六ノ四、カーマイン・アルヘイト
カーマイン・アルヘイトは、居城の一角にある執務室で、ドヴァン砦からの報告を受けていた。報告の内容は成功を意味するものだったが、カーマインはそれを聞いても不満足な表情を崩さなかった。
報告の使者が立ち去っても、なおテーブル肘を付いて思案している。
「ライオネル……砦を守りきったか……」
そう低く呟くカーマインは、この城内にあって軍部の全てを統括する立場でもある。
ノルド・ブロス帝国領の空は暗い。
特に北部の峰峯は、季節に関わらず絶えず上空に嵐があって、その重い雲が炎羅宮レヒトの近くにも垂れ込めて来る。
龍人族の住居が低地にないのは、地表付近に漂う湿気やガスから逃れるためでもある。
逆に竜族にとっては居心地のいい環境であり、竜騎兵を多く抱えるアルヘイト家は、天然の要塞でもあるこの場所に軍事と政治の拠点を置いていた。
カーマインが城内で報告を受けたこの日も、昼間であるのに空は暗く、雷鳴が遠くにあった。
薄暗い室内にあって、カーマインの髪は炎のように赤く揺らめいている。
タイレス族のように短髪を撫で付けて纏めているが、その容姿は龍人族の中でも特異だ。
特に紫色の目は、爬虫類のように瞳孔の筋が縦に開いていて、激昂するとそれが赤く染まり、その姿には同じ龍人族ですら畏怖と憧憬を感じずにいられない。
カーマインの母の出自であるアステア家は、龍人族の中でも古い血筋を残す名家で、カーマインはそれを象徴するような若い英雄と言われている。
とはいえ、普段のカーマインというのは非常に落ち着いた執政者である。
龍人族はタイレス族と違い、日常において感情を荒立てるということが少なく、本来は温厚な種族である。
劣悪ともいえる環境に適応している龍人族は、タイレス族を大きく上回る身体能力や、潜在的な戦闘本能などを持ち合わせていながら、普段はそれを行使することがない。
ただ、タイレス族にとっては、その静けさが不気味ではある。
まさに「火の玉を飲み込んだ竜のよう」という表現が相応しい種族だった。
「これで、サドル・ムレス側からの進入口を全て抑えた……」
カーマインは、弟ライオネルの手際の悪さが不満である。
カーマインからすれば、ドヴァン砦一箇所に集中した守りの構えは、紙一枚の脆さのように心許ない。
レミオール市内にはつづら折りのような城壁が幾重にも重なっているのに、それらを城塞化するわけでもなく、かといってドロワ側の広い森に関を造る様子もない。
まるで何かの餌をサドル・ムレス国の鼻先に置くかのように、危うい力加減でこれを守っている。
単に戦略的な展望が出来ない為にそうなっているのか、それとも別に思惑でもあるのか、カーマインには弟ライオネルが掴みきれない。
「……」
カーマインは、沈痛そうな面持ちでため息をついた。
そのカーマインの背に、背後から声がかけられた。
「少しは弟を信用してやれ。悪くない結果だ」
カーマインの背後のカーテンが、ふさりと音を立てる。
カーマインは振り向くことなく、言葉を続ける。
「しかし、それでも半年かかっている……。レアム・レアドを味方につけていながら……」
背後の人物が、カーマインの方へと歩み寄る。
カーマインは続ける。
「せめて兄上が……父上のお傍から離れられたら……」
「そう言うな。僕は、お前たちの能力を信頼している」
人影が、カーマインの真横に立つ。
そして、その椅子の肘掛に座るようにして、カーマインの肩に手を置いた。
その仕草には艶めかしさがある。
カーマインは無言になり、まだ眉根は寄せたままながら目を伏せた。その絵面というのは、獣が飼い主の手に触れられて大人しくなるのに似ている。
カーマインは、兄タナトス・アルヘイトの前にあっては、一切の反抗をしなかった。
タナトス・アルヘイト、その姿はドロワに現れた今一人のタナトスに生き写したかのようだった。
銀の髪も、鏡のように照り返す瞳も、ドロワのタナトスに瓜二つだが、違うところといえば、タナトス・アルヘイトは城中にあって女性の衣服を身に付けていた。
正確に言えば女性祭祀官の官服、特に高位の祭祀官のみ着用を許されている型で、タナトスは未成熟な体にこの衣を纏い、仕草も女性的に振舞っていた。
クラシックな祭祀官の装束は、今ではどの聖殿でも見かけない。ノルド・ブロス帝国でも特定の人物だけがこれを着用していた。
「……今はまだそこまで必要ではない」
タナトスは、カーマインに言い聞かせるように言う。
「まずはレミオール市国全体を抑え、水路と海路を掌握する。いずれ、大聖殿そのものが人質になってくれるだろう」
「タイレス族の聖域など……」
「それも言うな。我ら龍人族にとっても、必要になる」
カーマインは、またため息をついた。
「……しばらくは、ライオネル任せ、か」
カーマインは、自分の軍団を動かせないことにも不満を感じている。
カーマインは独り言のように続けた。
「あいつは…才能はあるのに、何故それを生かそうとも延ばそうともしないのか」
タナトスは、カーマインの横顔を見る。
窓からの光で逆行になるカーマインの髪は、燃えた炎のような輝きがある。
「けれど、万が一アレが力をつけて頭角を現してきたら……。私にはコントロールできるか、わからない……」
カーマインは、兄タナトスにそう心中を告白した。
「アレは、ある意味でレアム・レアドと同じだ。…扱いに窮する」
「……」
タナトスは答えない。
カーマインはレアム・レアドをそれなりに評価している様子だが、タナトスはそれ対してはあまりいい感情を持たない。