六ノ三、アルヘイト
イシュマイルは、タナトスの言葉にひかれるように口を開いた。
「僕はこの街は初めてなんだ。ずっとノア族の村で育ったし、タイレス族の街自体初めてだ」
タナトスがイシュマイルの顔を見る。
「ノア族……?」
イシュマイルは先に相手の疑問に応えた。
「理由はわからないんだけどね。僕にも」
そしてそれ以上言いたくない、というように黙り込む。
タナトスは物言いたげな瞳でイシュマイルを見ていたが、話題を逸らして話を続けた。
「じゃあ……君がノア族なら、伝承とか遺跡とかにも詳しいのかな?」
「遺跡?」
伝承はある程度わかるが、遺跡についてはイシュマイルは知らない。
「いいこと教えてやるよ」
タナトスは人差し指を立てると、勿体つけた口調で言った。
「あの遺跡に、普通の人間が立ち入ったらたちまち命を落としてしまうんだよ。だから付近の森全部を立ち入り禁止にしてるんだ」
「でもノア族の秘伝を持った司祭か、ガーディアンなら……中に入るのは簡単なこと」
タナトスは悪戯な笑みで続けた。
「あれは……まだ機能しているんだ。面白いと思わないかい?」
タナトスが饒舌になると、イシュマイルは必ずそれに取り残された。
イシュマイルは、それが何の話かもわからないものの、自然と詰問するような口調になる。
「じゃあタナトスは入ったことがあるっていうの?」
「まさか」
タナトスは肩を竦めてみせた。
「近付けもしないよ。レンジャーやらガーディアンがうろうろして隙がなかったから。それに」
「まだ必要じゃない」
不意にタナトスは立ち上がった。
そして初動作もないままひらりと宙を飛んで、向かい側の屋根へと降り立った。
イシュマイルはまだ座ったままで、その距離は数メートルと離れた。
「おい……ちょっと!」
声を上げたイシュマイルに、タナトスは片手を上げて笑いかける。
タナトスはそっと、イシュマイルに聞こえもしない声で呟く。
「……彼は、戦場には似つかわしくないな……」
タナトスは、イシュマイルの心の迷いを感じ取った。
イシュマイルは自分が何者で、何を知り何処に向かうべきかを求めている。
タナトスは、自分ならばそれを示せることに気付いた。
気付きはしたが、それを実行することには躊躇いを持った。
タナトスは声を高くしてイシュマイルに言う。
「また会えるかな、イシュマイル・ローティアス君」
タナトスは芝居がかったその口調で笑うと、衣を翻してまた屋根から屋根へと飛んだ。
その姿はあっという間に建物の影に見えなくなる。
「……」
イシュマイルは呆然をそれを見送った。
イシュマイルや、ギムトロスなども樹枝の上を駆け抜ける技は持ち合わせているが、今のタナトスの足取りはそれを上回る器用さだった。術に加え、街が縦方向に構成されているという話など、龍人族の運動能力の一端をイシュマイルは垣間見た。
「……?」
取り残されたままのイシュマイルは、立ち上がろうとして周囲の変化に気付いた。
そして自分の胸に手を当ててみる。
(なんだろう……軽くなった?)
不意にそんな感覚を得た。
何かがずっと自分の周りにあって圧迫感に似たものを感じていたのだと、今になって気が付いた。考えれば、先ほどの六人の男が現れた時に妙な圧迫感を感じたのが始まりかもしれない。
(なんだったんだろう、今の……)
イシュマイルはとりあえず帰ろう、と立ち上がる。
そして、もう一つ思い出す。
「あいつ……!」
タナトスの消え去った方を咄嗟に振り向くが、その姿などとっくにない。
(なんで、僕の名前を?)
イシュマイルは、タナトスに名乗った記憶がない。
タナトスは自分の名を言ったが、イシュマイルはそれに答えるのを忘れていたことを思い出す。
圧迫感が消えると同時に、急に頭の中にあった霞のような何かさえ消え去り、イシュマイルは目が醒めたように普段の思考を取り戻した。
そして、今と同じように自分の名を呼んだ男のことを連想する。
さきほどイシュマイルを襲撃してきた、六人組の男たちだ。
(まさか…仲間?)
イシュマイルの脳裏で、様々な違和感がそんな考えを導いた。
どちらも唐突に現れ、不自然でそして圧迫感と同時に消えた。
芝居がかった口調や謎めいた内容などを思い出すと、それが何かの警告のように感じられた。
イシュマイルが、タナトスと話している時に感じたあの不自然さや寒気は、これを示していたのかも知れない……。
――イシュマイルが、ドロワの街でタナトスと名乗るガーディアンと話していた頃、はるかノルド・ブロス帝国で同じタナトスの名を持つ者が暗躍していた。
そこは、帝国領内にあって『炎羅宮レヒト』と呼ばれていた。
『炎羅宮』というのは、かつての古代龍族の宮殿の名で、数十年前ここに龍人族の都を遷都したことから、その名を冠している。
ノルド・ブロスの元々の首都は、レヒト神殿とその街だったが、大規模な災厄に見舞われて崩壊した。そのため人々は龍族の力を借り、炎羅宮殿へとその機能の全てを移した。
その後、その周囲に龍人族が移住した為に、ここが第二の首都となった。
炎羅宮殿周辺はドロワのタナトスが言ったとおり峡谷と絶壁の間、竜族の住処の中にあり、龍人族はそこで崖に張り付くように暮らしている。
とはいえ岩をくり抜いたような住居の内部は、タイレス族の家屋と同じように人が暮らすのに不自由のない造りになっている。
いうなれば高層ビルの摩天楼のような岩の街で、その狭間を無数の空駆ける竜が飛び交うという、異世界のような景色になっていた。
そんな炎羅の峡谷の一つに、アルヘイト家が所有している居城がある。