四ノ三、欺瞞
それは家紋を記したタペストリーで、魔術用の杖とそれに絡まる蛇のような姿の龍が描かれており、その背後に稲光が数本走っているという図柄の紋章だった。
イシュマイルは知らなかったが、それはアルヘイト家のエンブレムで、一族が古くから魔術を行使する家柄だという証でもある。アルヘイト家は、特に雷を操る術を得意をしていた。
こういった術は過去の遺物の一つで、とうに失われたものだと多くの人は信じていた。
ふと思い当たって、イシュマイルはようやく口を挟む。
「……あの。お二人は、ガーディアンですか?」
アイスとライオネルは、驚いてイシュマイルを見る。通常の人間にはガーディアンか否かということは判別がつかないからだ。
ややあって、アイスが答えた。
「え、えぇ。そうよ。八割方正解、かしらね」
残り二割の不正解は、ライオネルがガーディアンではないという意味だが、イシュマイルにはまだそういった人種をよくわかっていない。
不思議そうにしているイシュマイルに、アイスは問う。
「何故わかったの?」
「……」
イシュマイルにも根拠まではわからなかったが、ともかくも答える。
「なんとなく、バーツやレム――いや、レアム・レアドの時と似たような気配を感じたから……」
イシュマイルが言葉を濁したのは、ガーディアンでないロナウズもその中に含まれていたからだ。
イシュマイルの答えに、ライオネルとアイスは顔を見合わせる。
「なるほど。納得がいく答えではあるわね。比較対照の人選には文句をつけたいところだけれど」
アイスは大きい素振りで頷いてみせる。
アイスという女性は、その動作の端々が娘のようにあどけなかった。
どこか浮世離れして見えるのは、彼女がガーディアンとしての独特の感覚を有しているためでもある。
「……ところで」
ライオネルが咳払いして、急に話題を変えた。
「悪いが、君たちの身の振り方が急に変わったことを知らせておく」
イシュマイルと、そしてアイスがライオネルを見る。
「今夜をもって、君たち祭祀官や市民、捕虜をドヴァン砦から解放することになった。行く先はドロワの街だ。君たちを移送する」
「ドロワですって?」
アイスが詰問するような声になる。
「君たちの解放は再三要求されてきたことだからね」
ライオネルは、アイスに答える時だけは妙に軽妙な声音になる。
「解放でなくて厄介払いじゃなくて?」
アイスはぴしりと言った。
「あたしたちが内側にいたら挟み撃ちされるかも、て思ったんでしょ?」
「無粋なことを……」
ライオネルがわざとらしい苦笑を見せる。
「君が私に歯向かわないことは、先刻承知だよ?」
「勝手に言ってなさい!」
アイスは声を上げたが、考える仕草で頷いた。
「……ま、いいわ。あたしも預かってる学生や祭祀官たちの安全が第一だもの。ドロワなら不足はないわ」
「成立だな」
ライオネルは両手を広げてみせる。
「なら、二人とも今すぐ支度にかかってくれ。ウォーラス・シオンは厳しい男だからね」
「ウォーラス・シオンっ?」
それまで無関心そうにただ二人のやり取りを見ていたイシュマイルは、その名前に反応した。そしてベッドの上で身を乗り出すように訊く。
「待って!レムは……レアム・レアドは?」
「……」
ライオネルは笑みを収め、その問いに冷たい表情で答えた。
「教える義理はないな」
アイスが横から意外そうに尋ねる。
「そういえばレアムの姿がなかったわね。いないの?」
だがライオネルは態度を変えなかった。
「君にも、教える必要はない」
「……」
アイスは少しふくれて、食い下がった。
「どういうことよ。もし本当にレアム・レアドがいないんじゃあ、万一攻めてこられたらお終いなんじゃないの?」
その口調は他人事、といった軽さでもある。
ライオネルは答えの代わりに、その横顔に自信のある笑みを浮かべるだけだ。
居るとも居ないとも言わなかったが、そもそも敵軍が攻めてこないのも承知の上だ。万が一、ドロワが約を破って侵攻してきたとしても、迎撃には十分間に合う公算がある。
「ま、どっちでもいいけど?」
アイスは負け惜しみのように言った。
「レミオールからすれば、ノルド・ブロスだろうとサドル・ムレスだろうと、同じようなものよ。どちらが勝っても狙いは大聖殿でしょ?」
そして扉のほうを向くと、ライオネルの真横で立ち止まった。
アイスはライオネルに小声でいう。
「つまり、レアム・レアドが戻る前に、あたしたちをドロワに放り出すつもりね?」
「……」
アイスはイシュマイルから背を向けており、ライオネルはイシュマイルを正面に見据えて、ただ微笑しているだけだ。
アイスはイシュマイルに聞こえないよう、囁くように続ける。
「……聞いたわよ、さっきレアムと揉めたんでしょう? この子のこと?」
「……」
イシュマイルから見えるライオネルの顔は、見事に仮面のような表情を作り上げていてその内面は読めない。
「一つ教えてあげるわ」
アイスが言う。
「この子、自己治癒の能力があるようね? 自覚はないようだけど」
「……!」
ライオネルがアイスの横顔を見る。
「あたしの治癒術は必要なかったわ。何故あたしが呼ばれたの?」
ライオネルは答えない。
レアム・レアドが治癒術を使っていたのは見ていたから、その治癒が効いていたのかとも思う。しかし、それなら何故レアムは治療を求めたのか。
「つまり」
アイスがまとめようとする。
「……レアムが治癒術を施した時には完治しなかった。それが、あたしがここに到着するまでの間に、どういうわけか綺麗に治った。それは多分この子自身の能力……そういうことかしらね?」
アイスは疑問形で問うたが、それが彼女の下した推測でもある。
ライオネルは答えない。ただ真正面にいるイシュマイルの顔を見ている。
イシュマイルもまた、ライオネルの顔をじっと見た。レムのことも気掛かりだったが、今は逆らえないことも理解していた。
我慢が出来たのは、この邂逅がこれきりでは終わらないと、そう心の中で感じていたからだ。