三十ノ九、魔人伝承
バーツはというと、彼らしくなく難しい顔している。
「どうにも、解せねぇな」
バーツは、窓から見える街の景色を見る。
「ファーナムにも水プラントはあるが……でかい工場だぜ。相当ジェムも必要だろうに」
ファーナムでは何をするにもジェム・ギミックが付き物で、それらが立てる騒音なども含めて街の景観である。
けれどオアシスの風景は、昔語りの冒険譚から抜けて出来たかのように素朴なままである。
泉のそばには豊かな水を汲み上げる風車が見え、それを細長い壺に水を入れて運んでいる人がいる。泉の周囲は、とりわけ多く大小の布が翻っている。
ここではジェム・ギミックの気配を感じない。
同じテーブルに居る砂船乗りが口を開いた。
「こっちではファーナムと違ってジェム・ギミックは殆ど使われてはいない。水を生産しているのもギミックではないそうだ」
言われたバーツは、その意味がわからないという顔をしている。
「……じゃあ、どっから水を?」
「これは、聞いた話なんだが」
バーツの疑問に、砂船乗りは思わぬ存在を挙げる。
「言い伝えでは、遥か昔に水を司る古代龍族が此処に来たらしい」
「……水?」
「古代、龍族?」
バーツとイシュマイルが同時に聞き返す。
「街の中央に泉があったろう? あの泉の底に、古代龍がその魔力で設えた石があって、そこから水が噴出し続けているとか」
「……へぇ」
バーツはおとぎ話でも聞いた気分で相槌を打つ。
「研究者たちはその石の仕組みを求めてこのオアシスに来るらしいが……何しろ深い泉の底だ」
そこへ、宿の亭主が水差しを持って給仕しに来た。
バーツたちの話は亭主にも聞こえていたらしく、亭主は伝承の続きを語る。
「――その古代龍は、とうにウエス・トールを去ってしまったよ。あとを魔人が引き継いで何箇所かに同じ泉を造ったらしいが……この魔人もまた行ってしまったさ」
亭主は話しながらグラスをテーブルに置き、水差しの細い口から一筋の水を器用にグラスに流し込む。
「魔人?」
古代龍族に続いて今度は魔人である。
ウエス・トール王国の魔人伝承は、他国よりは数が多い。
「あぁ。大砂漠に住んでた魔人さ。女や子供の守護者でもあり、オアシスに導いたのもそいつだって話だ。――あぁ、名前はなんて言ったかなぁ?」
そう言いながら亭主は砂船乗りたちにニヤリと笑いかけ、そのまま別のテーブルへと行ってしまった。魔人とは妖艶な女で、気に入った男をかどわかして……という類の昔話だが、子供の前で聞かせるものでもない。
砂船乗りの一人が咳払いをしてやり過ごす。
バーツとイシュマイルは、何というわけもなく顔を見合わせる。
「行ってしまったって、どこへ?」
「ねぇ、バーツ」
イシュマイルは水の注がれたグラスを受け取りつつ、バーツに問う。
「古代龍と魔人って……繋がりがあるの?」
「さぁ?」
バーツにも聞いたことがない話だ。
イシュマイルが知る魔人といえば、レコーダーである。
シオンはこれを、異なる存在のガーディアンと表した。
「でも、同じ術を使えるってことでしょ?」
「らしいな」
バーツはイシュマイルほどには疑問に思わないらしく、生返事である。
イシュマイルは引っ掛かるものを考えていたが、グラスの水に口を付けた瞬間にそれを忘れた。
「……この水……?」
バーツを見れば、バーツも一口含んで少し眉を寄せた。
バーツの場合、口にした水にほのかな甘みととろみを感じたからだ。滑らか過ぎる喉越しには慣れないが、素焼きの壺で冷やされた水は心地よい温度である。
だがイシュマイルは、器の水を見ながら興奮気味に言う。
「この水、サドル・ノアの泉の水とおんなじ……?」
「そうなのか?」
バーツはもう一度水を口に含むが、こういうものかと飲みこんだ。
亭主が出したのはオアシスの泉の水で、皆が利用している。
言い伝えによれば、古代龍の魔力の石から噴出し続けているという。
一方のファーナムの水プラントは、天然の清水を汲み上げてろ過し、浄化するものだ。
ファーナムは風炎山の風によって吹き込む毒から守られているが、大量の水質を保つには水プラントが必須となる。
ファーナム市は高く険しい山岳地形でもあり、その岩間を通って生まれる水は硬く風味があった。
それはサドル・ノア村の井戸も似たようなもので、土と木々の香りがしたものだ。
だがこれは――。
「村にあった『聖なる泉』の水……あれとおんなじだ」
聖なる泉は、水量こそ少ないが月魔石すら浄化するほどの効力がある。
ノア族の祀りや儀式などで時折飲んだ程度だが、味覚というのは直感に訴えてくるものだ。
「そうなのか?」
バーツはそれがどういうものかは知らないが、もう一度器の中の水を見る。
「……じゃ、見にいってみるか」
時間に余裕があるのもあって、バーツは泉を近くで見ようと席を立った。