七ノ一、隠れたるもの
第一部 ドロワ
七、ドロワの街・三
バーツは続ける。
「お前もあんな感じだったぜ。俺を見るのに顎上げてよ」
「違います。貴方の言動に呆れてただけです」
アーカンスはやり返したが、バーツは愉快そうに笑うだけだ。
アーカンスは、大きくため息をついてみせる。そして頭では違うことを考えていた。
ヘイスティングがアーカンスの自己紹介を受けた時、アーカンスの衣服や所作をじっと見ていたことを思い出す。あれは何かを計る時の眼差しだ。
そのあとのヘイスティングの高圧的な声音は、多分に不愉快さを含んでいた。
(ヘイスティング・ガレアン……ガレアン家か)
アーカンスは記憶を辿る。知っている姓ではあるがどのような家柄なのかまでは知らない。
おそらく古い都市であるドロワには、ヘイスティングのような若者も多くいるのだろう。家の肩書き以外に自分を表すものがないという焦燥感を、かつてはアーカンスも持っていた。
(少し迂闊だったな)
アーカンスは思う。
ドロワ聖殿への礼儀を考えてのことだったが、その道中でヘイスティングのような人物と出くわすことまでは想定まではしていなかった。ファーナム騎士がドロワ聖殿を私的に訪問する……あまりいい気分では無かったろう。
アーカンスは、ヘイスティングに悪印象を与えたかも知れないことを覚悟した。
ほどなく、三人はドロワ聖殿に着く。
アーカンスとイシュマイルはウォーラス・シオンとの面会を許された。
許可が下りなかった場合のためにと付いてきていたバーツは、その時点で二人と別れ聖殿を後にした。アーカンスとシオンを会わせるのに、自分がいては不都合なのだ。
バーツは、近くにある第三騎士団の宿営地へと向かった。
「歩けるかい?」
厩舎に竜馬を預けたあと、アーカンスとイシュマイルは聖殿内をシオンの元まで歩いて行かねばならない。
「はい。大丈夫です」
そう答えるイシュマイルは、この頃になるとかなり体調を回復してきていた。
「陽に当たったのが良かったのかな」
アーカンスは苦笑してみせる。
二人は並んで厩舎から聖殿へと続く簡素な庭を歩いている。
イシュマイルの具合が悪いのも心配だが、健康体を連れて行って多忙なシオンに怒鳴られるのも厄介だ。
バーツの命令通りにシオンと繋ぎを持つとしても、相手は高名なガーディアンで、今はドロワ聖殿の責任者代理でもある。作ったコネを生かす方法も思案のしどころだった。
――その時。
「そこの二人、止まれ!」
聞き覚えのある声が、聖殿の庭先に響いた。
アーカンスがぎくりとして視線を向けると、案の定ウォーラス・シオンが視線の先で仁王立ちしていた。
(まずったかな)
アーカンスが内心そう思ってしまうほど、シオンの表情は険しかった。
「……」
シオンは無言で二人に近付き、不意に何かに気付くと足早になりイシュマイルの真正面に来るとその両肩を掴んだ。
シオンは、イシュマイルの目の奥を見るように身を屈ませた。
見開かれたシオンの瞳が何かを追っているのが、傍らにいるアーカンスにも感じられた。
当のイシュマイルはまだぼんやりとしている。
「……誰だ」
シオンの声は低い。
シオンには視えていた。
イシュマイルの周囲に残っていた何者かの気配と、イシュマイルの瞳の奥からちらりとこちらを見た人影を。
「……龍頭、亜人……」
シオンの呟きは、アーカンスには聞こえなかった。
「……逃げたか? いや、行ったようだ」
アーカンスは何が逃げたのか、と尋ねようとして、問い方を変えた。
「おわかりなのですか?」
シオンは姿勢を戻すと、アーカンスに視線を向けた。
「アーカンス・ルトワだな?」
「はい」
いきなり真正面に話しかけられて、アーカンスは躊躇した。
けれど無礼を承知で、ここは挨拶ごと抜きにして本題を口にした。
「仔細はすでにご存知かと。それよりも今日はイシュマイル君のことです」
シオンの関心を引くために、ここはシオンのペースに合わせて会話をするのが良いと感じたからだ。
「昨夜から具合が悪いとのことで、こちらの施療院に――」
そう言いかけて、アーカンスは驚いたようにイシュマイルを見た。
先ほどまで血の気が引いて見えたイシュマイルの顔色が、みるみる明るくなっていく。
つい今まで寝起きの子供のようにぼんやりとしていたが、不意に瞬いてシオンを見上げる。
「……シオンさん?」
今気が付いたかのように、イシュマイルは声を上げた。
そして不思議そうに辺りを見回した。
「ふむ。完全に立ち去ったようだな」
シオンは一人納得したように呟く。
「イシュマイル君」
シオンに呼ばれると、イシュマイルは子供のように視線だけを向ける。
「君は、昨日誰かに会ったか?」
シオンは、イシュマイルには若干優しい口調になって問うた。
「昨日……」
イシュマイルは、昨日の記憶を反芻する作業をまた繰り返した。
そして先ほどまでどうしても出てこなかった名前を思い出した。
「……タナトスだ」
頭の中で、記憶に鍵が掛かっているかのようだ。
「タナトス?」
シオンとアーカンスが、その名を同時に訊き返す。
イシュマイルは片手を頭に、目を閉じて記憶を引き出そうとした。
「うん、そう名乗ってた。……ガーディアンだ。でも、何かが違う」
「えぇと、……月?」
イシュマイルは、記憶の中から強い印象のものから口にする。
「明るい、月……太陽の光を照らして。何かの、建物が――」
「イシュマイル!」
シオンが、イシュマイルの肩を掴み揺さぶった。
シオンがアーカンスを振り仰いで言う。
「この子を休ませよう。話しはそれからだ」
アーカンスには、シオンがイシュマイルの言葉を遮ったように見えた。