三十六ノ二、裸足の行進
「――ところでライオネル、一つ訊ねていいか?」
不意にタナトスが何度目かの質問を投げて来た。
ライオネルとしても、この状況では問われたことには素直に答えるつもりでいる。
えぇ、とのみ返事をする。
「お前が産まれた時の話を、母クロエ殿や他の誰かかから聞いたことはあるか?」
「え……?」
予想外に身内の話である。
よもやここにきて思い出話もなかろう、とライオネルも考える。
「そう、だな。……たしか、難産だったからレヒト聖殿にある施療院に入った、とは聞いたことがある」
他の街の聖殿と同じく、レヒト聖殿にも施療院なり神学校なりが併設されている。
帝国の中で、そこだけはエルシオンの領域だからだ。
「ふぅん、レヒト聖殿……か」
タナトスはというと、何か納得するものがあったようだ。
当人であるライオネルには話の真偽はわからないが、特に不自然さは感じない。
「確かに、ノア族の女が里を離れて子を産むのは例外的ではあるらしいが」
「レヒトには我らが父の居城もある。……何か、気になることでも?」
ライオネルの問いに、タナトスは言う。
「その話……カーマインの方でも似たような筋書きでな」
「というと?」
「あいつの時も、レヒト聖殿だったそうだ」
「……えぇ」
ライオネルも頷きはしたものの、改めて聞かされると奇妙だと感じる。
龍人族の女が、エルシオンに関わる施療院で出産など有り得るのだろうかと。
カーマインの母グロリアは龍人族の名門、アステア家の者。レヒト聖殿はおろか、夫アウローラの居城ですら許さないだろう。
「龍人族の女が龍の谷を離れ、他種族の前で子を産むなど絶対に無い。だがその時は龍王炎羅が立ち会った為に無理が通ったと」
にわかには信じ難い話である。
「龍王……炎羅? まさか」
「おそらく、お前の時も炎羅は立ち会ったのだろうよ。その為にクロエ殿はレヒトに居たんだ」
「……炎羅が、レヒト聖殿に?」
「もしくは、炎羅宮の中で出産したか。どっちにしろ、表沙汰にはならない」
タナトスの情報網に関してはライオネルも信頼を置いている。
「さすがにそれは……聞いたこともなかった……」
「しかし何故? 我々が皇帝アウローラの子だから?」
「それもあるが……ガーディアンの子、だからさ」
それも、他の例のない龍人族のガーディアンの子である。
当人たちにとっても、謎でしかない部分だ。
「ガーディアンの子は地上では命を保てない。だがお前たちも、私も、こうして生き長らえている。レヒト聖殿で、龍王炎羅の立ち合いの元に……何かが行われたんだろうよ」
「何かとは?」
「さぁな。レコーダーもそこはわからんと言ってたな」
「……レコーダー?」
唐突に魔人の名前を口にするタナトスである。
ライオネルもレコーダーには数度会っているが、レコーダーがライオネル自身に会いに来たのは一度きりだ。
「あの男に何か聞いたか」
ライオネルは問いを重ねたが、タナトスは答えない。
(よもやあのレコーダーまでが情報源とは……兄上なら有り得るか)
ライオネルはレコーダーについて問い詰めるのはやめ、話を戻そうとする。
「では、貴方の時は? 兄上」
貴方もレヒト聖殿で、と尋ねようとするライオネルを、タナトスが片手で制した。
ライオネルもすぐに察した。
「――何か来る」
素早く岩陰に隠れた。
タナトスは手にしていた灯りを隠し、ライオネルも身を伏せた。
数秒の間、洞窟内は暗闇に戻る。
遠くの水音、ギミック音らしき低い反響音、洞穴を抜ける風の音……。
遠くから雑音が近寄って来る。
複数人が歩いているらしき音、話し声。
岩壁でゆらゆらと揺れる、灯りの色――。
タナトスとライオネルは用心しつつ岩場から確認する。
五人、七人、いや十人近い者が隊列を組んで歩いているのが目視出来た。
それぞれ灯りを手に、柄の長い武器を担いで進んでいく。そのまま岩壁の向こう、洞穴へと入っていった。
タナトスは姿勢を戻して小声で言う。
「……行ったな。どうやら、やつらが叔父貴殿の言っていた『彼ら』だな」
「えぇ。プラントに向かったようだ」
「侵入者の気配を察して駆けつけたのだろう」
叔父も言っていた。
今日はノア族がプラントに立ち入る日ではないから、怒らせたくないと。
タナトスは服の中に隠していたトーチを取り出して言う。
「同じ物を持っていた……プラント周辺にこれを置いて行ったのは彼らだな。テリトリーに撒いてるんだろう」
ギミック製の物と違い、ほのかに緑色の光を放っている。先ほどの一団も同じ色の灯りを手にしていた。
一見すると丸いガラス質の瓶にも似て、密封された中には液体が満たされている。持ち手など外側の形状は洗練されていて、揺らしただけで液体が発光するという見慣れない物だ。
タナトスはもう一度ライオネルに問う。
「……どう思う?」
「警邏兵、かな。甲冑を身に着けている音だった。部隊としても体を成していた……だが言葉の方は聞き取れなかった」
タナトスは頷き、さらにライオネルに言う。
「もう一つ、気付かなかったか? やつらの足音」
「足音?」
「裸足のようだった……」
まさか、と眉を寄せるライオネルだが、タナトスの言葉は疑わずに聞いている。
判別出来ない言語、組織での行動、技術力も高い。
なのに裸足で歩いている?
「少なくとも、我々とは文化が違うようだ」
彼らが何者なのかはわからないが、思い当たるふしはある。
「洞窟に隠れ住むという、まつろわぬ者……か」
先ほどの者たちがそうだとしたら、厄介そうではある。
「なるほどな。今のが噂に聞く『案内人』なら、迷い込んだ旅人を殺すという話も頷ける」
暗闇の絶壁の下には肉食の水棲生物、侵入者を惑わす術と罠、加えて物騒な住人ときた。
気軽に通り抜けられる抜け道などは無いということか。