六ノ七、ヘイスティング・ガレアン
再びドロワの街。
ドロワの街の評議会は、ここにきて新たな決断をしようとしていた。
評議会の議員というのは多くが街の有力者の家から選出されており、新市街、旧市街ともに人数の上では対等ながら、その殆どを上流階級が占めていた。
公平な選挙などというものではなく、これはドロワに限らず大陸ほぼ全ての村や街でよくあることだ。
身分の格差や生活の分離がかなり存在しており、むしろファーナムの平等主義的な合議制の方が少数派だ。もっともそのファーナムですら、それはタイレス族にのみ通用する約束ではあったが。
「そんな馬鹿な話しがあるものか!」
議場であるドロワ官邸の廊下で、一人の騎士が議員に食って掛っていた。
騎士はドロワ騎士団の白い装束を纏っており、第一騎士団の者だとわかる。
つまりドロワでいうところの、良家の子息ということになる。
その騎士に捕まって、なにかれと言われている議員もその親族だ。議員である年配の男は、その若い騎士を宥めるものの、あまり効果がない。
「ともかく、だ。帰還準備を進めているアリステラ騎士団、そしてファーナム騎士団には、即刻立ち去ってもらう」
騎士は食い下がった。
「それは、当然だ。だが……」
「我がドロワが、ノルド・ブロスに屈するとはどういうことだ!」
「ノルド・ブロスではない。レミオールに帰参するのだ」
「同じだろう!」
二人は先ほどから、ずっと堂々巡りな口論を繰り返している。
騎士の若者は名をヘイスティングといい、ドロワでも古い名門であるガレアン家の息子だった。
ドロワ第一騎士団に所属し、すでに中隊長を務めている。
その家柄もあって、次期の軍団長に、とも目されている若者だった。
「たしかに、セルピコ殿の第二騎士団は敗れた。だが我々はそうはならん! 何故戦いもせぬうちから、ライオネル如きに膝を屈せねばならないのですか!」
ヘイスティングは声高に言い続けたが、所詮は議場の廊下で叫んでいるだけの言葉だった。
『ドロワ市はライオネルの条件を飲み、サドル・ムレスから脱退する』
それが議会の決定だ。
地図の上では、レミオールの領土が広がるだけなのだが、その全てがノルド・ブロスであることは明らかだ。
戦わずして降伏したに等しい決定に、ヘイスティングは歯噛みした。
しかしすでに決定された街の方針を、彼一人がどうにかできるものでもなく、騎士という立場上、たとえ納得が行かなくても遂行せねばならない。
ヘイスティングは、ただ苛立ちを溜めるしかなかった。
ヘイスティングは散々その場で揉めた末に、ようやく諦めて議場をあとにした。
自身の感情はどうあれ、今のドロワ第一騎士団は街中の警邏という、忙しくて気の乗らない役をこなさなければならない。
ヘイスティング・ガレアンは竜馬に騎乗し、自分の中隊の元へと竜馬を駆けさせた。
街の中には市民や解放された人々に混じり、騎士団の姿があった。
(ファーナムの騎士団、か)
ヘイスティングは、その深緑のマントをみてそう判断する。
すぐにでも帰還の命令が出ることをまだ知らない彼らは、支援の物資などを竜馬の背に乗せて運んでいた。
竜馬に付けられたマークから、遊撃隊とわかった。
我知らず、その姿を眼で追う。
ヘイスティングの嫌うファーナムの若者とその騎士団だが、いつになく羨ましさを感じその姿を見送った。
その頃。
遊撃隊の借り受けている寄宿舎では、午前の執務に皆が館内を行き来していた。
バーツが自分用の部屋に戻ると、まだイシュマイルがベッドで突っ伏すように眠っていた。とうに朝食の時間など過ぎているのに、イシュマイルはまだ起きる様子がない。
こんなことは、ドロワに到着した翌朝以来のことだ。
「おい、イシュマイル」
もう一度声をかけた。
イシュマイルは、一応目は覚ましているのか何事か答えたが、まだ起き上がることができないでいる。
バーツは呆れ口調で溜め息をつく。
「……まったく。ガキが夜遊びしてるからだぜ」
昨日、イシュマイルは慌しい一日だった。
ロナウズと共に孤児院跡に行き、アイスの買い物に付き合い、そのあと奇妙な六人組と街中でいさかい、直後にはタナトスというガーディアンと屋根の上を歩いていた。
イシュマイルが寄宿舎に戻ったのは夜中近くだ。
バーツは部屋に戻っていて書類の整理などしていたが、帰って来たイシュマイルに皮肉の一つなど言ったものの、イシュマイルはろくに返事もしないでベッドに倒れこんだ。
そして、そのまま今に至る。
(どうもおかしいな……?)
バーツはイシュマイルの気を探ってみた。
見た目には一般にいう体調不良の状態に見えるが、その生命力の流れに乱れがあるようには見えない。
むしろ、もやのような何かに遮られているように感じられ、バーツにはその状態がよくわからない。
この上はアイスかシオンにでも任せよう、と向き直った時、部屋の扉がノックされた。