五ノ九、野心
ゲートから出ると、レアムはすぐに部屋には戻らずまずは見慣れたドヴァン砦の中を歩いて回った。
これはレアムが個人的にやっていることで、警邏のように砦内の要所を見て回る作業だ。ライオネルは常々、レアムのこの行動を本能的なテリトリー行動だと言って、好きにさせていた。
実際そのあとの助言も確かなものであったから、ライオネルにとっても有用だった。
すでに、先ほどまで頭を占めていた考えは、もうどこかに隠れてしまっている。
一度チャンネルが切り替わると、レアムはもう別人のように考え行動することができた。これらはレアムの性格というより、種族的な特徴でもある。
レアムは他人と群れるよりも、一人でこういったことを習慣的に行うことで、気分が落ち着くらしかった。サドル・ノアの村で、レンジャーとして森を行き来していた生活は、案外レアムにも合っていたのかも知れない。
砦の中を一回りしたレアムが部屋に戻ると、門番から知らせを受けたライオネルがすでに待っていた。
「早いな、もう戻ったのか」
ライオネルはそう言って出迎えた。
そして、砦を繋ぐ橋を破壊したことをレアムに告げた。
レアムは特に返答はせず、頷いただけだ。
二人は、互いに無用な会話はしなかった。特に捕虜の解放の話しについては、すでに終わったこととして触れもしない。
ライオネルは、何も言わないレアムを見て、自分の判断が正しかったことを知る。 レアムが何も言わないということは、その方が都合が良かったということだ。
「これで、ドロワを切り崩すカードが揃った」
ライオネルは言う。
橋を落としたのは、サドル・ムレス国からの攻撃を挫かせる目的あるが、今ひとつにはドロワ市の評議会を威嚇する目的もある。
「ドロワはなにより、レミオールから切り離されることを恐れている」
ドロワ市の存在意義は、その創設以来レミオール市国の一部であることだ。
サドル・ムレス連合に統合された今でも、レミオールの衛星都市として存在することが、ドロワ市民の誇りであり、生活の糧でもある。
「……ドロワを引き入れられるのか?」
レアムは、ひそりとした声でライオネルに現状を問うた。
ライオネルが地下牢獄で聞いた、怒りを含んだ声とは別人のように穏やかだ。
レアムは無口な性質でその声を覚えている人間もあまり居ないのだが、その時々で印象が違うというのも特徴だった。
ライオネルは作り笑いで答える。
「予定外の土産だが、兄上も怒りはすまい。あの人もドロワには思い入れがあるらしいからな」
レアム・レアドにとってもドロワは特別な場所であることを、ライオネルは知っている。
ライオネルは地下牢獄でのことを思い出す。
レアムと共謀するようになってまだ一年程度の付き合いだが、あれほどの敵意をぶつけられたのは初めてのことだ。
あれは殺気というよりも、無関心な相手を刈る時の迷いの無さを含んでいたように思う。
レアム・レアドの恐ろしいところというのはその戦闘能力よりも、一度スイッチが入ると相手が誰であれ豹変する、その気まぐれさにあるのかも知れない。
ライオネルは考えを切り替えるように、呟く。
「ドロワを手に入れれば、図らずともイーステンの森を手中に出来る。ファーナムがその存在の価値に気付く前に……」
ライオネルの呟きを、レアム・レアドは無言で聞き流した。まるで興味がない、という素振りをしていたが、内心では不愉快に感じている。
ライオネルもまた、そんなレアム・レアドの態度を無視した。
イーステンの森とは、ドロワに近い森の中にある聖地。
つまり今サドル・ノア族が暮らす、あの森のことだからだ。
ノア族の血を引くライオネルにとっても、イーステンの森は特別な存在だった。
――ドロワ市に視点を戻す。
日の暮れたドロワの街を、イシュマイルは一人で歩いていた。
この日はロナウズと共にソニー・レアドの孤児院跡に出掛け、途中でアイスと再会し、その買い物に付き合った。
そのあとはまたアイスをドロワ聖殿まで送り届けて、ようやく寄宿舎に戻ろうとしていた。
「参ったな……とっくに夕食の時間は過ぎてるなぁ」
宿舎では平時、定める食事の時間は徹底厳守だ。
空腹を我慢するか、バーツあたりが無理を言って厨房の者に頼むかという選択だが、幸いイシュマイルはこの日少々のお金を持っていた。
アイスと買い物をした時に、イシュマイルがあまりに小額しか持ち合わせていないのに驚いて、アイスが手渡したものだ。
「街にいれば、緊急時にはお金が必要なの」
そういってアイスは道案内のお礼にと小遣い程度のコインをくれたが、その緊急時よりも間近の空腹の方が先に来た。
イシュマイルは道を変えると食料を売る店を探して歩き、結局裏路地にいた露天商から簡素な携帯食を買って小鞄に入れた。
そして、宿舎に戻ろうと脇道に入り、近道を通った時だ。
ふいに、イシュマイルは何かの圧迫感を覚えて、立ち止まる。
なにか、おかしな空間に入り込んだかのような奇妙な感覚だった。
視界の中に石壁に溶け込むような、数人の人影が見えた。
裏通りにあたる道は薄暗く、先ほどまで人などいなかったものが、今は五、六人ばかりの人影が周りにいるのに気付いた。
イシュマイルが気味の悪さを感じて一歩下がると、一人の男が声を出した。
「イシュマイル、ローティアス……だな?」
「――!」
イシュマイルは驚き、咄嗟に飛び退いて男との距離をとったが、周りの人影もそれに合わせて動いた。その慣れた動きに、イシュマイルは人影を見回して考える。
「仲間、か……? ただの泥棒なら、名前聞いたり……しないよな?」
男たちは無言であったが、マントの下で剣を手にしているのがわかった。
イシュマイルも身構え、双牙刀に手を伸ばす。
野盗やならず者ならば山中でも見たことはあるが、この男たちは彼らとはどこか雰囲気が違っていた。けれど以前にバーツと戦った経験から、イシュマイルは冷静であろうと努めた。
街で他人とトラブルを起こすのは初めてだが、戦うことには慣れている。
一人目の男が、おもむろにイシュマイルの斜め後ろから斬りかかった。
イシュマイルはこれを身を翻して避け、その剣を後ろ手に払う。流れる動きのまま、もう一振りの双牙刀が男の手を狙って振り下ろされた。
男が躱された勢いで前に転がった時には、その手からは剣が落ち血が噴出していた。
イシュマイルはマントの襟を外しながら、さらに数歩飛び退いた。