一ノ五、サドル・ノア
一行は森を掻き分けて奥へと進んでいく。
最初のうちはイシュマイルたちレンジャーでなければ見落としてしまいそうな獣道だったが、進むにつれて次第に拓けてきて竜馬も楽に通れる道幅となってきた。
ふと、バーツたちの耳に風のように響く音が聞こえてくる。
「風?」
「水じゃねぇの?」
バーツたちの会話に、ギムトロスが振り向いて答えた。
「滝だよ」
「森の奥に滝があるのだよ。それなりに暮らしやすいぞ」
そう答えるギムトロスは、一行が連れていた竜馬を借りて乗っていた。
レンジャーであり、村の唯一の外交役でもあるギムトロスは、すでに遊撃隊に心を許していた。
見慣れない竜馬に乗ってみたかったのも本音だろう。外見的には老齢だが、内面の冒険心は子供のような人物だった。
イシュマイルは一人、徒歩のままで先頭を進んでいる。
ギムトロスはバーツらの横に並び、言葉を続けた。
「二年前だ。魔物に村を荒らされた時、ここに逃げるよう教えてくれたのが、レムだった」
「! それは、レアム・レアドのことですか?」
アーカンスの問いに、ギムトロスは苦笑して首を振った。
「さぁな……ただ、俺たちノア族ですら忘れていた聖域や伝承、色々なことを奴は知っていた」
遠い目をして呟くギムトロスに、バーツは低い声で続けた。
「奴がガーディアンなら、知る術はあるからな」
ギムトロスは言う。
「お前たちが捜している人物は、おそらくレムだろう。だが俺たちも……本音を言えば、レムのことを知りたいのだよ」
「だから、村に通すことにした」
そう語るギムトロスは、先ほどまでの若々しさと違い、肩を落とした老人の面影がある。バーツは、レムという男がこの村で慕われていたらしいことを感じた。
やがて目の前に、拓けた土地が現れた。
「着いたぞ。今知らせてくる」
イシュマイルはそれだけ言うと、どこかへ走り去ってしまった。
その後姿をバーツは無言で見送った。傍らにいるアーカンスには、バーツが何を考えているのか、僅かながらに理解できた。
「イシュマイル……か。気に入りましたか?」
「あぁ?」
バーツは曖昧な笑みで答え、竜馬から下りた。
「まぁ、な。さっきの闘い、武器を変えたのは、ヤケになったからじゃねぇと思うんだ」
アーカンスも竜馬から下り、他の兵士に合図を送る。
「より勝ちに近い方法を考えたんだろうよ」
「なるほどね。……けれど、良いやり方とは言えない。およそ騎士には向きませんよ」
「それ、俺に対する皮肉?」
そこへギムトロスが口を挟んだ。
「さて。兵隊さん方は、しばしここで待っていて下さらんかな」
「村の者は、外の人間や竜馬に慣れておらん。族長の所にお通しできるのはお二人だけだ」
そこは村の広場に続く参道のような道で、荷車や荷物を仮置きしておく場所だった。小ぶりながら井戸もあり、竜馬たちが一列になって休める幅が十分にあった。
村の男たちが数人、壷や樽を井戸の周りへと運んできて、それが済むとさっさとどこかへ消えてしまった。
「竜の水場にはその井戸を使いなされ。この村には気の利いた酒場などはないものでな」
壷の中身には備蓄用かと思われる食料が詰まっていた。
「かたじけない」
アーカンスは頭を下げた。
ギムトロスを先頭に、バーツとアーカンスは村の奥へと案内された。
参道のような入り口から進むと突然拓けた広場が現れ、それを中心に道が伸びて家屋や小屋が立ち並んでいる。
共用スペースらしき広場には、先ほどまで人々がそこで活動していた跡があり、道具や広げたままの布などが点在していた。
どうやら村人は隠れてしまったようだったが、よく見ると、好奇心の強い子供や若者などが、家屋の隙間からこちらを覗いていた。
彼らは一様に興味深そうな黒い瞳をこちらに向けている。
アーカンスは居心地の悪さを感じていた。
彼らの視線が、自分の衣服や金色の髪に向けられているのに気付いたからだ。
(よほどタイレス族が珍しいようだな……)
視線を上げると、バーツが手招きして先に立つよう合図した。
その視線の先には一軒の家屋があり、イシュマイルがその前に立ってこちらを見ていた。何故だか、似た容姿を持つイシュマイルを見てアーカンスは安堵した。
「ギムトロス」
三人が家屋前に着くと、イシュマイルが不満そうに出迎えた。
「ダルデが、僕は中に入るなって言うんだ」
それを聞いてギムトロスは当然だ、とばかりに鼻で笑った。
「頭を冷やせ、ということだ。俺も同意見だ」
「どうしてさ!」
ギムトロスは重い木の扉を開け、バーツとアーカンスに入るよう手で示した。
そしてイシュマイルに言う。
「お前はしばらく小屋に戻っておれ。大事なことは後で俺が話してやる」
「ギムトロス!」
「そうそう、向こうにいる兵隊たちには近付くなよ? トラブルの元だからな?」
なおも食い下がろうとするイシュマイルを置いて、ギムトロスは扉を閉めてしまった。
「……わかったよ」
物言わぬ扉にそう一言いうと、イシュマイルはくるりと背を向け、どこかに走り去った。
バーツとアーカンスには、その様子が窓穴から見えていた。イシュマイルは足が速く、あっという間に木々の間に見えなくなったが、それは他の家々とは違う方向だった。
「お待たせしました」
不意に女性の声がして、振り向くと上品な物腰の老女がそこにいた。
続いて、両脇を男たちに支えられた老人がおぼつかない足取りで入ってきて、幅広い腰掛に下ろされた。
「彼が族長のダルデだ」
ギムトロスは一言紹介すると、急に小声になって囁いた。
「……まだ二年前の傷が癒えていないのだ。あまり長く話さんようにな」
そしてダルデの傍に行き、姿勢を落ち着かせるのを手伝った。
「どうぞ、お掛けになってください」
老女は静かな声でバーツたちを促した。
そこには、大木を掘り抜いて作られた武骨な椅子があり、テーブルにはノア族の染布が架けられている。老女は素焼きのカップに満たされた、植物の茎と花びらを煎じた温かい飲み物を並べてもてなした。
辺りに花の香りが広がる。
室内の家具はまだ使い込まれていない真新しいもので、それはこの村がまだ再建されて間もないことの証でもあったが、都育ちのアーカンスはそれに気付くこともなく、ただ珍しいものとして目に映った。
「……さて、騎士様だそうですな」
男たちが退室し、室内には老人と老女、ギムトロス、バーツ、アーカンスの五人のみになる。老人の声はか細く、ところどころ聞き取りづらかった。
「儂はこの村の族長を任されております……ダルデ・サナンと申す」
そして傍らの老女を振り返り
「こちらは、妻のロロラト。同席を許されよ……」
と消え入るような声で言った。
ロロラトは無言でバーツらに頭を下げる。
ギムトロスは壁に凭れたまま、腕組みの姿勢で両者の間に立っていたが、何故だかロロラトの紹介の時に、他所に視線を向けた。
アーカンスが答える。
「ファーナム聖殿第三騎士団、遊撃隊隊長アーカンス・ルトワといいます。隊員二十三名、しばし滞在の許可を願います」
バーツが続けた。
「遊撃隊付きガーディアン、バーツ・テイグラート。俺も入れると二十四人だ」
二人の自己紹介に、ギムトロスは首をかしげたが、ダルデは静かに頷いただけだった。
「……宜しかろう。夜、あの森を抜けるのは、危険じゃ」
バーツが口を開いた。
「魔物にやられたそうだな? 二年前のか?」
ダルデは小さく「あぁ、あぁ」と頷くだけだ。
バーツは立ち上がるとダルデに近付いた。
「その話を聞きに来たんだ。……ちょっと失礼」
「何をなさいます?」
ロロラトが驚きの声を上げたが、バーツは構わず掌をダルデの身体にかざした。
「慌てるな、傷を治すだけだ」
再びバーツの掌からまばゆい光が放たれた。
それは先ほどの稲光のようなものとは違い、室内を明るく照らし出す光だった。
バーツは何かを探るように、ダルデの身体に沿って掌の光をかざした。そして腹部のある一点で止まり、バーツが念を篭めるとさらに明るく輝いた。
「……隊長」
アーカンスはその場に座ったまま、ただこの光景を見ているしかない。
その明るい光は窓穴から外へこぼれるほどだったが、やがて小さくなり、バーツの掌に収まるように消えた。光が消えると、室内は先ほどより暗く、冷たく感じられる。
「ふぅ……。どうだ? 様子は?」
膝立ちになっていたバーツが、ダルデの顔を見上げつつ問う。
「おぉ……? 痛みが、消えた……」
心なしかダルデは顔色も良くなっている。
「まだ無理はすんなよ。完治したわけじゃねぇし、年月からくる衰えまでは回復できねぇからな」
バーツは立ち上がったが治癒術を使用した倦怠感を感じて、傍らの椅子に腰を下ろした。平静を装い、まだ温かい素焼きのカップに口をつける。
アーカンスはその様子をただ無言で見ている。