三十六ノ六、十二の文字
「ライオネル、わかったかも知れないぞ」
タナトスは少し得意気に言う。
「神聖文字、その一文字目はツーでなくフだ。」
「え?」
「一番目の文字はフ。フの文字から始まる単語がハノーブ。二番目はフルのフロントだ」
「……」
アルファベットで例えるならアップルのA、ブックのB、次はCといった要領である。
日本語に例えるなら「あいうえお」ではなく「いろはに……」である。
「十二の杭や天体図の並びでなく……文字順だと?」
「あぁ。この碑文を刻んだ者は恐ろしく無頓着だな」
タナトスは見ろ、と碑文を指さしながら文字を読む。
「一段目がフ、フル、ヴ。次の段がツー、スゥ、ルー」
ライオネルも頷く。
「三段目がアゥ、ボウ、ク。残りがドゥ、ベー、ハー……」
ハノーブのフを先頭に十二宮の頭文字が並び、十二番目はアリステラのハーである。
「十二文字を順番通りに、四つに区切っているだけだ。だから方位もエレメントも滅茶苦茶。……わかるか?」
「……」
ライオネルはしばらく考え「確かに」と頷く。
「僕らは碑文を見てまずこう思った――これは十二宮だ、一の宮はテルグム座で十二座は各方位に収まるはず。エルシオン神話ならこうなるはず――この考え方自体が思い込みなわけだ」
「む……なるほど」
ライオネルは釈然としないながらも、頷く。
「では、その先入観を排除したとして。兄上はこの碑文は何を記したものだと考える?」
「……そうだなぁ」
再びタナトスは考える仕草で石を見上げる。
「エルシオンと龍族の文化の融合……その意図は感じる。それが何であるかはわからないけれど」
タナトスは十二番目のハーの文字を指さし、石の裏側へと回り込んだ。
順番通りであるなら、次は十三番目の文字のはずである。
「おや……? 裏側も同じ碑文だ」
改めて確認してみると、裏側にもハノーブ座から始まりアリステラ座で終わる十二座の並びである。
これは、表と裏どちらからでも読めるということか?
今度は、ライオネルが首を横に振った。
「いや、そうじゃない。この手合いの碑文、両面に彫られているのなら、二回読むのが正しいはず。石の周りを巡りながら」
先入観は捨てろと言われつつも、まずは決まり事を試してみる。
「巡る……? 一巡りで同じ碑文を二度読む……? 十二の宮の名が……二回……」
二人は同時に思い当たる。
「――暦か?」
「有り得る」
龍人族からすれば、かねてからの疑問でもある。
「タイレス族にとっての一年は十二の『月』――我々の短期暦の半分程度だ。だが裏と表合わせて一年とするなら、数が合う」
つまり龍族、龍人族の短期暦一年は、タイレス族にとっての約二年なのである。
龍人族から見れば、タイレス族は半年ごとに新年の儀式を執り行い、年齢の数え方もおよそ二倍になる。
そしてタイレス族やエルシオンは、不思議と十二という数にこだわる。
天空神を祀り天を崇めるエルシオン信仰であるが、その暦は実際の天文現象とはズレがある。
しかしタイレス族は月によって日の数を変え、その差を賜りの日と称して儀式などに宛がい、強引に辻褄を合わせている。
合理的な龍人族から見れば、なんとも不便で紛らわしいと感じる。
龍族の暦は十を基準とし、四十日を一単位として積み上げていくだけだ。十七の星座が天空を巡る頃には四季も一巡し、余剰分の日数は新年を迎えるための儀式の期間とされる。
龍暦では『月』ではなく、星座が暦を区切るのである。
「――となると、四つのグループはやはり四大龍王を表しているか。共通の短期暦を作ろうとしたのかも知れない。方角が出鱈目なのは、まだ大陸が回っていた時代に彫られたからだ」
タナトスは碑文をそう予想した。
まだ大地に杭が打たれる前の時代だからこそ、碑文も真円に描かれていないのだと。
その時代に生きていたのは古代龍族とエルシオンの民、そして最初のものたち――キメラだ。
「では此処は、先史時代のエルシオンの遺跡だと?」
それもエルシオンの民自身の手によるものだ。
「……だとしたら、面白いと思わないか?」
タナトスは断定を避ける言葉を口にしたが、ライオネルの方も納得している自分に驚いている。
(水プラントを支える古代龍族の魔力の石……今もなお魔力炉として生きていて、此処の白石をも動かしている……?)
「絶滅したはずのキメラ達が生きているのも、古代龍族の魔力源の恩寵だろうか……」
「あるいは、その番人――ガーディアンなのかもな?」
サドル・ノア族も龍座の傍らで暮らし、それを守るガーディアンだと思われた。
ノルド・ノア族が守ってきた本当のものも、これなのだろうか。
「……」
ライオネルはまだ考えている。
そして、ふと別のことを思い出した。
「……確か、エルシオン信仰のゼロ基点は大地に十二の杭が打ち込まれた瞬間でしたよね」
「うん? そう、だったかな」
タナトスは思い出しつつ頷く。
「なら『はじまりのうた』の欠落した一行……大地は三度回る、に矛盾はないのかも」
ライオネルはその脳内で閃きのようにある図を見ている。
「矛盾?」
大地は三度回った。
大地は輪になった巨大な龍でかつては浮島のように回転していたという。
ライオネルは言う。
「大地はぐるぐると無闇に回転したのではなく、九十度ずつ三回目まではきっちり回ったのでは? その後の十五度分のところでそれが止まった――エルシオンによって杭を打たれたから。それが今の炎羅の時代……」
ライオネルの考えは、地図で表すとわかりやすい。
正しい一の宮がハノーブ宮だとすると、本来の『北』は現在のファーナムとなる。
龍族の長期暦は四大龍王が順繰りに『北の玉座』に就いて一巡りとする。
これは龍王が北に赴くのではなく、大地の方が動くという。炎羅ならば炎羅宮が、翠嵐ならば翠嵐宮が正しく北となるよう、大地はゆっくりと回る。
それ自体が巨大な時計であり、暦でもある。
「今の世界の始まりが翠嵐からだとすれば、次が雷光、今の龍王炎羅で三回目……長期暦とこの碑文そして『はじまりのうた』は合致する」
回る角度は九十度ずつ時計回り。なぜ時計回りかというと、十五度の傾きが時計回りの方向に向いているからだ。
龍王炎羅の時代のごく初期の頃。
この時に十二本の杭が出現し、大陸自身が刻む時は止まったのである。
タナトスは聞き手として頷いた。
「……成るほど。その読みが正しいとすると『はじまりのうた』で唯一、時が語られていることになる」
聖碑文では一つの文章には必ず複数の読み方と意味がある。
「歴史上の出来事と実際の地形の変化。それがいつだったのかが謳われているわけだ」
「もしかしたら――」
「この壁画は、もっとも古くもっとも正しい聖碑文なのかも知れないな……」
改めて碑文の壁を見上げる二人である。
龍人族の間では大陸が回るという話はそう突拍子もない内容ではない。エルシオン以前の長い時を、浮島は回り続けていたのだから。
毒と嵐の大海を彷徨う浮島。
古代龍の眷属たちは守られ、安全な地下帝国で生き延びた。常に動き続ける浮島は、六肢竜族や外海の魔物などあらゆる外敵を寄せ付けなかったのである。