四ノ八、ジグラッド
「……時に、バーツ」
ジグラッドが話題を変えた。
「ドロワの評議会がやけに慌しいが、何事があったのか知らんか?」
「え? まだなんか揉めてんのかよ?」
バーツは枕を背中に引き寄せて凭れつつ問い返す。
「ここに来る前、ドロワのセルピコ殿に面会を求めたのだが、まるで話しにならん。自分から動ける奴がどこからも出てこんのだ」
「そいつぁ……いつものことっちゃあ、いつものことだけどなぁ」
そして問う。
「セルピコ殿に面通ししてなかったのかよ? 無茶苦茶だな」
「戦場で会うたきりよ」
ジグラッドはふん、と鼻を鳴らした。
「なら、裏から手を回して会えるようにしてやろうか? セルピコ殿は多分、旧市街の出だろうからな」
「ほう?」
「私人として見舞いに行くだけなら、差し障りねぇだろ?」
「お主はやはり、ドロワに詳しいな」
バーツは複雑な苦笑いを見せる。
「好きで有名人にされたわけじゃねぇよ」
再び、扉がノックされた。
ジグラッドが立ち上がって振り向いた時、丁度扉が開いて廊下に人影が見えた。
「や! これは……失礼を致した」
ジグラッドが突然に居住まいを正して、会釈をする。
窓側の部屋にいたイシュマイルは、様子が変わったのに気付いて、何事かとそっと覗いた。ちょうどジグラッドが扉の方を向いて姿勢を正しているのが見えた。
ジグラッドは、その声や口調の印象通り、立派な髭を蓄えたドワーフのような男だ。
たっぷりした髭とその豪快さで、実年齢よりかなり歳増した自分を演じている。 イシュマイルもその印象通りに受け取った。
実際にはジグラッドは四十に届いていないが、同じく団長であるロナウズよりは年長である。バーツはロナウズとあまり変わらないが、バーツはガーディアンの常で遊撃隊の中でも若く見える。
ジグラッドとバーツは同じ第三騎士団で何かといえば競い合った仲だが、バーツがガーディアンの道を選んだことで今はジグラッドの部下という位置にいる。
そのバーツもかつてはジグラッドに張り合って髭を蓄え、恰幅の良い軍人を演じていたなどとは、今のバーツしか知らないイシュマイルは想像すらできないだろう。
その団長ジグラッドは、廊下にいるだろう人物に対して別人のように畏まって言葉を交わしていた。そしてきりを見つけるとバーツに軽く挨拶し、そそくさと部屋を後にした。
その後しばらく扉越しにもジグラッドとその人物が廊下で話しているらしい声が聞こえてきたが、ほとんどがジグラッドの声だ。
イシュマイルは用意していたカップを持って、顔を出した。
バーツが気付いて、手で呼び寄せる仕草をする。
「……誰?」
イシュマイルはカップを手渡しながらバーツに問う。
「あ? 今の奴? ジグラッド・コルネスだよ」
バーツは質問の意味を取り違えて答えたが、イシュマイルは聞き流した。
廊下では、ジグラッドが後から来た人物と、堅い会話を交わしてようやっと別れたところだった。祭祀官の衣服を着たその人物は、ジグラッドと入れ替わりにバーツの部屋に入り、ジグラッドはほっと一息ついたのち、踵を返してその場を離れる。
そこに、アーカンスがやってきた。
「団長、こちらでしたか」
「おお、お前か」
ジグラッドは軽く驚いたように笑うが、アーカンスはその不自然な笑みに気付いた。
「お迎えに上がったのですが……いかがなさいました?」
「ふむ、いや……別に。お前も今は遠慮した方がいいぞ」
ジグラッドはそういうとアーカンスが来たほうへと歩き出し、アーカンスもその斜め後ろについて道を戻り始めた。
「どういう意味です? 隊長とは何かお話でも」
「いや、今は例の師匠殿がおいでなのだよ。わしらはおらん方がいい」
アーカンスがはっ、と表情を変える。
「それは、ウォーラス・シオン殿ですか?」
「うむ……」
アーカンスは困惑気味に言う。
「確かに……シオン殿は掟に厳格とお聞きしますから。我々がバーツ隊長と居るのは、よくありませんね」
アーカンスはここのところ感じていた不安を、団長の前で吐露した。
「ガーディアンに成ったなら、過去の縁者との関わりを一切断ち切るというのが、本来の掟だと聞きました。だとしたら我々の存在は、ガーディアンとして余計な荷かも知れませんね」
「……」
「加えてファーナムのやり方は、政の都合にガーディアンを巻き込むわけですから……気分が良いはずがありませんよね」
アーカンスの言葉を遮るように、ジグラッドが言う。
「――アーカンス、貴様自分の身分を言ってみろ」
突然声音を変えた上司に、アーカンスは立ち止まり姿勢を正して答える。
「はっ。ファーナム聖殿騎士団…第三騎士団遊撃隊隊長、アーカンス・ルトワであります」
「……ふん」
ジグラッドは不服そうに鼻を鳴らす。
「その通り、今の遊撃隊隊長は、貴様だアーカンス」
そして付け足す。
「バーツではない」
「……っ」
アーカンスは硬い表情の中で、目を見開いた。
ジグラッドは再び歩き出す。
「隊長、副隊長の時期が長かったからな。癖が抜けんのはわからんでもないが、貴様がそれでは下の者が混乱するわ」
「は、はい」
アーカンスも後に付いて歩く。
「まぁ今度のことでわかったろうが、バーツはこのまま狭間におってはいかん存在なのだ。いつまでも頼っていてはいかん」
それは古くからの友人をいずれ失うだろう、というジグラッド自身の心の憂鬱でもある。けれどジグラッドは敢えてそれは口にしない。遥か先の憂いよりも今の絆の方が大事だというのが、ジグラッドの考え方だ。
「ガーディアンはいつも我々の味方とは限らん。それはバーツも同じだ。……貴様らの任務はそうそう容易くはないのもわかったろう」
「団長……」
アーカンスは不安に表情を曇らせる。
「わしらの手の届く範囲なら、援けてやれんこともない。しかし遊撃隊は良くも悪くも独立して動くものだ。……自分の判断で隊員と進むのだ」
「やりがいはあると思うぞ? 組織の枠に囚われにくい分、自己判断と責任が紙一重だ。……ある種の自由だな。皆も能力を発揮できるだろう」
「……は」
それはアーカンスの同期達が、アーカンスが遊撃隊の隊長となった時に言った言葉と似ていた。
上官だったバーツがガーディアンに成ったことで、副官だったアーカンスが隊長に昇格するのだろう、と誰もが思っていた。アーカンス以外の同期はとうの昔に隊長に昇格し、中にはファーナムの中枢を目指して活動する者もいた。
ところがアーカンスの場合、他の軍団には存在しない遊撃隊の創設と、アーカンスとバーツがまたコンビを組むという異例の配置だった。同期たちは、組織にあって中にはいないアーカンスを半分は冷やかし、もう半分は羨んだ。
団長ジグラッドと隊長アーカンスの間には、その中間となる階級の誰もがいなかった。これがジグラッドの言う、自由と責任だ。それには特権と重圧という要素も加わったが、その頃のアーカンスというのは自分に課される任務がどれほど複雑になるかなど、あまり明確に想像できていなかった。
懐かしい記憶を引き出してか、アーカンスはしばし押し黙った。
ジグラッドはアーカンスの顔を見て、言う。
「先日の戦。貴様の働きはまぁまぁだったな。隊員はバーツでなく、貴様の指示に従った」
ジグラッドは思い出したように笑った。
「さすがにバーツのあしらいには慣れておるわ。あ奴の尻を引っ叩けるのは貴様くらいのものだな」
アーカンスもつられるように苦笑する。
「しばらくは今の体制のまま行動することになろうが、手回しはこちらでなんとかする。貴様らは目的のことだけ考えておれ」
「は、はい」
アーカンスは、ジグラッドの心中を測るかのようにその横顔を見た。
一方、ジグラッドの立ち去ったバーツの病室では、ちょっとした騒動が待ち構えていた。