三十一ノ一、マザー
第四部 諸国巡り・弐
三十一、彷徨う者たち
しばらくしてアシュレーが船に戻ってきた。
商談は完了し、残りの荷役と平行して出航の準備を進める。
「待たせたな。あとはテルグムまで先を急いでも良し、ここで砂漠の夕餉を堪能しても良し、だ」
「……まぁ、それは任せるが」
バーツは曖昧に返答しながら、まだこちらを見ている赤岩の一族に目をやる。
妙に気になる視線だった。
「あぁ、赤岩の連中か。今日はいつもより人数は多いな」
アシュレーも、他の船員と同じく気にする様子はない。
「どういう集まりなんだ?」
バーツは訝しむ表情を隠さず、その様にアシュレーは笑う。
「ガーディアンらしからぬ偏見だぜ、それ。ちょっと異様に見えるが、彼らもエルシオンの信徒だ――いや、それ以前の古い信仰を今に実践する人々、かな?」
「てぇと?」
「俺も伝聞だから詳しくはないが、岩窟で暮らすのは石舟伝承を追体験してるんだと。とうぜん古代龍も敬うし、砂虫や砂漠の魔物にも敬意を払う」
アシュレーは、赤岩一族の赤い衣を目で示して言う。
「あの格好は、魔物の姿を真似ているらしいな。鉱物で染めた布を被ってると、魔物は仲間だと認識するらしい」
手間を掛けて布地を染め、光沢のある金属や鏡で装身具を作る。そうしてまず形から、砂漠の魔物と同じ姿になろうとする。
「……ほんとかよ」
姿はともかく、魔物が人族を仲間とみなすなど、バーツはにわかには同意できない。
「彼らはそう信じてるって話」
バーツとアシュレーが話している所に、イシュマイルが声をかける。
「ねぇ、あの方向に山なんてあった?」
「山?」
「僕たちが来た方向だよ。ずっと平地を走って来てたろ」
イシュマイルは、停泊中のハサスラの背後の砂砂漠に視線をやる。
オアシスの周囲に岩山はあったが、船着場のある方角はすべて広大な砂地である。風も少なく半日程度しか経っていない。
しかしイシュマイルの言葉通り、バーツたちの視線の先で、砂が不自然に盛り上がって墳墓のように小高くなっていた。
アシュレーは両手を額にかざして、距離を測っている。
「山……じゃない、砂虫だ。――でかいぞ」
アシュレーの表情が険しくなる。
「いつの間に……気付かなかった」
荷役のオアシス民はその砂山を注視し、不安の表情を浮かべている。
赤岩の一族も無表情ながら、同じ方向を見ている。
「砂虫はここまでは入っては来られない。大丈夫だ」
アシュレーはひとまずバーツにそう言ったが、声を低くする。
「だが、出航は無理だな。この距離じゃ初速で追いつかれる」
「あぁ」
バーツは頷くだけだ。
「よくあるのか? こういうことは」
バーツは焦るでもなく、アシュレーに詳細を訊く。出航か否かは慌ててもしょうがない。今は目の前の砂虫である。
「わからんが……俺は初めてだ。砂虫はこんな浅い所まで入って来るもんじゃない」
答えるアシュレーの声には焦燥が滲み出ている。
いつも余裕を持って構えるアシュレーらしくなく、事態を把握しようとしている。
「座礁みたいなもんか?」
「かも知れんが……あの大きさだとマザーの可能性も。だとしたら、厄介だ」
マザー。
砂虫には詳しくないバーツにも、およそ想像がつく。
「群れが近くにいるかもしれない。バーツ、あんたもイシュマイルも、今は俺たちに従ってくれ。オアシス民の指示通りに、まずは動く」
「あぁ。勝手には戦うなってことだな」
「とにかく、村長に会おう」
アシュレーは仲間の艇長にこの場を任せ、街へ戻る。
バーツとイシュマイルもそれに続いて歩いていると、オアシス民が火の付いた松明を手に、急ぎ足ですれ違った。
夜までに街の外周を明るくし、砂虫に備えるためだ。
アシュレーは、まずは馴染みの商人のもとへ急ぐ。
街の中心でもある泉周囲の広場まで来ると、オアシス民も集まりつつあった。人々の視線が、見慣れぬバーツたちに注がれる。
その中には先ほどの赤岩の一族の姿も見える。
アシュレーは、集会所として使われている広めの家屋に通された。長や古老のほかオアシス民が集まっているが、特段話し合いがされているわけでもない。
「何が起こってる?」
アシュレーはひとまず近くにいるオアシス民に訊ねる。
オアシス民にとっても不測の事態であるが、砂虫が一所に居座ってじっとしている時点で奇妙である。通常は高速で、砂ごと獲物を飲み込みながら通り過ぎる生き物である。
「子供を撒き散らす危険は?」
「いや、マザーならまず人族には近付かないものだ。人族は砂虫を恐れるが、砂虫の幼虫にとっても人族は天敵だからな」
様々に話し合っているが、一通りの対処をすればあとは成り行きを見守るしかない。
(足止め、だけで済めばいいが……)
バーツは我知らず、難しい表情をしている。
出航の目処が立たないことには、アシュレーたちに気遣って口にはしない。が、ガーディアンとしての能力が彼らの援けにならないことには歯痒さを感じている。
そして。
レアム・レアドはこれより巨大な飛竜を狩っていたと聞かされると、改めてその力の異常さを痛感させられる。
いずれの化物も、巨大過ぎる。
(退かそうにも動かない相手、それが手に負えないほどでかいなら……他にどんな手がある? 何をどのくらい集めれば有効な武器になるってんだ……?)
バーツは当てもなく考えている。
目の前の砂虫のことであり、ドヴァン砦のことでもある。
ふと、バーツは先ほど泉で感じたのと同じ気配に気が付いた。
広い居間にはオアシス民が密集してはいたが、すぐにその人物を見つけることができた。誰とも会話せず一人で椅子に座っていて、こちらに全く目線を向けていない老婆がそれである。
(あの婆さん、赤岩の一族だったのか)
改めて見ると赤い生地の衣服、鏡と宝玉で作られた飾りが同じものである。ただ、他の赤い人々と違うのは老婆はジェム・ギミックの装身具を随分と多く身に着けている。
「アシュレー、あの婆さん知ってるか?」
バーツはアシュレーに近付き、声をひそめて訊ねる。
「あぁ、赤岩一族の母――宗教的指導者ってやつだ」
岩窟住居で集団で暮らす赤岩一族、そのリーダーの一人だと言う。
意味は違うが、こちらもマザーである。