三十四ノ九、金箔金
「ローゼライト! 術を止めろ!」
水の魔物を切り伏せながら、ロナウズが声を張り上げる。
アリステラの街に現れたローゼライト・アルヘイト。
そして龍王禍牙の腐術――。
ローゼライトの放った禍牙の泥土は周囲へと広がり水の魔物は増え続けている。アリステラの街を覆うように外海と同じ毒素の空気が漂っていく。
その中にあって、炎羅刀を振るうロナウズとサグレスだけは周囲の敵を殲滅し続けていた。
「ロナウズ!」
なおもローゼライトを追おうとするロナウズを、サグレスも追いながら敵を斬った。剣を炎羅刀とやらに持ち替えた為か、月魔に比べ手応えを感じない。
斬ればたちまちに水に戻り地面へと崩れるのだが、またすぐに別の魔物が沸き上がる。まさに溢れる水の如くでキリがない戦い。
「待って、ロナウズ!」
ともかくも行く手を塞ぐ敵だけを切り崩していく。
一方の追われるだけのローゼライトだったが、危ないと察したか逃げの手に出る。
壁を一足蹴ったかと思うと、あっと思う間もなく三階ほどの高さの民家の軒まで飛び乗った。
「と……飛んだのっ?」
サグレスならずとも初めて目の当たりにする浮遊の術である。
ロナウズもさすがにこれを追うことは出来ず、ローゼライトを見上げる位置で足を止めた。
「ローゼライト!」
ロナウズは彼らしくない怒号だけを浴びせる。
ローゼライトはというと二人を悠然と見下ろすだけで、何かを諭すように人差し指を立て首を振る。落ち着いて話を聞け、と仕草だけで伝えている。
「この状況で今更何を――」
サグレスが追いつき、ロナウズの周囲の魔物を斬り払うと背中合わせとなって叫んだ。
「ダメだわ! 増える一方よ!」
悲鳴にも似た、切迫感のある声音。
「……サグレス」
ロナウズはこのようなサグレスの気弱な声を聞いたことがない。
「サ……いや、シンシアン」
周囲を水の魔物に囲まれた状況ながら、ロナウズは一呼吸置いて努めて落ち着いた声で呼びかける。
「腕を上げたな」
「……っ」
サグレスも何かを思い出し、息を呑む。
互いに背を向けているので表情はわからないが、その一言でサグレスも冷静さを取り戻した。
「……当然でしょ。私の目標は高いの」
そうサグレスは、少女の頃の口癖で返した。
「目標?」
ロナウズもその目標が何なのかは聞いたことがない。
サグレスは今回も答えず、自分の前の敵へと剣を構え直した。
「でも……やはりこれでは埒が明かないわ」
「そうだな」
二人は迫って来る敵を切り崩してはまた背中を合わせ、その場の防御に努める。
「打開の策があるとすれば……」
「この穢れた泥土の浄化」
「――アリステラ聖殿、ね」
互いに確認し合うと、ロナウズは屋根の上のローゼライトを睨む。
ローゼライトは相変わらず暢気そうな笑みで見下ろしているだけだ。
「バスク=カッド。君は確かに金龍相だが……やもすれば翳りがあるな」
「……」
ロナウズは一瞬剣を止めてローゼライトを睨んだが、すぐに目前の敵へと集中する。
「ふぅむ……その性質、どちらかといえば黒龍相だな。例えるなら……金ではあるが金箔の金、といった所かな? 他者を輝かせるために美しくあろうとする金だ」
そしてこう続ける。
「私と似たようなものだ」
「私の役目とは……父の偉業を輝かせ、忘れ去られること――」
ローゼライトの、忘失の相。
「言ってみれば、わたしはスペアだ。家名存続の為に生まれたスペア。……だが『父』がもっと大きな家名を背負ったために捨てられた。そのことについては、恨みはないがね」
ローゼライトは暫時、遠くの空に目をやったがすぐにロナウズへと視線を戻す。
「……君もそうだろう? バスク=カッド。家名の為、ハロルドのスペアとして存在する……『弟』だ」
ロナウズは言葉を無視して水の魔物を切り伏せていたが、ようやくローゼライトへと問いを返した。
「何が言いたい!」
「そう怒るな、君には親しみを感じると言っているのだ」
ローゼライトは笑みを保ちながらも、声音には哀愁を乗せて言う。
「私はスペアとして生き、忘れ去られることに抗おうとした。その結果がジェム・ギミックだ。……だが、君は?」
「……なに?」
「君には抗うという意志は無いのかね、と尋ねている。私には、君が何もかも諦めた老漢には見えないのだがね」
「……」
「その目……今だ獲物を狙う獣だよ。君はまだ十分に世界を動かし得る力なのに、何を隠し持っているつもりだ?」
ロナウズは答えず、黙れとばかりにローゼライトに向けて剣を一振りする。
「おっと、これは――」
剣筋に光が奔り、未熟ながら雷光槍の衝撃波がローゼライトの足元で屋根の瓦を粉砕する。
ローゼライトは大袈裟にこれを避けて、さらに数歩下がる。
「まったくもって……器用なものだ」
次々と自分の予想を上回るロナウズに対し、半ば諦めたように肩を竦めるローゼライトである。
「やぁれやれ……慣れぬ荒事はするものではないな」
「ともあれ……バスク=カッド探しは空振りというところか」
苦笑いでもってバスク=カッドへの賛辞とした。
「例え再生相だったとしても、とても甥御殿と気が合うとは思えんよ……」
ローゼライトが別の目的に切り替えようとした時。
『――そのようだな、小僧よ』
不意に、全く別の角度から声がした。