五ノ四、秘儀
シオンはバーツを一瞥したが、また書類に視線を戻した。
「……さて。どの隠し事のことかな。お前に言ってないことなど、山のようにあるのでな」
「師匠!」
シオンは書類から目を離さず言う。
「忘れたか? 私は、かれこれ百年はガーディアンをやってるんだ。全て聞きたいと言うなら、向こう百年は聞かせてやるぞ」
「俺が言ってんのは!」
バーツは指先でテーブルを叩きつつ、声を上げる。
「イシュマイルの件! レアム・レアドの件! ドヴァン砦の件! ライオネル・アルヘイトの件!」
「……どれか一つにしろ」
「全部根っこが同じだから訊いてんだよ!」
シオンは呆れたようにため息をつき、書棚に書類の束を返す。
「自分で解決しようとせんのか、お前は」
そして、急に厳しい表情になって言う。
「いいか? オルドラン・グース氏の一件がまだ片付いていない。これは、ドロワにとっては最も重要な事柄なのだよ」
「それは俺もわかってるよ」
バーツはテーブルの脇で、その長い足を窮屈そうに組んだ。
「でもよ。そうやって後手に後手に回ってるから、ライオネルなんかに手玉に取られるんじゃねぇの?」
シオンは珍しく失笑する。
お前が言うな、と言わんばかりの嘲笑だったが、バーツに背を向けてそれを隠した。
「頭数が足りないんだ、我慢しろ。ドロワから蹴り出されたくなければな」
「……ひでぇな? 俺がこのあとどう動くべきか、とか何か一言ないの?」
シオンは室内を移動し、別の棚の前に行く。
「どう動くかだって? 決まっているだろう」
「なんだよ」
「お前はファーナムの騎士なんだろう? ファーナムに戻るしかあるまい」
バーツはむっとして、シオンのほうを振り返る。
「自分で考える意思がないなら、命令にでも従っておれ」
バーツは問答の仕方を変えた。
「じゃあこういうのは? 俺達がウエス・トール王国に行って、フィリア・ラパンに会う」
「ほう」
シオンが棚を探る手を止める。
「悪くない行動だな。私の古い記憶を掘り返すよりはずっと確かだろう」
そして、ひそりと付け足した。
「……私が一から百まで全てに答えを出す師であったなら、お前はガーディアンになど成らなかったろう」
「あ?」
「……」
シオンは二度同じことは言わない。
隠し事をする理由は二つある。
一つは、相手がそれに足らないと思う時だ。事柄には、自力で辿り着かねばならないことと、近付くには危険を伴うことがある。
二つ目は、不確実な情報で相手を混乱させないためだ。シオンにもわからないことは、たくさんある。
特にイシュマイルやレアムに関することには、裏を感じている。
シオンはまた背を向けて棚を探り、見慣れない細工の施された小箱を取り出してきた。箱にはジェム石が嵌め込まれており、装飾としてだけでなく何かの術が施されているのがバーツにもわかった。
「師匠……それは?」
シオンはその問いにも答えない。単に説明が面倒だからだ。
「雑談は終わりだ。次の仕事だ。お前も一度見ておくといい」
そして、壁に向かって手をかざした。
何もなかった壁の一部に紋章が一瞬浮かび、扉の大きさの光の枠が出現した。
光が消えると壁の一部も共に消え入り、あとには、扉ほどの大きさの入り口が開いていた。壁の向こうには、隠し通路がある。
「……」
バーツはしばし、その空間を驚きの表情で見ていた。
拝殿で見かける『ジェム・ギミック』の類かと思われたが、ギミックにありがちなわざとらしい凹凸や文様などは、そこにはない。
初めて目にしたバーツには、その仕掛けが理解できなかった。
「師匠、これは?」
「ギミックさ。ただ、その技術が他より段違いに高いだけだ」
シオンはさらりと言い、そしてバーツを促した。
「来い。この先は特別な場所、聖殿の本当の姿だ」
シオンは先に立って、その壁を抜ける。
バーツもようやく椅子から立ち上がり、師のあとに続く。
バーツはシオンの少し後ろを歩きながら、隠し通路の壁や天井を見る。さきほどまでの内装と変わらないように見えるが、バーツは気付いた。
通路には不透明なガラスの填められた窓があり光も入ってくるが、考えてみればその方向は外壁ではないはずだ。つまり天然の光ではない。
異様に長い通路といい不規則な柱の数といい、色々な部分が不自然だった。
それに先ほどから感じる、この不思議な感覚。
「これと同じ感覚を……最近どっかで」
しばらく進むと、またシオンが手をかざして壁に入り口を開いた。
今度は、その先に薄暗い部屋がある。
隠し通路から見ると部屋の中は妙に狭く、窓がない。
シオンに続きバーツも室内に入ると、その背後でまた壁が閉じた。
「……っ?」
「慌てるな」
咄嗟は後ろを振り返ったバーツを、シオンは静かに制する。
壁に手を触れてみれば、隙間どころか筋の跡一つない。
「最初は感覚に戸惑うだろうが、すぐに慣れる」
バーツは、床がかすかに揺れたような錯覚を感じた。
バーツはシオンの顔を見下ろした。
バーツの方が若干長身な為に、師の顔を真横から見下ろす形になる。
「この先は……」
シオンは静かな声で言う。
「エルシオンに許された者だけが入室できる特別な場所。厳密に言えば、お前はまだ完全なガーディアンではないから、ここには来るには早いのだが」
シオンの声が、狭い室内に伝わる。
「これも親心だと思っておけ。知識としては教えたつもりだが、実際に体験するとなるとまるで別物だろうからな」
バーツはようやく口を開く。
「師匠、ここは一体?」
シオンはバーツの顔をちらりと見る。
「……先日一度来たはずだが、覚えておらんようだな」
「え?」
「緊急に延命処置をする場合などに必ず来る場所だ。覚えておけ」
「……」
バーツは、呆然とシオンを見ている。
「じゃあ……」
「先日の戦の直後、無様に気絶していたお前をここまで運ぶのは難儀したんだぞ」
シオンはそう説明したが、バーツが自分を見ているのに気付いてか、何もない壁に視線を戻して言う。
「まぁ、実際に背負ったのは私ではないが?」
先日の状況を理解したバーツは、居心地が悪そうに髪を掻き揚げた。
シオンは壁を向いたまま続けた。
「お前は、まだ人間の時の感覚が抜け切っていないから……そうなるのだよ」
「……え?」
「生まれ変わったのだと自覚しろ。今のお前は、生まれ立ての赤子が立って走れないのと同じ。ガーディアンになったからとてすぐに一人前に力を使えるものでもない」
「お前は、能力以上の力を使って消耗したのだよ。レアムとライオネルが施した空間に、引き込まれたのだ」
バーツは髪を梳く手を止めて、シオンの横顔を見る。
「レアム・レアドは過去百年戦い続けたガーディアンだ。私にも歯が立たない。ましてライオネルと組んでいては……」
シオンの声が低くなる。
「真の意味で、ガーディアンの強さの源は意思の力だ。他者との連携は、それを後押しする。……今のお前は、特にその二点で負けている」
シオンは何かを思案しながら、独り言のように続ける。
「お前たちはレアム・レアドの強さにばかり囚われているが、私からすれば、ライオネルの方が脅威だ。確かに個体としての戦闘能力は低いが、カーディアンでないという事実が、逆にライオネルをしてレアムの力を無尽蔵なものにしている」
シオンの言葉はバーツにヒントを与えたが、この時はまだ頭の隅に残っただけだ。
「今の二人に、真正面からぶつかっては、駄目だ」
「……師匠」
何か言いかけたバーツは、耳の奥に違和感を覚える。
突然、背後の壁がまた開いた。