四ノ六、それぞれに
街道を逆走してドロワ側から駆けてきたのは、アリステラ騎士団の騎兵だった。
彼らは街道警備の任務をまだ続けていて、その道中には同じ軍装の兵士や騎士がいる。
先頭にいた騎士が竜馬車に並走すると、軽く手を上げて合図した。アイスが身を乗り出して顔を出すと騎士は言った。
「アイス・ペルサン殿ですね。お迎えに上がりました」
「ありがとう」
アイスは答えたが、言葉を続けた。
「あたしはゆっくりでいいから、怪我人と病人を先にドロワに運んで?」
アイスの答えに騎士は「はっ」と短く答え、次にイシュマイルを見た。
「失礼、イシュマイル・ローティアスかね?」
「え?……はい」
突然呼ばれて、イシュマイルは何事かと騎士を見る。
騎士は答えた。
「私はアリステラ騎士団の者だ。バスク=カッド団長より、君のことを頼まれている」
「ロナウズさんに?」
驚くイシュマイルに、騎士は続けた。
「ノアの村に戻るか、ドロワに来るか、君が決めるように、と」
その言葉に、アイスや付き人の女性らがイシュマイルを見た。
イシュマイルは答える代わりに、騎士に問う。
「……バーツ達は?」
「遊撃隊は無事、ドロワに戻ったようだ。バーツ殿のことも心配はない」
イシュマイルは、ほっとして笑みを浮かべた。
そして騎士に毅然と答えた。
「ドロワに行きます。色々とやり残したことがあるし、帰れません」
騎士はそれを聞くと、初めて笑みを浮かべた。
「そう言うと思ったよ。……すでに用意できているようだしね」
言葉と共に騎士が振り向いた視線の先には、竜馬車に並んで歩くイシュマイルの竜馬がいた。
竜馬車が止められ、イシュマイルは外に出た。
アリステラ騎士団が竜馬に鞍を付けてくれている間、イシュマイルはアイスと話をした。
「えーと……アイスさん、僕は」
「アイスでいいわ。ここでいったんお別れのようだけど、私もドロワには当分いると思うから、また会いましょ」
そして竜馬車の中から言う。
「何かあったらウォーラス・シオンを介してくれれば、会えるはずよ」
「それじゃね」とアイスが軽く言うと、竜馬車は再び進みだした。
見送っているイシュマイルを見て、周囲の竜馬車などから覗いていた人は意味ありげに笑ったが、アリステラの騎士はそれを無視した。
「さて、我らも行こうか」
イシュマイルに、竜馬の手綱を手渡しつつ言う。
「はい」
そして彼らは騎乗の人となり、アイスたちの竜馬車を追い抜いて、街道をまたドロワへと疾走した。
――その頃。
はるかレミオールの地。
広大な湿地を包む霧の中にも、静かに道を進んでいく竜馬車があった。
四頭の竜が曳き四輪の車輪を持った竜馬車は、整えられた石畳の上をかなり快適に進める乗り物でもあった。
乗っているのは御者二人に、客室にも二人。一人はレアム・レアドだ。
今一人は初老の男性でかなり憔悴している様子が顔色から伺えたが、彼は静かに竜馬車に揺られている。二人は広い車内で離れて座っていて、互いの間に会話はない。
レアム・レアドはその無表情な瞳で、ただ外の景色へと視線を流しているだけだ。水に浮かんだようなレミオールの大聖殿や聖壇が見えるようになってもその無感動な様子は変わらず、普段から彼はこんな具合でしばしば周囲の者を困惑させた。
それはサドル・ノアの村人が記憶する穏やかに微笑む大人しい若者ではなく、無感情な冷たい瞳をし他人を見ようともしない、もう一つの彼の顔でもあった。
やがて竜馬車は大聖殿の門を過ぎ、より濃くなった霧の中で巨大な扉の前へと辿り着いた。
古い時代からある巨大な石塔群と、その後建て増しされた荘厳な回廊が織り成す神託の聖殿は、訪れる人々を圧倒する重厚さがある。その静けさは、すぐ間近に迫っている戦火のことなど嘘のように思える。
大扉の前に、一人の人物が彼らを待っていた。
祭祀官が着るような長い衣を纏ったその人は、どこか中性的な容姿を持った女性で、その表情はレアム・レアドと同じく人間味がない。
御者が竜馬車の扉を開き、乗っていた男性が降りるのを手伝っている間もその女性の視線は彼らを視界に入れつつ何も捉えていない。
レアム・レアドが馬車の影から姿を現した時、ようやく彼女の瞳が動いた。
その女性は言う。
「ようこそ、レミオール大聖殿へ」
そしてレアム・レアドに言う。
「護衛の任、ご苦労様です」
「……」
レアムは答えず、ただ初老の男性の横に並んで立つ。
女性は、初老の男性に視線をやり静かに言う。
「オルドラン・グース殿、ですね?」
問われた男性は、無言で頷いた。
彼こそがドロワの街の祭祀官長であり、ウォーラス・シオンの上司でもある。
ドヴァン砦で捕虜となって以来ドロワ評議会との交渉で長らく解放を求められてきたが、ライオネルはまたしてもこれを反古にした。
ドロワ評議会やウォーラス・シオンがこのことを知るのはもう少し後になるだろう。
女性は全ての事情を知りつつ、なおも冷淡だった。
「こちらに……まずはおくつろぎください」
そして掌で大扉を指し示すと、待っていた祭祀官たちにその身柄を預けた。
御者たちはそれを見届けると一礼して竜馬車に戻り、レアム・レアドはその場にただ立ってオルドラン・グースの背を見送っている。
「レアム」
女性が再び呼びかけると、レアムも今度は視線を向けた。
「あなたもこちらに来なさい。治癒術を施しましょう」
「……」
レアム・レアドは身動き一つしなかったが、女性は冷たい声で言い被せた。
「ライオネル・アルヘイトに感謝なさい。貴方に休む時間をくれたのですから」
レアムは僅かに逡巡したか、その赤い睫を瞬かせた。
けれど結局は逆らわず、オルドラン・グースの後に付いて扉の向こうへと姿を消した。その女性と、他の祭祀官もあとに続く。
乗せる客のない竜馬車は、車内が空のままその場を離れ、別の塔の方へと進んでいった。
あとには何も残らない。
扉が閉まり全ての音が遠ざかると、辺りの景色は再び霧に霞んだ。