アーカンスをちらりと見た。だが素知らぬ顔をして、グラスに別の瓶から液体を注ぎアーカンスの前に置いた。

 アーカンスは軽く会釈を返したが、手に取った途端中身がアルコールであることに気付いて驚いた。


 先ほどイシュマイルに飲ませたジュースと素材は同じだが、違った製法で作られた飲み物だ。通常の物よりアルコール度がかなり高くなるよう処理されていて、主に決まった行事の夜などに食事と共に嗜む為の物である。


 ドロワは果実酒の産地ではあるが、それだけに飲み方のルールは事細かく決められていた。それに従えば、これは祭祀官や聖殿騎士が昼間から気軽に飲むものではない。

 さすがバーツの師匠だけのことはある、とアーカンスは肝を据えた。


「私も、タナトスといえばその名前しか知らん」

 シオンは遅れて返事をしながら、斜め前に座った。

「タナトス、カーマイン、そしてライオネル。三人ともよく知っている……アウローラのこともな」

 敵国ノルド・ブロスの三皇子、そして現皇帝の名をシオンはさらりと口にした。


 アーカンスもこれには緊張を隠せない。

「それは……どのような?」

「そうだな…。以前には師弟の関係。そして友人。今では既知の他人」

「……」

「誤解を回避するために説明するならば、かの『レヒトの大災厄』の折に、現地に赴き手助けをした。それだけだ」


「レヒトの……」

 アーカンスは鸚鵡返しに言葉を繋いだが、その天災があったのはかれこれ百年も前のことだ。大規模な地殻変動によって、ノルド・ブロスの広い範囲が壊滅状態となった。


 その後の復興に中心となって働いたのが現アウローラ帝であり、その活動は彼に従う龍人族の一団を作り上げた。それはそのまま今の帝国の礎となって、それ以前の支配者たちの力をも凌駕した。


 別の言い方をすれば、彼らは機を利用して自分たちの都合のいいように組織や国土を作り変えていったともいえる。古い慣習を尊ぶ龍人族の社会において、当時それは革新的な変化をもたらした。


 そしてその一件に、ガーディアン、ウォーラス・シオンは深く関わった。


 今となっては、シオンとアウローラの繋がりを知る者は、サドル・ムレスにはいないだろう。シオン自身その話を他人にすることは、まずない。

 シオンが必要以上に今回のレミオールの事件や、二国間の事柄に感情的になるのも、そういった経緯があるからだろう。


 アーカンスは予想以上の鉱脈に達したことに気付き、身を固くした。


「それで……」

 シオンが言葉を繋ぐ。

「その話と、今日の用向きは別だろう? まずはそちらから聞こう」

「――あっ、はい」

 シオンは話題を変え、アーカンスは即座に切り替えることが出来なかった。


 シオンがようやく、アーカンスに柔和な笑みを向ける。

「興味をそそるだけで終わらせてすまないが……私にも都合がある」


「君が聞きたいと思う話は、確かに私の内にある。君はそれを聖殿騎士として訊きたいか? 個人として聞きたいか?」

「えっ?」

「……騎士としてなら、答えは『否』、個人としてならもう少し君のことを見知ってからだ」

 アーカンスが問うより先に、シオンは答えを呈示した。今はこれ以上話すつもりはない、そうシオンはアーカンスに告げた。


「……わかります」

 アーカンスは、ともかくそう答えた。


 シオンが何故中立の立場を取り続けるのか。その理由の一端をとりあえずも理解し、その後のことも察した。

 もし個人として話を聞いたならば、それを戦略の道具に使うということは、この関係を終息させる行為だ、と。


(深入りすれば、得るものはあっても泥沼に嵌る、ということか)

 アーカンスはひとまずこの件を頭から締め出し、代わりにイシュマイルの件を持ち出した。


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