四ノ十、謎と疑問
「フィリアからこの話しを受けた時」
シオンが話しを続けた。
「私はその子をレアムの弟子に、とも考えた。フィリアがわざわざ連絡を寄越すのならば、ガーディアンとして見込みがある子なのだろう、と」
「……っ」
イシュマイルは表情を変えたが、黙って聞いている。
「レアムは気乗りしない様子だったが、とにかく焚き付けてウエス・トールに行かせた。だから音沙汰無いのは、レアムの気が変わって自分で育てているのだと思っていた」
シオンは当時のレアム・レアドを思い起こしたか、少し視線を遠くに流し話を続けた。
「我々世代のガーディアンというのは、そういうものだ。ガーディアンが隠れてしまう時というのは、大抵弟子を育てている期間だ。レアムから何も言って来ないなら無事だということだ」
そして付け足す。
「結果がどうなるかは、レアム本人に任せるしかない。そうだろう?」
師の返答を聞いて、バーツは呆れたようにため息をつく。
「ホント、ガーディアンって個人主義過ぎるぜ……」
この一件の経緯というのは、当時のドロワ周辺の様子やレアム・レアドの置かれていた状況など、様々な要因が加わって複雑だ。
またシオンは、この一件には触れてはいけない何かがあると睨んでいた。
全てのガーディアンを統括しているのはエルシオンだ。
シオンは過去、何度もこの件に関してエルシオンに伺いを立てた。しかし返答は何もなかった。何度陳情しても音沙汰がなく、それは今でも変わらない。
シオンはもともと言い訳というものをしない性分でもあり、今その本人を前にしても、込み入った説明はしなかった。
放置してきたことには変わりない。まだ口にする段階でもない。
話し終わったシオンは、バーツに向き直る。
「……で? お前がこの子を連れてきた用事ってのは、これか?」
「え?」
問われて、バーツは困惑して答える。
「あぁ、多分……。やけにあっさり解決しちまったけど、な」
シオンは呆れたように「ふん」と言って踵を返した。
扉に向かうシオンを、バーツが慌てて呼び止めた。
「お、おいおい、もう行くのかよ? 師匠!」
今度は先ほどのカップが飛んできたが、バーツはこれを受け止めた。
「用事がこれだけなら私は戻る」
シオンはそういって扉を開いた。
「私はお前を叩き起こしに来ただけだ。部屋を引き払ったら聖殿に来い。手伝ってもらうことがある」
それだけ言うと、シオンは本当に部屋から出て行ってしまった。
バーツとイシュマイルは、呆気にとられて互いに顔を見合わせたが、聞こえてくるのは遠ざかる足音のみだ。
イシュマイルはふと思いついて、バーツをその場に残しシオンの後を追った。
「待って! シオンさん!」
シオンは足早に廊下を歩いて行ったが、イシュマイルはこれを見つけて駆け寄った。シオンは振り向いたが、その様子はあまり歓迎していない。
「私は忙しいのだ。話なら後日にしてくれ」
イシュマイルは、シオンの興味を引く切り出し方をした。
「僕は、昨日まで捕虜としてドヴァン砦にいたんです」
シオンは一瞬隙を見せ、イシュマイルは畳み掛けた。
「アイスさんやライオネルという人にも会いました。……あの、あなた方はレムの――レアム・レアドの知り合いなんですか?」
シオンは意外そうな顔をしたが、そっけなく答える。
「……知っている、という程度だ。ガーディアンは群れて行動することはないからな」
そして言う。
「今は、敵だ」
シオンはふっと鼻から抜けるような笑みをこぼした。
「……そんな話しがしたくて追ってきたのか?」
そして子供の顔を覗くようにして、僅かに屈んでイシュマイルに笑いかけた。
「十五年も行方をくらませて…弟子の一人でも育てているかと思えば」
シオンの面のように整った顔が、笑うと別人のように優しげなものになる。取り繕っている時のシオンというのは、有能で親切な祭祀官の印象そのままだ。
シオンの人気の秘密は、この外面の良さもある。
「けれど、とてもそうは見えないな。少なくとも、今の君の様子だと」
イシュマイルは、ただ子供のように答える。
「レムは、何一つ教えてくれませんでした。本当の名前すら……」
「ふむ……」
シオンは納得したように頷くと、イシュマイルから視線を外して姿勢を戻した。
「君は、ノア族の村に帰るべきだと思うよ」
シオンの冷淡な言葉に、イシュマイルは目を剥く。
「あの破天荒な男が一箇所に十数年も隠れ住むなど考えられないことだが、それが君のためであったとするなら納得もいく」
「どういう、こと? レムは戻ってこなかったんですよ?」
イシュマイルの声音にはトゲがあったが、シオンは穏やかに、冷静に言った。
「……親代わりの役目が終わったからだよ。本来の使命に戻っただけのこと。今はたまたま敵同士なだけだ」
「君を戦に巻き込まないために置いていったのかも知れない。今度の戦はずっと以前から懸念されていたものなんだ」
シオンはイシュマイルの顔を見ずに、淡々と話す。
「ノルド・ブロス帝国は着実に準備を整えてきたが、サドル・ムレス連合国は繁栄に溺れ、備えを怠ってきた。その差が、今現れたんだよ」
「あなたは……! サドル・ムレスの人でしょう? 他人事みたいに!」
「他人事さ。人間達の戦など……」
シオンはイシュマイルに視線を戻す。
「それに、ドロワは元々レミオールの一部だったのだよ。だから今でもサドル・ムレスの一員だという意識は薄い」
そして呟くように言う。
「バーツ・テイグラートは私の弟子。しかし、ライオネル・アルヘイトも私の弟子」
「……っ!」
「ノルド・ブロスの……眠っていた魔法兵団の技術を、覚ましてしまったのは――私だよ」
「シオンさん……?」
「悪いことは言わない。村に帰りたまえ」
シオンは、その涼しげな眼差しに憂いを乗せた。
「ガーディアンの戦いに、善悪というものは存在しない。もし君が、タイレス族の感覚でレアムの行動を判断しているのなら、これ以上彼に関わってはいけない」
イシュマイルに背を向けて、シオンは言う。
「君とレアムの繋がりが白日の下に晒されれば、必ず君を利用しようとする者が現れるだろう。戦に巻き込まれないうちに、もう一度……隠れなさい」
黙って聞いていたイシュマイルは、ここに来て怒りを露にした。
「また子ども扱いですか!」
「そりゃあ前回は足手まといになって、死に掛けたかも知れないけど! でも此処まで首を突っ込んでおいて、大人しくなんて……っ」
「イシュマイル君。君は戦うべきでない人間なんだよ。向き不向きというものがある」
「向いてないって言うんですか!」
イシュマイルには、子供ながらにレンジャーとしての矜持もある。
それだけが今の自分を確かめる術でもあったから、それを否定されては理性的ではいられなかった。
「もういい。失礼します……っ!」
イシュマイルは言い放つと、バーツのいる病室へと戻って行った。
シオンは無言でその背を見送る。
肩を落とした幼い後姿を見て、シオンは少しばかりの呵責の念に囚われた。言う必要のないことまで話してしまったからだ。
あるいは、イシュマイルがシオンの予想よりも随分と子供で、言葉の意味を受け取れなかったせいもある。
シオンは考える。
――向いているからこそ、遠ざけるのだ……と。
シオンはイシュマイルと話す僅かに間に、過去に育てたガーディアンと同質の才能を見出していた。この読みが正しいのなら、その才能を引き出してはいけない。
レアム・レアドがイシュをノア族の村に預け立ち去ってしまったのも、おそらく同じ理由だろうと、そうシオンは解釈した。
シオンは我知らず、呟く。
「過ちは巡る……私にも――」