三十四ノ四、兎王
ウエス・トール王国。
古都テルグム。
イシュマイルとバーツは、ようやく指定された広場へと辿り着いた。
アシュレーたち砂船乗りと別れた後、竜馬車に乗って古都の街並み深くまで揺られて来た。
「……なんだか、厳めしいお城だね」
座りっぱなしだった体を伸ばしつつイシュマイルが暢気に言う。
「あぁ」
竜馬車からも巨大な壁が見えていたが、こうして見上げても空の色に切り取られて張り絵のように映る黒い塊である。
バーツも高所に建つテルグム城を眺めている。
「まだまだ距離はありそうだな」
テルグムの景色というのは、空の広さも相まってどうにも距離感が狂う気がする。こんな静かな青空の下で砂混じりの乾いた風が吹き抜けると、旅人の心にも一抹の寂しさが募るというものだ。
「ここで待てってことは、ここからもまた竜馬車に乗るってことかな」
「いや。でかい橋があるから、そこまで来いだとさ」
「……橋?」
イシュマイルは改めて周囲を見回す。
敷石で模様を描き込んだ広い道、そこに整然と並ぶ高さのある民家の壁は取り取りの色に塗られていて、そこだけは明るいリズムに溢れている。
そんな道の途切れた先に、一段下がって『川』があった。
「……真っ白だ」
見下ろすと、白い砂の川。
その色は昼間の日差しもあって、砂船から見た時よりも眩しい。
民家の並ぶ街並みと、城へ向かう坂の道を区切るように白い川が横たわる。互いを繋ぐのは、煉瓦造りの重厚な橋だった。
「これが件の橋だな」
橋は長さもだがその幅も広く、竜馬車が対面に通ってもまだ左右に広い歩道がある。露店商などが欄干を支えに小ぶりなテントを張り、まばらに歩く人々を相手にしていた。
バーツとイシュマイルは、ともかく橋を歩いて対岸へと進む。
「ねぇバーツ。フィリアさんに会うのは、テルグム聖殿じゃなかった? 聖殿もあっち側にあるのかな」
「そうみたいだな。街側と違って随分と荒々しい地形っぽいが――」
人工的に整えられた街側と違い、テルグム城の周囲には貴重な自然が残っている。岩肌を剥き出しにした巨石が積み上がるようにして城の基礎を支え、その隙間を縫うようにか細い山道が続く。
まさに天然の要害――大昔に浮島になった古代龍の背びれにも例えられる。
ふと、バーツは橋の欄干に目をやる。
そこだけ霧に霞むかのように見落としていたが、欄干に腰かけた人物がこちらを見ているのに気付く。
「あれは……」
頭からすっぽりと身を纏う、おそらくは砂除けの外套を身に着けた男がいる。
(……ノア族か?)
フードの下の黒髪が見えたわけではないが、バーツにはその気配が伝わった。
バーツとイシュマイルは足早になる。
「……そなたらが、フィリアの言っていたガーディアンだな?」
果たして近くまで行くと、男の方から声を掛けて来た。
まだ欄干に腰かけたままで、手には長い棒を持っている。
「あぁ。あんたがテルグム城からの?」
バーツの問いに、男は返事の代わりにふっと笑う。
「オレはヴィダルカ。……ヴィダルカ・トール=ノアだ。この川の渡し人さ」
「トール=ノア……てぇと確か」
「そうだな、別名を兎王とも言うな。まぁ名などどちらでもいいさ」
男は欄干から降りてバーツに向き直る。
フードを外した下には日に焼けた肌と黒い髪、背丈は中背で典型的なノア族である。
第四のノア族、否、最初のノア族ともいうべきか。
伝承によれば三柱の古代龍と共に各地に散った三つのノア族に対し、その始祖とも言えるプレ・ノア族、その正統な後継とされるのが兎王の名を継ぐラパン王家である。
「道は二つある。常時の客人なら、お上品な竜馬車に乗ってあの山道をタラタラと行くところだが……そなたらは急ぎだろう?」
そのノア族の男――ヴィダルカは 外套の下にノア族独特の文様の入った衣服を身に着けていて、イシュマイルはその装いに懐かしさを感じた。
「この白い砂の川を遡れば、直接テルグム城の深部に入ることができる。フィリアもそこにいる。……どうする?」
「テルグム城なの? 聖殿でなくて?」
イシュマイルはもう警戒を解いて会話に応じている。
「あぁ、同じものさ。テルグム城というのは巨大な橋だと思えばいい。テルグムの聖殿とライブラリーを繋ぐ、長い空中廊さ」
(ライブラリー……か)
バーツはその名称に反応する。
「この川を遡ると言ったが、正規の入り口じゃないってことだな」
「あぁ。正面からじゃあ、フィリアに会うまでに何かと手間暇かかるからな。……こっちの方が手っ取り早い。フィリアもそう言っている」
「フィリア、ねぇ」
女王の名を呼び捨てるヴィダルカに、バーツも苦笑いでいる。
ヴィダルカは言う。
「六十年前のあの事件の時、ラパンの王族や祭祀官たちが逃亡に使った秘密の入り口が……この川の先にある」
六十年前。
それはオアシスで赤岩一族のテッラから聞いたのと同じ話である。
シルファの前線が竜族によって突破され、ノルド・ブロス帝国とウエス・トール王国の広い範囲が侵攻により蹂躙された。
テルグムが落城する中、かろうじて生き延びたのが当時まだ少女だったフィリアである。
以来。
この脱出口は残されたままで、同じラパンの一族が守備を務めている。
ヴィダルカは事件後に産まれた世代であるが、川の渡しを務めながら有事にはフィリアを守る戦士でもある。
彼だけがこの道を抜けて直接フィリアに会うことが出来る。