五ノ五、月魔石
扉が開くとその向こうは広く、白い空間が広がっていた。
その場所はドロワ聖殿の地下深くで、二人はかなりの深さを一気に潜ってきた為、その気圧差を耳に感じたのだろう。
シオンはさっさと小部屋から出てその白い床を歩いていく。
バーツはあとを追うしかない。
見上げると白い天井は異様に高く、白い骨を編みこんだような細工が至る所に施されている。
それは古文字や紋章が巧みに絡み合って魔力を帯び、無機質なホールでありながら生き物の腹の中のような独特の気配が感じられる。
(まるで巨人の部屋だな)
異様に巨大な窓や柱は、地下にある室内が明るく感じられるほど白く装飾されていた。
「見ろ、あそこにいる」
シオンが早足に歩きながらバーツを促す。
バーツが視線を戻すと、向こう正面の壁際にもう一人、人がいるのに気付いた。 祭祀官に似た装束を身に纏っており、よく見れば大きな扉の前にその人は立っている。
「でけぇな」
バーツがそう表現したのは人物ではなく、その背後の壁だ。
それは巨大な、巨大な扉だ。
いわゆる『巨人建築』と呼ばれるもので、その名の通り通常の数倍もの規模で建造される様式である。主に聖殿、聖壇など古い建物に多く、神威を表現するための技巧でもある。
その巨大な扉を背に、祭祀官らしき人物は立っている。
物腰から男性とわかり、そしてガーディアンに近い波長を放っていた。
彼はその場からシオンとバーツに、ゆっくりと礼の形をとった。
「彼は、オペレーターと呼ばれている」
シオンは歩きながら、そう説明した。
室内は広く、二人の早足でも少しばかり時間がかかったが、扉の近くまで行くと男は再びシオンに礼を示した。
シオンは、持っていた小箱をその人物に手渡す。
バーツは男の顔をそっと見た。
年齢などはわからず絶えず穏やかそうに微笑んでいるが、どこか底知れない無表情さがある。
男は箱を受け取ると扉の方へと向き直り、シオンがしたように手を扉に向けた。巨大な白い扉が音もなく横に滑り、人が通れる程度の隙間が開いた。
男は一人扉をくぐるとまたこちらを向き直り、二人に向かって礼を取る。
その姿を覆い隠すように、扉がまた閉まっていく。
バーツはただ見ているだけだ。
わずかに、扉の隙間から向こう側が見えたが、暗くて細部はわからなかった。ただ、空中にちらちらと光が動いているのが見えた程度だ。
「……オペレーターというのは?」
閉じてしまった扉の前で、バーツが問う。
個人の名前か? という意味でバーツは訊いたがシオンは首を振る。
「聖殿において、秘儀を行う際の機械的な操作をする人、という意味だ。ある意味で我々とは違う存在のガーディアンだな」
「今渡したのは?」
「魔石……月魔石だ」
バーツはシオンの顔を見る。
聖殿での活動には、ジェムという魔石とギミックの存在が欠かせない。
聖殿における奇跡、特に祭祀官が治癒の術などを施す際には、必ず魔石の力が必要となった。
ガーディアンは自らの生命力を力に変えるが、そういった能力のない祭祀官が奇跡を行うにはパワーの源が必要で、それが魔石ということになる。
オペレーターというのは、その影で機械を使い、代わりに力を生み出す役割の人、というわけだ。彼らはヒーラーであり、テレポーターであり、メッセンジャーでもある。
もっと機械的な専門家はエンジニアでもある。
彼らは地上にいながらエルシオンに最も近い人々で、そのほとんどが一般の人の目に触れることは無い。
「月魔石だって?」
バーツは怪訝に問う。
「随分と大袈裟なモンにいれて運ぶんだな」
シオンはバーツを一瞥したが、踵を返してもと来た道を戻り始めた。
「あの石は資料だからだ。他の物より融解が早かった故だが……実のところは、お前に顔合わせをさせる口実だな」
「……そいつぁどうも」
シオンがバーツを強引に聖殿に呼んだのは、その裏側を一足先に見せる為だったようだ。
バーツは師匠を追いながら言う。
「そういやぁ、ドヴァン砦で妙な月魔石の使い方を見たぜ。俺の雷光槍を魔方陣で跳ね返しやがった。それも術とかでなく、物理的な仕掛けでな」
「なるほど」
シオンは特に驚く様子はないが、続くバーツの言葉には表情を変えた。
「魔法陣が月魔石で動いてるのを見つけたのは、イシュマイルだ」
「イシュマイル?」
「イシュマイルは、レム――レアム・レアドにその月魔石のことを聞いたって言ってたぜ」
「……なに?」
「俺たちは魔方陣そのものに目を奪われてて、壁に埋ってた月魔石になんざ気付こうともしなかったぜ。……あいつは意外にああいう戦に慣れてるんだな」
バーツは最初にイシュマイルに会った時、遺跡の中で戦ったことを思い出した。
シオンは話を聞いて珍しく驚きを表情に出したが、やがてそれを苦笑に変えた。
「……レアムの奴」
「あれだけ弟子は取らないだの、興味がないだのと言っておきながら」
シオンは笑ってそれだけいうと、また掌をかざして壁に扉を作り出した。
バーツはそれを追って横に並ぶ。
「何の話だよ」
シオンは否定的に手を振って言う。
「確かにあのイシュマイルという子は、ガーディアンとしての弟子ではないかもしれないが」
「必要なことは、とりあえず伝えているようだな」
そう言いながらシオンはまた小部屋に戻り、バーツも後に続く。
この部屋はいわゆる昇降機に相当する機能を持つギミックで、特に『リフター』と呼ばれる物の一種だ。
「どういう意味なんだか」
バーツはわざと大きい素振りでそう声に出したが、それは暗に自分の師たるシオンへの当てこすりでもある。
バーツの修行は他と比べても短期集中に詰め込んだため、細かな部分は何かと抜け落ちている。聖殿騎士ならば会得して当然、として端折った部分も多かった。
シオンが今更ながらに目を掛けてフォローしてやるのはその為だ。
知識と実践は、別物なのである。
バーツもそこは理解しているつもりだが、時折口論の末に嫌味の一つも出てしまう。
バーツの挑発に、シオンはいつになく乗ってしまった。
「なら、今ここで復習してやろうか? 月魔を倒した際に、その灰の中から現れるのが月魔石。あの黒い魔石は、通常の魔石と少し違っていてな――」
シオンは畳みかけるように言う。
「普通のジェムは地中の結晶から作り出される人造の魔石だが、月魔石は月魔の体内で作られる……つまり、通常のジェムは無機質鉱物だが、月魔石は生体鉱物と言ったところかな」
聞き流す体勢でいたバーツだが、ふと思い当たった。
「そういやぁ、あの月魔石はどこの月魔から?」
シオンは軽く頷く。
「時折、魔物ハンターたちが持ち込むのだ。月魔を倒してな。……連中の中にも出来る奴がいるということだ」
バーツは、閉じて壁に戻ってしまった入り口の跡を指し示して問う。
「じゃ、さっきのあの男は? 月魔石をあの男はどうするんだよ?」
「天盤宮エルシオンに転送する」
「はぁ?」
「転送って……なんでエルシオンになんか送るんだよ」
驚いて尋ねるバーツに、シオンはため息をついて答える。
「今自分が運ばれている装置の意味がわからんのか。同じ理屈で物を空まで運ぶのだよ」
二人を乗せたままの小部屋は目的地についたのか、僅かな振動と共に停止した。出口を開こうと再び片手をかざしたシオンに、バーツが横から問い続ける。
「そうじゃねぇよ。資料に持って来たんなら、なんで送っちまうんだって話さ」
「なぜだって? 欲しがっている者がエルシオンに居るからだろうに」
シオンは漠然と上を指さした。
「ジェム原石の安定化は、エルシオンのみの技術。だがそれも地上世界にあっては万能ではない。故に彼らは求めるのだよ」
そう話すシオンの手首には、加工されたジェムの装身具が光る。
台座となる金属は魔術で加工されたもの、そこに処理された魔石――ジェムが、宝石のように飾りつけられている。