三十一ノ十、ディアンの娘婿
「さっきからナニが言いたいんだ、あんた?」
バーツは先ほどからの話の核心が見えずにいる。
「……君は、ガーディアンではなく騎士の感覚で世界を見ているようだな。かといって騎士が何者なのかもわかっていない」
エルは、バーツ相手には餌をばら撒くが如く断片的な話をする。
「君は先ほど、テッラに情報屋かと詰問したが『ディアンの娘婿』はどうかといえば……その通りだ」
「……神秘と歴史とやらはどうしたんだよ」
「両方さ。私は今でもトレイダーズ・ユニオンの階級を持つ旅商で、人はみな食う物着る物使う物が無ければ生きてはゆけない。ここにいる赤岩の一族もそれは同じ」
エルは室内にいる人々を見回しつつ言う。
「だが私はこの通り、売り物以外の武器は持たず、自ら戦う術がない。私にとって情報は命綱でもあるわけだ」
「……」
「私の売り物が品物ばかりではないのも道理だろう? 戦の勝敗を決するものから、個人的な文の類まで、あらゆるものを私は運び、見聞きする」
「詭弁だな」
「だからこそ。トレイダーズ・ユニオンは言葉を司り知識を授ける戦神の名を掲げるのだ」
エルの口調は、ノルド族特有の持って回った物言いだが『ディアンの娘婿』を自認する者も多かれ少なかれこんな調子である。
「私がこのオアシスに辿り着いたのも、また必然というわけだ」
「クロウラーの残骸は今も昔も知識の宝庫だ。そしてオアシスには王国内外のあらゆる知らせが飛び込んでくる。どちらも私の望むものというわけだ」
そしてエルは種の一つを明かす。
「私やテッラが、今日こうして君たちと会い、言葉を交わしているのも……その賜物だ。私にとっても、君たちにとっても重要な情報を交換しようというわけだ」
エルは、バーツに向き直ると声を低くして言う。
「君は言ったろう、ファーナムの騎士の中に『ディアンの娘婿』が居るのではないかと」
「あぁ、それは……って。何か知って――?」
バーツならずとも食いつく話ではあるが、エルは先手を打って言う。
「断言はしない。が……存在は確かだ」
「それより。私が危惧しているのはファーナムには今、緑色のアストライオスが二つもあるということだ」
「……二つ?」
「一つはその騎士団の何者かが持っているはず。もう一つはアカルテル・ハル・ルトワが持っていると思われる」
「……オヤジの?」
思い出したようにアシュレーが声にする。
「だが、オヤジは『ディアンの娘婿』じゃねぇぜ。ただ形見として持ってるだけだ」
「本当に?」
エルの声音は否定を表している。
アシュレーもバーツも、ファーナムでの異変を未だ把握できていなかった。
だがエルは別だ。
アシュレーに対し、言い含める口調で促す。
「我々としてはだ。『あれ』の持ち主は信用できる者であって欲しいのだ。君や、他の兄弟にその気があるのならば、そうさせてやっても良い。……ただ、アカルテルは駄目だ。野心的過ぎる」
バーツ、そしてイシュマイルがどちらともなく顔を見合わせた。
「……アーカンス」
アシュレーが、その名に反応して振り返る。
二つあるとされるアストライオス、そのどちらとも遭遇する確率が一番高いのがアーカンス・ルトワである。
アシュレーは焦りの滲む声で問う。
「エル……俺は、どうすれば?」
「どう、とは?」
「教えろって意味だ。俺は確かに家を捨てて逃げ出した身だが、そのツケを兄弟や再従兄弟に押し付けるほど腑抜けてねぇよ!」
「……ふむ」
エルはというと、口調だけは軽いままである。
「今は……特に出来ることはないな。まずは目の前の仕事を済ませ、ユニオンでの実績を積むことだ」
エルは、同じギルドの先輩格としてアドバイスしている。
ルトワ家のアストライオス自体には、もはや効力はない。
ただ中に納まっているとされる記憶媒体のことや、騎士団の内部に居るという人物については気を配り続ける必要がある。
バーツも、ジグラッドも、エルも、その点では同じ目的である。
「たしかに『ディアンの娘婿』は一代限りの称号だ。しかしいずれ必ず、近しい所からそれを受け継ぐ者が現れる……大陸を渡り歩くフローターズというのは、そういうものなのだ」
「……そう、か」
アシュレーも、今は真摯に頷くのみだ。
生涯を掛けて、ある者は大陸中を歩き続け、ある者は探し求める。放浪する運命の者たち――それが『ディアンの娘婿』なのである。
――彼らは、自らの心棒する神を娘婿と呼び、御名を口にしない。
何故ならその神はエルシオン以前の神、古の神だからだ。
それは神の故郷で語られ神の言葉で伝わる、異なる世界の物語。
エルシオンの神たちが奉じた異界の神々の物語。
ディアンの娘婿は戦神であるが、情報を司り文字を作った知識の神でもあったという。
古の神の名を掲げることで彼に連なり、掟を第一に生きると誓った者たち――。
実のところ。
『ディアンの娘婿』はトレイダーズ・ユニオンに籍を置くことが前提になってはいるが、逆手にとれば籍さえあれば本業や種族が何であるかは問わない、という現実的な一面もある。
必要なものは、実績とメンバーからの信用だけである。
ファーナムに存在するというイレギュラーも、そうやって『ディアンの娘婿』に迎え入れられた騎士だろう。
ただイレギュラーである以上、そのリスクの程は知れない。