三十ノ四、砂漠のバグズ
「おい、イシュマ――」
「……見た目が怖いから魔物って呼ばれるのかと思ったけど、月魔とは全然違うんだね」
イシュマイルは、目と鼻の先で頭を揺らしている砂虫をじっと見ている。
月魔は『動いている屍』である。
その姿は陸上生物の特徴を取り混ぜたようで、多くは毛皮や硬化して崩れた皮膚に覆われている。爪や牙、筋肉などの動物本来の武器が強調されて恐ろしげな姿に変化する。
だが砂虫はそれとは違う。
カンテラの灯りで照らされる砂虫の体は砂粒を纏ってはいるが、その表面には強い光沢が見て取れる。
頭部は蛇のように目鼻や顎があるわけではなく、チューブの先をきちんと窄めたかのように丸い。
見ようによってはユーモラスで、全身には模様があるが鱗らしき凹凸はなく、太さの違う金属管を絡めて編み上げたような姿だった。
「……こいつぁ、ギミックか?」
バーツは、見たままの形状をそう表現した。
ギミックの内部は金属質の素材だが、生き物の内臓のように絡まり生物のように作動する精密な機械である。その動力はジェムと呼ばれる宝石に似た魔石だ。
砂虫の外見もそれに似て、所々にジェムに似た半透明の塊が鮮やかな緑色やオレンジ色を見せている。
「ジェム・ギミックじゃあねぇよ」
アシュレーは即座に否定した。
「少なくともこいつは生き物で、ある程度の自我で動いてる。……捕食もするしな」
そして付け足した。
「ただ見た目通りに全身が固いんだよ。力も強い」
見れば、アシュレーもその手に短刀を構えている。
ジェム・ギミックと法力の加護で補強されたロワール鋼の武器は砂虫の皮膚をも裂く。
イシュマイルはというと、まだ砂虫の顔を見ている。
全身の形状をみればこれが顔なのかはわからないが、こちらを覗っている様子から感覚器官ではあるのだろう。
「……面白い顔だね」
イシュマイルが暢気な言葉を発した。
言葉の意味が伝わるはずもないが、砂虫はわずかに頭を揺らしただけで飛び掛って来た。
顎元から首らしき部分まで、網目と膜のように広がって覆い被さろうと一気に距離を詰める。
イシュマイルは察していたのか、柱を蹴って飛び避けた。
だが、その方向には柱も床もない。
――落ちる!
砂溜まりの真ん中に落下する、皆がそう見えた。
イシュマイルは何もない空間を蹴り、素早く飛んだ。
いつの間にか二匹目、三匹目の小さな砂虫が顔を覗かせていたが、それらの頭上の空間に空気の床でもあるのか、もう一足蹴ってバーツの横へと戻って来た。
「ぉおっ、と!」
イシュマイルを取り逃がした砂虫が体を捻じって後を追い、砂溜まりの際にいたアシュレーは寸でのところで後ろに飛びのいて難を逃れた。
構えていた砂船乗りたちが無事を確かめに駆け寄ってきた。
「あぁ、大丈夫だ。大丈夫」
アシュレーは仲間にそう伝え、まだ砂から顔を出してこちらを覗っている複数の砂虫を見、そしてイシュマイルを見た。
「おい、怪我ないか?」
短く訊ねたのはアシュレー。
「……今、どうやった?」
ガーディアンらしからぬ質問をしたのはバーツである。
「どうって」
イシュマイルは先ほどまでいた柱を見て答えた。
「あの柱、周囲に何かの力が満ちてるんだ。そこに足を掛けて飛んだだけ」
ドロワでタナトスから習得した浮遊の術ではない、とは口にはしない。
イシュマイルは詳しい説明もしないが、こんなことはガーディアンのバーツも不可能である。
見ているアシュレーたちにはさらに理解の外だ。
「……成程、見習いとはいってもガーディアンなんだな」
アシュレーはそう納得したように言う。
改めて、ガーディアンとしての素養はイシュマイルの方が上だとバーツは感じた。
そして思うのだ。
イシュマイルの伸びつつある能力を正しく導く役目、自分には手に余ると――。
ともかくも、アシュレーは砂虫の見物を切り上げることにする。
「ちょうど良く胆も冷えた所で、船に戻ろうぜ。テルグムまではまだまだかかんだしな」
砂漠の夜風の冷たさもあって、アシュレーは自分の二の腕を擦るしぐさで言う。
砂溜まりではまだ砂虫たちがこちらを伺い蠢いているが、砂を這い出て追ってくる様子はない。
「砂虫もああなってると可愛いもんだな。さ、戻ろうぜ」
アシュレーは皆を促して先に歩き出し、イシュマイルや砂船乗りたちもそれに続く。
「……」
バーツは無言でその背を見ていたが、もう一度振り返って砂虫を一瞥すると一番最後にこの場を後にした。
高速艇ハサスラに戻ると、アシュレーは仲間とバーツに酒を振舞った。
労いもあり夜風で冷えた体を温める口実もある。
男達の酒の語らいをよそに、イシュマイルは先に船室へと戻った。
アシュレーたちに捕まっているバーツは暫く戻っては来ないだろう。
イシュマイルは自分の手の平をじっと見ている。
「……あの柱」
あの色、手触り、肌に感じた温度――。
「夢に出て来た船のとおんなじ……」
そして思い出した。
いつだったか、サドル・ノアの里の近くで見た洞穴。
レムを追って幼いイシュが辿り着き、その後も何度もなく夢の中で訪れた場所。
あの時歩いた床、触れた壁の感触と、今日見た砂船の石造りがとてもよく似ていた気がする。
「あれは洞窟じゃなくて、砂船が埋まっていたのかな……」
プレ・ノア族は巨大な砂船の中で暮らし、砂船と共に砂漠を行き来していたとアシュレーは言った。それなら、三賢龍と共に旅立った時も、同じく砂船に似た乗り物に乗っていたのかも知れない――イシュマイルはそう思った。
その考えに従えば、あの日に見たいくつもの光景の辻褄が合う。
あの時のレム――レアムの行動も。
レアム・レアドは元々ウエス・トール王国に長く居たのだから、砂船のことも知っていただろう。
「……レム……」
手の平に残る柱の感触のまま、拳を握りこむ。
イシュマイルは探していた謎の一つに、急に近付いた気がした。