三十ノ八、崇められるもの
ウエス・トール王国の大砂漠。
高速艇ハサスラは、予定していたオアシス都市へと到着した。
周囲には岩山を見渡せる固い地面が広がる。
土煉瓦造りの家屋の建ち並ぶ中心に、空の青色を照り返す水場が望め、色とりどりの旗や布が翻っている様が鮮やかである。
ここには豊かな植生がある。
高い木々から低い草花までしっかりと根を下ろしていて、栽培されている果樹は整然と並んでいる。以前にドロワ市でも見かけた蔓状の植物がここでも育てられていて、糖分を含んだ果実は栄養剤にも果実酒にもなる。
かつては近隣にも町や村が点在し、集められた生産物や収穫物は此処を拠点に各地に運ばれていたものだった。
「今じゃあここを訪れるのは物資を運ぶ砂船乗りと聖職者……あとはギミックの研究者くらいだな」
アシュレーは、いつものように砂船乗りを引き連れて歩いている。高速艇ハサスラを船着場に留め、まずは街で商売相手に会う為だ。
横で聞いているのはバーツで、イシュマイルは砂船乗りに混ざって少し後ろを歩いていた。
「ギミックの研究者とやらは、ここで何の研究を?」
アシュレーは返事の代わりに口の端を歪めて苦笑いを向ける。
オアシスは泉に豊かな水を湛えあらゆる生き物を迎える美しい場所だが、あいにくとアシュレーの求める浪漫からは程遠い。
「聞いた話じゃ、ここより北の町や村では崩壊を食い止めるのにギミック・プラントの設置が急務なんだが、それでも追っつかないほど環境が悪化してる。……ま、ここのも万能ではないけどよ、他よりマシな理由を解明しに研究者が集まってるって話だ」
バーツ、そしてイシュマイルはその話に怪訝な顔をする。
「じゃ、このオアシスも水プラントで保ってるってわけか」
「まぁそんなとこだ。大方の住人はオヴェスに逃げちまって、ここに居残った住人は技術者か聖職者くらいなもんよ」
砂虫を見た砂船の残骸にもプラントはあったらしいが、オアシスのものは都市一つを含む広範囲に渡って環境をコントロールし続けていることになる。まさにロスト・テクノロジーである。
これを管理しているのはラパン王家であり、テルグム聖殿だ。
「聖職者って? 祭祀官じゃなくて?」
オペレーターの存在を知らないイシュマイルの問いに、バーツが答えた。
「ジェム・ギミックはエルシオンの技術だ。その稼動には特殊な祭祀官が必要なんだよ」
「――それだけじゃない」
横からアシュレーが付け足して言う。
「エルシオンとは別の存在を崇める集団が、ウエス・トールには存在するのさ」
アシュレーの言葉にイシュマイルと、バーツも驚きの表情でいる。
アシュレーが言う。
「人間ってのはさ。自分たちと違う存在に出会って、そいつが自分たちより強いとわかると畏まっちまうのさ。それが砂虫だろうと竜族だろうと、魔人だろうとな」
アシュレーによると、ウエス・トール王国にはそんな集団が幾つも存在しているという。
「恐怖に囚われた連中ほど怖いもんはない。何がきっかけで半狂乱になるかわかったもんじゃないから、とにかく街中では注意してくれ」
「……う、うん」
イシュマイルは漠然と頷いたが、バーツはもう少し具体的だ。
「それはわかったが……そいつらはすぐに見分けがつく連中か?」
「そうだな、大抵は怯えて小さくなってる。よそ者には関わらないよう目立つ場所には出てこないしな」
アシュレーはもう一つ付け足した。
「近寄ってくるとしたら、水や食べ物を高く買わせようとする輩かな。そっちにも警戒しといてくれ」
ともかくもアシュレーたち砂船乗りたちと行動を共にするのが安全策だろう。
積荷を引き渡す作業の間、客である二人は船から離れる。
アシュレーは積荷の受取人のもとに出向き、バーツとイシュマイルは護衛の砂船乗りたちと行動を共にする。
定期便の砂船とは違い、積み降ろし作業は荷役をする人手を集める所から始まる。
街の男たちは仕事の手を止めてぞろぞろと船着場へと歩いて行き、バーツとイシュマイルはその流れに逆らって街の宿屋に入った。
「ねぇバーツ」
イシュマイルが小声で話しかける。
「こうして見てると……普通の街と同じだね」
人手が船着場に集まっているのもあって、宿屋の食堂は空いていた。
宿は昔ながらの土煉瓦の建物で、開いた入り口には鮮やかな布地が風に揺れている。
窓に嵌め込まれた木枠には装飾の意味だけでなく、冷却の効果がある。採風口からの空気の流れが店内に抜けていく。
風を目で追うようにして外を見ると、壁や柱の向こうで話している人々の声が聞こえてくる。
アシュレーは街中に居るのは技術者ばかりだと言ったが、それでも街として機能するためには様々な職の人々がいるものだ。
壺を売り歩く人や食べ物を運ぶ人、庭先で槌でもって金属を叩いている人もいれば、家畜を連れて通り過ぎる人などもいて、皆がそれぞれの仕事をし生活をしている。
「……この生活を、プラントってのが支えてるんだね」
イシュマイルにはプラントというものがどんな代物なのかすらわからない。
ただこの国に来て以来、ようやく人の密度というものを実感していた。