三十ノ六、見えぬ星
部下の騎士たちは、アーカンスにドロワ市での経緯を尋ねようとする。
「帝国は、月魔にドロワを襲わせたのですか?」
騎士らは本当のことが知りたいのだ。
「それは早計だ。ただの噂」
「ですが、それでドロワ市が連合を脱退したのでは」
「……」
アーカンスも詳細は知らない。
事態が大きくなる前に、ドロワ市側が部隊長の解任を含めた騎士団の再編成をし、正式に謝罪を入れる等の姿勢をとったため、ファーナム市の出鼻はくじかれた。
またアリステラ市は独自の事情があって責任を追及せず、スドウが仲介役を買って出たのを幸いと、ファーナムとドロワの正面対決は避けられた。
「タイレス族同士の、いさかいさ」
アーカンスはそれだけ答える。
どういう意味か、という顔の部下にアーカンスは言う。
「それを調査するはずの帰還だった。第三騎士団も、遊撃隊も」
今はその黒幕とも目された第四騎士団の中にあって、何一つ得ることか出来ずにいる。
「……無力だよ。まったくもって」
自分で言った言葉に、当時の声を思い出す。
何も出来ない無力な貴族が嫌いだとレニは言い、言われたヘイスティングは激昂した。出来ないなら手を取り合おうと言ったのはアーカンス自身であるが、今はその手を誰に求めて良いかもわからない。
人、一人の力など、ほんとうに微々たるものだ。
ひと時、強い記憶に感情を乱されたこともあって、アーカンスは行動が遅れた。
気付けば廊下の中ほどに一人の市民がいる。
いつの間にか扉を開けて出てきた所らしく、悠然と歩きながらアーカンスたちと視線が合った。
(……バーツ?)
何故かそう思った。
その市民――男が髪を伸ばしていたこともあるが、どこかで見た顔だと感じた。自分に真直ぐに向けられる視線にも惑わされた。
「――参加者の市民じゃない」
騎士の一人が気付き、皆が身構える。
ひとまずと声を掛けようとする騎士たちの前で、男は窓に近寄り当たり前のようにその一つを開いた。
そしてひょいっと飛び降りてしまった。
「待――!」
騎士たちが慌てて窓に張り付いて見下ろすと、ちょうど下階の屋根が並んだ位置である。男がそれを軽々と飛び移りながら降りて行くのが見えた。
「……」
言葉もなく見送る。
アーカンスも同じように窓から見下ろしていたが、騎士たちとは違うものを見ていた。
低い位置に石畳の地面が見え、そこにも不審な人影が幾つもある。その者達は目で追う間もなく家屋の影へと消え、いずこかへ遁走した。
「……見事だな」
アーカンスの賞賛を、部下の騎士たちは飛び降りた男へのものだと受け取った。
「隊長、今のは」
「報告しよう。話はそれからだ」
アーカンスはそう言ったが、騎士たちはまだ下を見下ろしている。
その様を見て、アーカンスは自嘲気味に溜息をつく。
(急場ではこんなものか……それに比べて――)
先ほどの男、そして複数の人影。恐らく第三騎士団の者だろうとアーカンスは考える。
あの見事な逃げっぷりには覚えがある。
今の自分の部下たちではああはいかない、とも。
――夜半。
詰所に戻ったアーカンス達は、再度呼び出されて詳細な報告を求められた。
アーカンスは部下たちとは別に、サイラス直々にである。
「貴方は直前に『ここから飛び降りたら』と言ったそうですね」
部下からの伝聞である。
まさか本当に降りられる場所があったとは、などと言い訳はしないアーカンスに、サイラスもただ笑っている。
「アレイス殿にもエリファスにも言われましたよ、それ見たことかと」
不審者に至近で遭遇しながら、みすみす捕り逃したのである。
「まぁ、幸い評議員の方々にも何事もなく。大方は気付いてもいなかった様子で」
サイラスはいつもの椅子に腰を下ろし、テーブルの正面に立つアーカンスを見上げる。
「それで。報告とは別に、何かわたしに言うべきことは。あります?」
「……」
アーカンスは逡巡したように視線を外したが、それでも「いいえ」と答える。
サイラスはその仕草で嘘を見透かし、しかし満足したように笑っている。
あの時。
一瞬見た長髪の男の顔、確かに第三騎士団で見たことがある。
(たしか……第一次のドヴァン砦攻略に参加した部隊の――)
かなり前の話となる。
突如封鎖されたドヴァン砦の開放を求めて、武力行使も視野に入れて各地から騎士団が派遣された。
当時のファーナム市は申し訳程度に選抜部隊を送ったのだが、レアム・レアドによって壊滅状態にまで反撃され、以降この件に強硬に関わるきっかけとなった。
犠牲者も出、隊の多くの騎士が療養のために休職状態にある。
(復帰……いや、休職扱いのまま諜報活動を?)
そう考えたほうが納得がいく。
現在の第三騎士団は幹部は自宅軟禁、それ以下も活動の自粛や行動の規制によって街から出ることも叶わない。
長すぎる休職に思えたが、こんな事態を想定して用意されていたのかも知れない。あの動きは昨日や今日怪我から回復した者のそれではなかった。
ジグラッド・コルネスならやりかねない。




