三十四ノ六、種
「……じゃあ、プレ・ノア族は『はじまりのうた』のどこに描かれてるんだろ」
少し考えを巡らせたのち、イシュマイルは改めて疑問を口にする。
「……」
ヴィダルカはなおも櫂を操りながら、しばし無言でいる。
「オレはな……トール・ノア、ラパンの者として、プレ・ノア族の正統血統と呼ばれる者として――そんな種族はいなかったんじゃないかと思ってる」
静かな声で、それだけ言った。
あくまで私見である、と断定は避けつつも。
「……その根拠も、聞いていいかい?」
バーツも心なしか声を低くしている。
エルシオンの教えとして聖殿で、神学校で当たり前のように教えられてきた事柄に異を唱えるのである。それがラパンの者とガーディアンとの会話であれ、デリケートな問題である。
「簡単なことさ」
ヴィダルカは饒舌ながらも注意深く話している。
「『はじまりのうた』を大真面目に捉えると、エルシオンと古代龍族との密な関係に踏み込むことになる。だがプレ・ノア族という便宜上の存在を挟むことで、エルシオンの威光だけで説明が事足りる」
「……というと?」
「自分たちはエルシオンの寵愛を一身に受ける存在だと……自尊心を満たすためさ」
ヴィダルカは言いながら、分厚い手袋を外し片腕の袖を捲った。
そして見ろ、とばかりに腕を前に出した。
ウロコのような模様が見えた。
またその肌もノア族の灼けた肌にまだらになって緑色に変質した部分がある。植物のような色と、葉脈のような血管が見える。
「これが……兎王の血統だ」
「たしかにこの姿をプレ・ノア族というのなら、そうかも知れない。トール・ノア族にだけ伝わる特徴だからな」
「……どういう意味か、聞いてもいいか?」
驚きに無言になっているイシュマイルを他所に、バーツは平然としている。
ガーディアンであるバーツにとっては、見覚えのある姿だからだ。
「初代兎王は、天上の民と同じ特性を強く持っていたそうだ。種族の差もなく性別もなく動植物の区別もない。全てを内包した存在……それがピュリカだ」
ピュリカとは、うつろう者。
儚き者であり、たやすく変容する者でもある。
「オレたちにあるとすれば自己の形、あるがままの姿だけ」
そう話すヴィダルカの口元には、笑うと牙がわずかに見える。
大きな手の先には長い爪、月魔を連想させるが月魔とは真逆の、生命力に溢れた野性的な姿。
「あるがままの、形……」
「オレたち人族は、刻印によって命と形を保っている存在だ……だがそれは全てを内包しているが故の選択の結果……。決して弱い存在だからではない」
そう話すヴィダルカの口調もまた、力強い。
「――伝承によれば、今の人族の形を決めたのは古代龍族だということだ」
ヴィダルカは袖を直し、また櫂を掴み直して話を変えた。
「古代龍族が? 人族を?」
「あぁ。エルシオンの民を真似た姿だとも言われるが、ニンゲンとは入れ物のことだ」
「……入れ物」
「なんでも、大昔に古代龍族が敵対する存在を退治するために作った『器』だそうだ……単体では退治できないバケモノも、器に封じれば壊すことが可能になる」
この話は龍族、龍人族にだけ伝わるものだ。
比喩とも御伽噺とも付かないが、多くの龍人族がこれを歴史の一つだと教わって育つ。
「パケモノって、どんな」
バーツも初めて聞く昔話には耳を傾ける。
「さぁなぁ。伝承によれば、実体もなく命もなく外から壊すことの出来ないもの、それでいて古代龍族を根絶やしにせんほどの力と悪意の塊だった、と……」
「その大きさは、古代龍族ですら持て余すほど巨大な存在だったらしい。だがその『入れ物』はそれを全て収めることが出来たという」
「ふーん。で、その『入れ物』ごとバケモノを壊して退治した、と」
「そうだな」
この入れ物を壊した英雄が龍人、アヌ・ウム・イド――アヌン・メイダだと言われている。
入れ物となったのはアヌン・メイダの兄であっとも言われ、事実がとうかはさておきアヌン・メイダという英雄的な存在がここでも表れている。
「その名残で、今でもこの入れ物には無限大の許容量がある」
最初のニンゲンの性質は、そのまま子孫へと受け継がれた。
「つまり、オレたちニンゲン――人族にも、同じ性質がある……無限大の器として、な」
「エルシオンの民はこの肉の器に自分たちと、古代龍族の性質を詰め込んだ。その結果が今この地上にいる幾種類もの人の形さ」
ヴィダルカの言葉を信じるならば、龍人族もまたこの人型に入れられた存在となるのだろうか。ヴィダルカの腕に浮かぶウロコのような模様は、龍人族にも見られる特徴とよく似ている。
「刻印とは……この無限大の中から形を選んで決めるための、雛形みたいなもんだ。オレたち人族にはこれを選ぶすべはないが……どの形であっても、本質は同じもの……全てを内包した存在だと知ることだ」
「全て……」
「あぁ。広義においては、地上に在る全ての人族もまたガーディアン……。決して万能の存在に縋って生きる弱々しい生き物じゃない。オレたちは守るために戦い、尽くすために生きる」
守る、その言葉を使う時。
ヴィダルカの言葉は熱を帯びる。
「儚きピュリカ――エルシオンの民を、守るべき存在だ」
エルシオンの民を。
「どうして、エルシオンの人たちを?」
イシュマイルからすれば、天人とは強大な存在であるという話しか知識がない。
「……エルシオンとは……種だからさ」
ヴィダルカから見れば、その強大さこそが弱さでもある。
「あらゆるものを内包した種……永き旅人。今は繭の中で羽を蓄えている存在だ……」
ヴィダルカはそれだけ言うと、上を見上げた。
いつの間にか砂船はテルグム城を真上に見る位置にまで来ている。
「オレたち人族は……もっと強くならなくちゃ、な」
砂船はたちまちに黒い色の影へと入った。
そこからもうしばらく進むと、岩場の隙間に秘密の入り口がある。ヴィダルカは器用に白砂の中の岩を避けて、船をそちらへと進めていく。