三十六ノ十、異なるもの
――同じくファーナム市。
聖殿から離れた街中にエルファス・ラグレーは居た。
通常、第四騎士団はファーナム聖殿かその寄宿舎以外で活動することはないが、騎士団幹部であるエリファスには何かと特例が当てられる。
エリファスはもともと第二騎士団に所属していた。
第二騎士団はファーナム市内の治安維持を主とし、街中の警邏などを行う。
エリファスも当時から街の表から裏まで隅々歩き回り、時にその剣を振るう役目にあった。自然と良からぬ人や物に触れる機会も多くなり、現在の『騎士らしからぬ』エルファスを形作ることとなる。
当時からエリファスは心身共に不安定な部分が多かった。
任務の内外でも剣で騒動を起こすことが多々あり、第二騎士団はエリファスを持て余すようになり、ついには処分を受けるかというところまで来る。
そこを掬い上げたのが第四騎士団長のベルセウス・アレイスである。
エリファスの不調は適合者であるためと見抜き、それを安定化させる措置を取り、第四騎士団へと引き抜いて自分の手元にも置いた。生来、他人への依存度の高いエリファスはアレイスに絶対の忠誠を誓うことになる。
アレイス側も、エリファスを巧みに使いこなした。
エリファスの特例は、ほぼアレイスが許可した行動でもある。エリファスにとってはアレイスの言葉こそが主命であり、それ以外は些事だ。
――今も掟外にファーナムの下町を歩いているが、その用件自体は遺失物を信者の手元に届ける、というごく普通の頼まれごとである。
問題はその際に不審者に遭遇したことだ。
まったくもって見慣れない老人に出くわした。
もとより巡礼などの滞在者の多い街ではあったが、そういった人々にはない『異質』さがその人物にはあった。
「そこのあんた、待ちな」
乱暴に声をかけて歩き出す時には、もう腰の剣に手を掛けている。
見咎められた老人の方も、すぐに気付いて振り向く。
「……おや、私のことか? お若いの」
軽い嘲りを込めて応えながら、眼鏡の弦に触れる。
それはギミック技術者が目の保護のために着用する遮光眼鏡――老人の正体はローゼライト・アルヘイトその人だ。
隣街のアリステラ市から逃げ出し、ファーナムへと忍び込んだ所だった。
ギムトロスと違いこれという変装などもしていないが、不思議と周囲の人々はローゼライトを気に留めず、その姿を視界に入れても素通りしてしまう。
だがエリファスは「目」が違った。
「そう、あんただ。さすがに俺も、こんなのは初めて出くわしたな」
エリファスは迷わず、剣を抜く。
対するローゼライトも、常人とは違う目利きを持っている。
「……その剣……」
ただの武器ではない。
しかしジェム・ギミックの類でもなく、炎羅刀や雷光槍などの龍王に属するものでもない。
ローゼライトの識る、どの術系にも該当しない。
となれば――。
「その剣、地上の物ではないな?」
彼らしくなく、その相貌から表情が消える。
エリファスはその様を見て鼻で嗤う。
「さすがにバケモノは、その苦手とする物には敏感だな」
「こいつは、あんたを殺せる剣だぜ?」
「……」
ローゼライトは、素直に感心している。
確かに厄介そうな代物ではある。
が、恐怖心や怒りに囚われるほど無鉄砲でもなかった。
「……その自慢の剣で、ただの老人から命を奪うと?」
そして自然な仕草で手を、腕を動かした。
(この者……頓着がない。自ら望んでそうする者か)
ローゼライトは、エリファスに潜む凶暴性を見抜く。
見抜いたからこそ。
「となれば、私は退散するしかない。見なかったことにして、この場は逃がしてもらえまいかね?」
ローゼライトは元の作り笑みに戻り、慇懃に会釈した。
明かな挑発、エリファスもこれを受けて柄を握り直し、手首で剣を躍らせる。
「この界隈じゃ何人も斬ったからわかる。昔の俺ならあんたみたいのはむしろ野放しにしたもんだが……今はアレイスの命令だ」
剣の切っ先はまっすぐにローゼライトに向けられた。
「あんたは悪意を持ち込む類の輩、人の形は見せかけだ」
「……なるほど」
幾つかの言葉を交わし、ローゼライトは結論付ける。
(快楽主義……そして脅威なる聖剣。だが、それ故に危険性は大したこともない)
そして身を翻した。
「――!」
エリファスが斬る動作に入る前に、老人の姿は幻にかき消えた。
ローゼライトにすれば、手慣れた遁走である。
有無を言わさず斬り掛かられたなら、さすがに命は無かったかも知れないが、今のエリファスは飼い慣らされた凶器だった。
「くそ……っ、とぼけやがって」
悪態とともに剣を納める。
直感で言うならその老人は只者ではなく、厳なるベルセウス・アレイスであれば即座に斬り捨てるよう命じただろう。だが、今はアレイスは此処には居ない。
その隙間を、巧者であるローゼライトが突かないはずもなかった。
そしてローゼライトの持つ『忘失の龍相』――たちまちにエリファスの中から、ローゼライトの大まかな記憶が抜けていく。
急速に失われていく殺意に、エリファスは力なく首を垂れる。
なにをもって老人を斬ろうとしたのかも、うまく思い出せない。
(老人……? 俺が、今更?)
エリファスは柄を握っていた掌を見る。
血に塗れた、といえば陳腐になるがエリファスの斬るべき対象、恰好の獲物と思うには只の老人ではつまらな過ぎる。
抜け落ちていく記憶。
頭の隅に残った引っかかりすらも、そのうち消え失せてしまった。
エリファスは、ファーナムに紛れ込んだローゼライト・アルヘイトという大物を見逃してしまったのである。