三十五ノ二、祝福
ウエス・トール王国。
テルグム城の最下層。
白砂の川を上り、ヴィダルカによって秘密の入り口に案内されたバーツとイシュマイル。
テルグム城と同じ、黒い壁に囲まれた小さな船着き場へと降りた。傍らではヴィダルカがロープを使って船を泊めている。
「こいつぁまた、真っ暗だね」
バーツは皮肉めいた口調ながら、秘密の入り口なる場所を楽しんでいる。壁の灯りは少なく、天井は上に行くほど狭くなっている。
すぐ近くに急な階段――というより詰み上げた巨石そのままの段差の上に、木の扉が見えた。金属の枠組みと文様が施された重たい扉である。
「うわー……まさに脱出口って風だねぇ」
イシュマイルも気楽な口調でいるが、実際に六十年前には此処を抜けて命を守った人々が居る。フィリア・ラパンもその一人である。
「なんなら賓客として持て成されたいかい? フィリアに会うのが数日後になっても、さ」
ヴィダルカも冗談で返している。
ヴィダルカは二人の隙間を抜けて段差を上がり、懐から大袈裟な装飾の鍵を取り出す。木の扉の鍵穴に入れた時、わずかながら魔力が発動したのをイシュマイルも感じた。
重い扉を向こう側に押し開き、ヴィダルカは背で扉を支えるようにして道を空ける。
「さ、通ってくれ。ここから先は、別の者が案内する」
そう言って、手のひらを上にエスコートするように指し示した。
まずバーツが、続いてイシュマイルが扉をくぐると、その先も黒壁の部屋である。幅狭く天井だけがやけに高い通路となっていた。
通路の先には、祭祀官に似た装束の男が二人立っている。
(祭祀官……じゃない)
イシュマイルはすぐに気付く。
彼らは人形かと思うほど、表情がなかった。
バーツも、口にはしないが思い出している。
(こいつら、オペレーターってやつか?)
以前にドロワ聖殿の地下で会ったオペレーター、それと同じ気配がする。
ともかくも、バーツは反応の薄い彼らに声を掛け、イシュマイルはそっと後ろを振り返った。
ヴィダルカはまだ開いた扉を背に、腕組みしつつ凭れていた。
先ほどと同じく手のひらを上に、行け、と品のある仕草だけで促す。
イシュマイルも頷きで返し、バーツに続いて先を進んだ。
その先は普通の段差の階段が長く続いていた。
最下層の川から、高台にある拝殿の高さまでその階段は続いている。
(さすがにリフター……じゃねぇよな)
ファーナムのような機械式のリフターではないし、ドロワで使用した魔術的なリフターでもない。ただ『普通の』階段よりははるかに早く、上層階に向かっているのは感じる。
一段踏むごとに数十段分の上昇、登っている当人たちにはその感覚はない。
聖殿の階層まで来ると、いきなり広い部屋になっている。
狭い階段室から抜けたものの、すぐには平衡感覚が追いつかずイシュマイルは壁に手を付く。
(――この感触)
黒い壁、だが手に吸い付くように滑らかで、石の冷たさも感じない。
(シップにあった柱とおんなじ……)
オアシスに向かう道中、アシュレーに案内された砂船。そこでテルグム晶石の石柱に触れた。
それは夢で何度もみた黒い船の壁と同じもの――。
「どうした、大丈夫か?」
バーツが声を掛ける。
ドロワでリフターに乗った時も感覚が狂ったが、今登った階段も似たようなものだ。バーツは説明はしないが、イシュマイルを気遣ってはやる。
「ううん。ちょっと、ね」
イシュマイルも何を言おうかと少し考えている。
「……ねぇ。ここの壁も、黒いテルグム晶石なんだね」
「あ? みたいだな」
「不思議。川の砂はあんなに白いのに」
テルグム聖殿は造り自体は巨人建築らしく天井が高いが、その厳めしさと圧迫感はかなりのものだ。
港町の黒壁といい、古都テルグムは全体的に重厚な印象を受ける。
「……お静かに」
さきほどまで無言だった案内の男が、そっと注意する。
見た目よりは優し気な声音であったが、それもそのはずでこの階層は礼拝堂となっている。
壁の向こうをそっと覗いてみると――。
一家族ほどの信者が祭壇前にいて、どうやら新生児の祝福を行っているようだった。
離れているイシュマイルたちの耳にもたおやかな祝詞が聞こえ、拍子を取るためか鈴が定期的に鳴らされている。
(子供……いや赤ん坊……)
イシュマイルは、吸い込まれるようにその光景に見つめている。
祝福を与えているのは、他より一回り背丈が低い祭祀官――少女である。
(どうやら……あれがフィリアだな)
バーツは一目見るなり、納得したように呟く。
「……なるほど。そういうことか」
しばし、祝福が終わるまでの時間を待つ。
「なるほどな。どおりで周りが『ガーディアン・フィリア』って呼ばないわけだ」
バーツはフィリアに顔を合わせるなり、そう言い放った。
家族が立ち去った後の礼拝堂はまだお香の煙と匂いが残っている。
フィリアはというと、その白い肌にわずかに作り笑いを見せただけだ。
とても在位五十年を超えているとは思えない、あどけない少女の顔である。
身に着けているものは女性祭祀官の装束、プラチナブロンドの髪。黒い壁を前に真っ白な人形を見るようである。