五ノ一、レアドという名
第一部 ドロワ
五、ドロワの街・二
二日後。
イシュマイルは、ドロワの新市街にある宿舎にいた。
ホールの近くには談話室があり、イシュマイルはそこで借りた本を広げていた。
それはドヴァン砦周辺の地図だ。
ドヴァン砦は巡礼地であるレミオールへの玄関口であったから、その周囲を示した地図というのは意外と豊富に存在していた。
イシュマイルには、一部であるが砦の中をその目で見て歩き、橋まで戻ってきたという感覚が残っている。
正確とは言い難いがこうして記憶を繋ぐことで、自分の行動や存在を確かめようとしているようだった。
イシュマイルは、宿舎の中が慌しくなってきたのに気付いて顔を上げた。
見ると、ホールを騎士たちが忙しく行き来している。
(あれは……アリステラ騎士団?)
揃いの騎乗服からそう判断する。
通常の警備勤務にしては様子が違っていて、イシュマイルはまた何事かあったのかと、立ち上がってホールを見た。
その姿を見付け、声をかけてきたのはロナウズである。
「イシュマイル君か? ちょうどよかった」
「ロナウズさんっ」
イシュマイルは本をその場に置いて、ロナウズの元に駆け寄る。
「なにかあったんですか?」
不安そうなイシュマイルの様子に、ロナウズは両手で落ち着くようにという仕草をする。
「あぁ、騒々しくて悪いな。アリステラへの帰還命令が出たのだよ」
「帰還ってっ、街道の警備は?」
「それは従来どおり、ドロワの騎士団が当たることになった。……要は、厄介払いだな」
「宿の取れない人々の為に寄宿舎を解放する、というのが表向きの口実なのだがね」
ロナウズは笑って見せるが、イシュマイルはなんとも一方的な話しだと感じた。
「ドロワは自治性の高い街だからね。ファーナムを中心とした、今の連合のやり方には不満なのだ」
「……シオンさんもそんなこと言ってたなぁ。連合って言ってもバラバラなんですね」
不満そうに呟くイシュマイルに、ロナウズは「そうだな」と相槌を打つ。
そして思い出したように唐突に尋ねた。
「ところでイシュマイル君、今時間はあるかい?」
「え? ……あ、はい」
イシュマイルも思い出した。
先日、行く場所があると言っていたのを。
イシュマイルはすぐに本と地図を片付けると、ロナウズに従って街へと出た。
鮮やかなアリステラの制服姿のロナウズと、ノア族の装束を着たイシュマイルという組み合わせは街の人の目を引いたらしい。道行く人が珍し気に振り返り、イシュマイルは、少し落ち着かない気分になる。
ロナウズの横に並んで歩くというのは、バーツの時とはちょっと勝手が違った。
バーツはドロワに馴染みがあるらしく、街の人もバーツの顔を見知っていて中には気軽に声をかけたり、手を振ってきたりする者がいた。
けれどロナウズへの街の人々の反応というのはその逆で、その姿を見て驚いたり、感心したように見入ってきたりする。
他の街の聖殿騎士に見慣れてきたとはいえ、その騎士団長が日中供もつれずに歩いているのだから、珍しがるのも当然かも知れない。
警邏しているドロワの第一騎士団の兵士なども、ロナウズを見ると一様に敬礼し彼が通り過ぎるまでその姿勢を崩さなかった。ロナウズはそういった視線には慣れているのか全く頓着しない様子だが、イシュマイルはその横で自然と身を硬くした。
ロナウズは迷わず旧市街の方へと足を向けた。
ドロワ聖殿を遠くに望む見知った景色ではあったが、道一本違えるともう辺りは空気の匂いまでが違う。
バーツと歩いた裏通りではなく、店の立ち並ぶ小さな通りだった。
「この辺りは初めて来ます。……ドロワって広いんだなぁ」
イシュマイルは店に並ぶ品物を眺めながら歩く。
「旧市街、といったところか。以前は聖殿関係の施設は、全てこちら側にあったそうだ」
ロナウズは時折、道しるべを確認しながら歩いていく。
「街の規模が大きくなるにあわせ、次々と移転させたそうだ」
「詳しいんですね。よく来るんですか?」
「いや、ドロワ市自体、滞在するのは初めてだ」
「ただこの街のことは昔よく兄からの手紙で読んだから、知っている」
イシュマイルは、その言葉にロナウズの顔を見上げた。
「……ハロルド、バスク=カッドさん、ですか?」
「そうだ。……と、ここだな」
ロナウズは、とある建物を見つけて立ち止まった。
かなり年数を経たと思われる石造りの建物だった。
正面の壁にドロワ聖殿と同じマークが彫られており、建物の雰囲気そのものも似ているように感じる。
「ここは、ドロワ聖殿が管理する、かつての戦災孤児院跡だそうだ」
イシュマイルはその言葉に反応してロナウズの顔を見た。
「今はウォーラス・シオン殿が館長を引き継いでいるらしいが、その前には百五十年、同じ人物がこれを守っていた」
「百五十年っ?」
「――じゃ、その人も、ガーディアン?」
「名を、ソル・レアドといったそうだ」
「レアド……」
イシュマイルはその名を口にして、もう一度建物を見上げる。
外壁はかなり古びて見えたが、建物はしっかりとしていて修繕が行き届いている。その内部は今でも学生のための寄宿舎としても使われていて、ところどころ窓が開いていた。
寄宿舎のホールは聖殿と同じように片方が全開にされ、木の杭で留められている。
これはこの階層は市民に開放されている、という意味である。
ロナウズは開いた扉から中へと踏み入れ、イシュマイルも慌ててそれを追う。
昔ながらの造りのホールは内部こそ広くはなかったが、そのまま背後の中庭へと突き抜けていて、さながら市民の抜け道のようになっていた。
壁には相当古いタペストリー、棚には何かしらの遺物とその説明書きがあり、古都ドロワの歴史的な品々が飾られていた。
ロナウズは歩きながらも、話しを続ける。
「ガーディアンとしての修行に入ると、血縁者との面会は一切できなくなってしまう。けれど、兄はこまめに手紙はよこしてくれていたな」
イシュマイルは不思議に思って、尋ねた。
「ハロルドさんも、ガーディアンだったんですか?」
ロナウズの表情が曇ったが、小さく「そうだ」と言って数度頷いた。
それはイシュマイルの質問への肯定よりも、自身への確認であるように見える。
「ソル・レアドは、兄ハロルドの師であり、レアム・レアドの師父でもあった」