三十八ノ六、炎
「あなたが……カロンか」
タナトスが目の前に座るカロンを見上げて問う。
床に腰を下ろしていてもこの高さである。立ち上がれば、洞穴の天井に頭が届くのではとすら思う。
『いかにも』
カロンは紳士的な仕草で頭を下げ、目元に笑みを作って見せる。
頭部は龍族のような長い頭、体は巨人、その肌にはくっきりと鱗がありその上にゆったりした布地のローブを纏っている。
『いつもであれば我は人族に姿は見せぬ。ただ……そなたらは少し他の客人と違うようだ』
客人、その言葉の裏にうわさに聞く案内人の姿が過る。
「では――いつも、貴方はここに?」
タナトスの問いに、カロンは少し頭を傾げる。
『そうだな……これが我の与えられた役目。役目のない時にもここに居るのは……我には暮らしやすいからだ』
そう言ってカロンは辺りを見回すが、タナトスらには暗すぎて何も見えては来ない。
「貴方の眷属もここに?」
『いいや……元はもっと北に居た。ここにいるのは我だけだ』
『我は……他と比べると、人族と話すのが好きでな……』
カロンはそう説明すると、また人間のように笑う。
タナトスとライオネルは、どう反応したものかと顔を見合わせる。
『あの飛竜族に会うたのだろう?』
「えぇ。彼にここへの道のりを――」
『いつもなら……その役目はキメラたちなのだが……』
その言葉に、少なからず驚く二人である。
『……あの小さき者たちは……友好的な人族とのみ接し、この抜け道とやらを守っている……地下帝国から地下帝国へ……神殿から神殿へ』
「……」
ライオネルは無言でタナトスを見る。
やはり抜け道や案内人の噂は真実で、それがこのルートなのだろう。
ただその目的は密入国などではなく、かつては聖地と聖地を結ぶ巡礼路の一つであったろうと思われた。
「だから……聖碑文があり、星座図があり……」
かつての地下帝国の遺跡を歩きながら、学ぶための――。
『やはり面白い……そなたらは』
カロンが言う。
『ここに人が来ることは時折あるが……みな船に乗ることしか興味がない。だから我は姿を
見せぬし言葉も交わさぬ……しかし、そなたらとあの年老いた飛竜は違った……』
「老飛竜が?」
問うたのはライオネルである。
あの老飛竜も他の飛竜族とは少し違っている。まして老飛竜と龍頭亜人が何を話すかなど、ライオネルは少なからず興味があった。
カロンはというとライオネルに頷きを返したが、その内容は老飛竜という個体についてではない。
『お前たちが六肢と呼ぶ竜族は……他よりもお前たちに似ている。血が繋がっているはずの我らよりも、お前たちはあちらに近い……』
龍族よりも竜族に人は似ている、とカロンは言う。
『大陸の始まりより永き時を相争いながら……共に生きる事も出来る。それがお前たちだ』
絶え間なく攻めてくる六肢竜族との戦い。
その一方で、竜族との共存で成り立つ人々の生活――。
『お前たちは常に抗う……』
『常に怒り、逆らい、逃げ惑う弱き肉を持ちながら、それ故に強かだ』
カロンは言う。
『うつろうもの……変わっていくもの……ピュリカなるもの』
ピュリカ、儚き者たちへの賛美である。
――カロンは、一通り話すと口を閉ざした。
狭い石床の上で器用に体を捩って松明の一つを取る。
松明は巨人建築に合わせてその柄も長く、軽くライオネルの身長を超える。
カロンはそれを二人に当たらないようにそっと石床の上に立てた。
「……」
目の前に差し出された明るい炎に、タナトスもライオネルも自然とそちらを見る。
炎は少しばかり揺れて、ふぅっと消えた。
しばし暗闇になる。
気付くと、先ほどよりは低い位置に小さい火が揺れている。
それは松明ではなく、誰かの手が掲げているカンテラの火だった。
――手。
目の前にフード姿の人影がある。
巧みな、視線の誘導である。
巨大なカロンの姿はどこにも見えなくなり、ローブ姿の男が目の前に居た。
「……これは」
幻術。
タナトスはもちろん、ライオネルにもそれは理解出来た。
「カロン、か?」
目の前のローブの男に、タナトスが再度訊ねる。
ローブの男は大きく頷いた。
「そうだ……いつもはこの姿で……船を操る。これなら、恐ろしくはないだろう?」
その声は人と同じく口唇を動かして発する、男の声だ。
「ともかくも、船を出そう。揺れるから座ってくれ」
そう言ってカロンはカンテラを足元の椅子に置いた。
火を目で追うようにして下を見た二人は、今立っている足元が木製の船に変わっているに驚く。
形状はゴンドラのように腰掛ける板があり、大きさは三人が乗るには広く、カロンはその舳先に立っている。
「……すごいね、これも幻術か」
得意なはずの幻術で驚かされ、タナトスは苦笑いで言う。
石床と船、どちらが実物なのかは今もってわからずにいる。
カロンは今度は声を立てず、唇を歪ませて笑う。
フードの下の顔立ちは良く見えないものの、カンテラの灯りで口元だけで笑っている様が見て取れる。
ノア族、おそらくはノルド・ノア族の姿を借りているらしいのは伺えた。
こういう時、ノルド・ノア族というのは隠れ蓑にされやすい傾向にある。
クロオーの変装したロア然り、タナトスも今はノルド・ノア族の姿である。
タナトスとライオネルが腰を下ろしたのを確認すると、カロンは慣れた様子で櫂を動かす。
石壁を突くと船はゆっくりと水の流れに乗って動き出した。