六ノ九、行方
ロナウズは宿舎を出立し、ドロワ市の政庁へと向かった。
見送ったバーツは、今帰還してきたばかりのアーカンスに改めて命令する。
「お前が、イシュマイルを聖殿まで連れて行ってくれ」
「イシュマイル君を?」
イシュマイルの体調不良をまだ知らないアーカンスは、聖殿と聞いて少し表情を曇らせた。
アーカンスは単刀直入に訊く。
「……それは、私にシオン殿に会えということですか?」
「そうだ」
バーツは頷く。
「イシュマイルの具合がどうにもおかしいんだけどよ。何かの術かも知れねぇから、師匠かアイスに任せるしかねぇんだよ」
「はぁ」
アーカンスは事情がよく飲み込めないままに、まずは承諾した。
「目的は大きく三つある」
アーカンスを伴い、バーツは元来た廊下を歩きながら言う。
「一つ目はイシュマイルを診せに連れて行くこと」
「二つ目は、イシュマイル経由でお前と師匠との顔を繋いどく。俺を通さずにな」
それが一番困難だが、とアーカンスは内心思ったが口にはしなかった。
「で、三つ目は」
バーツは続ける。
「師匠とドロワ聖殿に、イシュマイルの身元を保証させる。……俺と師匠の名前、あと祭祀官の誰かを捕まえりゃ、なんとかなるだろ」
必要であれば、ウエス・トール国王のフィリア・ラパンを担ぎ出すという手もある。
「それは……」
アーカンスが口を開いた。
「イシュマイル君をドロワの準市民にするということになりますが?」
「いいんじゃねぇの? 元々そうなるはずだったんだ」
アーカンスが真顔になる。
「元々……とは、どういう意味でしょうか」
アーカンスは、イシュマイルの過去の話を殆ど聞いていない。
イシュマイルとウォーラス・シオンの繋がりについても、聞かされていなかった。
「……あ、悪ぃ」
バーツは今更のように思い出して、謝る。
「なんせよォ。一番詳細を知ってるはずのレアム・レアドがああいう状態だろ? ホントのところまではわからねぇんだよ」
わからないという割にバーツは、イシュマイルが例の子供だという仮定のもとで話を進めている。それはノア族の森で初めて会った時から、外れていないと確信するカンだった。
もとより紙の上のことなどどうでもいい、と考えるバーツは細かい部分までは気にしていなかった。今のイシュマイルがタイレス族の街を行き来するために、便利と都合が良ければそれでいい。
「イシュマイル君はなんと言うのでしょうね?」
アーカンスは冷やかに言う。
実のところ、ドヴァン砦に現れたレアム・レアドに対し、シオンは預けた子供の件を私的に尋ねる書簡を送ったことがある。
けれど、その返事はなかった。
両国の関係を考えれば、レアム自身にそれが届いたのかさえ怪しい。
ガーディアン同士の繋がりには、人間の政治的な制約などないはずであるが、そんなものは建前でしかない。
シオンは、成果のない行動を言い訳にしない性格だった。
返答が得られず情報がないのなら、この件は未確定で未解決とするしかない。
バーツは独り言のように呟く。
「ファーナム市民になるよりかは、ずっと確実で安全だとは思うんだよな」
アーカンスは特に反論せず、この命令を受けた。
「相変わらず――」
アーカンスは言う。
「利用できるものは師であっても使いますね」
アーカンスはそう言って苦笑したが、嫌悪でなく小気味よい笑いでもある。
「では、ドロワ市にイシュマイル君を借りるということですか、我々は」
「当面はな」
バーツ自身、ファーナム市民とオヴェス・ノア族という二つの肩書きを持っていたせいもあって、こうした手続きには慣れていた。
ガーディアンに成ったことで、その両方を失効してしまったが、代わりにガーディアンとして国境というものを持たなくなった。
バーツにとっては、そのどれもが下らないことに思える。
ガーディアンと成って、その視野と行動範囲が広がっても、現実的にはあまり変化はない。相変わらず両手両足の届く範囲のことしか出来ず、元があまり器用でないバーツは、一つ一つをこなして行くしかない。
バーツとアーカンスは、イシュマイルの休んでいる部屋まで戻ってきた。
室内に入ると、すでにイシュマイルは起きて衣服を着替えているところだった。
「お前、もう動けるのかよ?」
「……うん」
イシュマイルは何か言ったが、消え入るようでバーツたちの足音に消された。
「具合が悪いって?」
アーカンスが近寄り、手の甲をイシュマイルの額に当てて熱を看る。
アーカンスは言う。
「君をこれからドロワ聖殿に連れて行くけれど、竜馬に一人で乗れるかい?」
「聖殿に?」
バーツが横から答える。
「師匠かアイスに看て貰おうぜ。お前、どうもゆうべからおかしいぜ」
「でも……」
イシュマイルは気乗りしない様子だ。
「ロナウズさん、見送りたいし」
アーカンスは言い聞かせるように、しかし気遣う声音で答える。
「大丈夫。アリステラ騎士団が出立するのは夕刻だよ。今はロナウズ殿も政庁に出向いてるところだし、そのあとは送迎の式典もある」
「え?」
「アリステラ騎士団は、俺らと違って正式に依頼されてドロワに来てるからな。帰るにしても、色々とやることがあるんだよ」
バーツは続ける。
「まぁ、市民にとっては祭りみたいなもんだしな。お前も具合が良くなったら見に行けるぜ」
「……うん」
イシュマイルはようやく頷いた。
アーカンスは一度身支度のために部屋に戻り、バーツも念のため二人に付いていくことになった。