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アモルファス  作者: 霧音
第四部 諸国巡り・弐
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三十七ノ五、遠き影

――水の宮とも称される、古くからの港街アリステラ。


 今は龍王水鏡の態の一つ『禍牙』の腐術によって穢れ、魔と怒りの徘徊する混乱の中にある。人々は礼拝堂や学び舎、集会所などに籠り水魔の襲撃に耐えている。


 特に攻防が激しかったのが、アール湖を背にしたアリステラ聖殿で、大階段から門へと続く庭園まで水の魔物が埋めつくす有様だった。

 残留していた聖殿騎士や祭祀官、駆け付けた有志の私兵団などは大扉を守って決死の防戦をしていた。


 そんな禍乱の最中、アリステラ聖殿を間近に見下ろす大図書館の屋上部分にまでロナウズは辿り着いていた。


 辿り着いてはいたが、突然の変調により身動きが取れなくなっていた。

 ロナウズは両手両膝を地に付いたままで、消し飛びそうな意識を抱え、五感はすでに塞がれている。


 自分の背後に人影が現れたことにも気付かない。

「――」

 何者かがロナウズに駆け寄り、首に手を回した。


 手荒く上体を引き起こすと、上から片手でもって喉元を捉える。

 自然と頭が上を向き、その者――男はロナウズの顔を覗き込むようにして声を掛けたが、反応はない。


 さらに強く首を、喉元の一点を覆うように握りこむ。


 息が詰まるかと思われたが、今のロナウズには肉体の感覚は遠い。額にも、喉元にも、体のあちらこちらに亀裂のような光の筋が奔っては消える。


 両膝をついたまま背を反らし、顔を天へと向けるその姿勢はある種の救済を求めるかに見えたが、実際に男の手を通して癒しの力は注がれていた。


――天からの力だ。

 望むと望まざるとにかかわらず。


 しばらくして反応があり、ロナウズは薄く瞼を開く。

 今だはっきりと見えない視界の中で、見知った老人が自分を見下ろしているのがわかった。


(……レコー……ダー……)

 わずかに口元は動いたが、声は出なかった。


「――まだ動くな。……刻印が自己修復するまで待て」

 レコーダーの声は耳には遠いが、言っている意味は伝わった。

 ロナウズはようやく呼吸がままならないことに気付き、しかしこれを堪えて苦悶に眉を寄せる。

「辛抱しろ。私も命懸けなのだ」


 膝を付いたままのロナウズの後ろに立ち、レコーダーは片手でもって上から喉元を掴んでいる。

 中腰の姿勢ながら、周囲を確認しようとしてか視線を巡らせる。


 大図書館の外壁は延伸されて高い囲いとなっている。

 聖殿から見上げると高い壁が続く長大な建築物だが、その最上階は外からは窺えぬちょっとした景勝地でもある。


 壁の内側は複数の施設を繋ぐテラスさながら。目の前にはアーチ状の大きなくり抜きがあり、アール湖の絶景を臨むことが出来る。

 下を覗けばアリステラ聖殿も見えるはずである。


「よりにもよってライブラリーの真上とは……ほとほと手を焼かされるものだ」

 レコーダーは頭を緩く振り、独り言つ。


 呟きはロナウズの耳に少しずつ聞こえるようになっていたが、ロナウズは詰まる呼吸の中で過去にも同じ体験をしたことを思い出していた。


(――あれは……誰の手だったか)

 ぼんやりとした意識の中、同じように老人の手であったと感じている。

(そうか……あの時の手……。あれは、私を助けようと……?)


 古い記憶が甦る。

 あの時はただ恐れと、幾ばくかの諦めがあった。


 意識を失うまで首を抑え込まれた。

 だが、幼かったロナウズは抵抗しなかった。

 その一件はロナウズや家人に衝撃を与え、その後のロナウズの心に暗い影を落とし続けることとなる。


 何度も、記憶と疑問を反芻した。

『なぜ祖父は、あのような凶行に走ったのか』と――。


 ロナウズは腑に落ちたように目を閉じた。

 今もまた、ロナウズは逆らわずただ従っている。

 一点違うのは、レコーダーに対しては恐怖を抱いていないことだ。


 レコーダーの手を通して、喉元の一点に力が注ぎ込まれているのがわかる。

 レコーダーの言う修復が進んでいるのか、少しずつ変調が治まってきているのがわかる。

 

 と、同時に肉体の感覚が戻ってくると、いよいよ息が詰まってロナウズも咳き込んだ。

「レ……レコーダ……」

 ようやく言葉が声となる。

 不自然に首を反らしているので名を呼ぶ声も途切れたが、レコーダーもこれに気付いた。

「おっと、苦しかったか。……まぁ良い、その苦痛も肉の感覚よ」

 レコーダーは少しばかり手を緩め、しかし喉元に当てがった掌は離さずにする。


 アリステラ聖殿ではいまだ激しい戦闘が続いている。

 ロナウズの耳にも体にもその音は戻ってきていた。


「……レコーダー……私は」

 声を出すと声帯が震え、刻印が反応を示すのがレコーダーの手にも伝わった。

「いやはや……危ないところだった」

 レコーダーもようやく安堵の笑みを浮かべる。


「あと一歩遅れていたら、そなたはライブラリーに大穴を開けていたかも知れんな。囚われの子よ」

(……ライブラリー?)

 ロナウズはレコーダーに問うように視線だけを向ける。

「人の生命素とは、そのくらいのパワーがある。星が破裂するかの如く」


――暴発。

 そう呼ばれる現象だ。


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