二十九ノ十、ゆらぎ
「アーカンス。貴方は、三種族の発現の序列を聞いたことは?」
「発現……ですか」
唐突に論点が変わった気がして、アーカンスは咄嗟に思い出せなかった。
サイラスは言う。
「異なる種族間で婚姻がなされた場合、生まれる子の種族はある法則で確定している……それが発現の法則です」
以前、アリステラ聖殿の祭祀官フォウルもイシュマイルに同じことを話した。
タイレス族が一番発現が弱いという内容である。
「最も強いのは龍人族、続いてノア族。我々タイレス族は一番弱いが、その頭数としては一番多い」
「なにより、他の二種族に比べて個性――つまり容姿の特徴に、かなりの差異がある。これは、タイレス族の刻印が持つという揺れ幅です」
たしかにタイレス族の容姿は、様々にある。
外見からおよその出身地や職業が判断できるほど、その差異には幅がある。
もっともタイレス族らしい顔形とは、アリステラの民だろう。
鮮やかな髪色や大柄で頑丈な体躯、アール湖を越えて離れた港町や他国へと突き進んでいくバイタリティがある。
次いで古い貴族文化を色濃く残すドロワ。金髪に青い瞳、体型などの特徴が画一的であり比較的ゆらぎの少ない地域柄であるが、言葉の多様性は豊富である。
逆に揺れ幅が大きいのがファーナム、そしてボレアーである。
各地からの移民が多いこともあり、個々に強い特徴が見られる。またジェム・ギミックや魔道に関わる者はブルネット等の濃色の髪色が多い。
例えばハノーブ地区出身のエリファスはダークブロンドであるし、ギミックに長ずるロアなどはノア族と変わらない黒髪である。
ほか、フロント出身のアイス・ペルサンや、ヴェイル出身のベルセウス・アレイスは魔術的な土地柄や感応などの特殊能力から、印象的な緑色の瞳を持つ。
残るウエス・トール王国民は、色味の薄い髪色と瞳が特徴でウォーラス・シオンがこの例である。またフィリア・ラパンは抜けるようなプラチナブロンドだと言われる。
ゆらぎには環境、特殊能力が強く影響していると思われるが、数世代を越えてなお特徴を残す傾向もあり、ルトワ一族などは今だに王国民としての容姿を引く。
ノア族や龍人族がかなり固定化された外見的、性格的特徴を持つことに比べると、タイレス族には幅がある。
「わたしは思うのですが、これは他の二種族が潰えることが無きようタイレス族がその数を補うものではないかと」
「補う、とは」
「刻印の序列によって、絶えず三種族の数は調整されているのでは……という予測です」
サイラスは発現の法則について、神による調整と表現した。
フォウルは『神の与えた加護』または『神の印』と言った。
フォウルは恐らく刻印や『刻印の間』のことは知らず、別の切り口から同じ結論に至ったのだろう。
「イシュマイル少年のように、時折ノア族の集落にタイレス族が紛れることは、ままあります。魔物ハンターなどの流れ者がノア族や龍人族の村に落ち着くというのも割合聞きますしね」
「それもその流れの一つ、他種族の血族を増やすという役目であるかも知れないのです」
「よく、わかりませんが」
理屈は理解出来るが、心情としては納得のいかないアーカンスである。
サイラスの考え方には、血の温かみが感じられない。
「エルシオンの掟に照らし合わせれば、地上の人族には三種族あり、三種族にはそれぞれの義務がある。そして互いにそれには干渉し合いません」
「例えばノア族や龍人族は、我々タイレス族の感覚からすれば不信人な不心得者として映りますが、エルシオンはそれを否定はしないのです。ゆえに我々も、本来は彼らを邪教の徒として攻撃したりなどはしません」
本来は、とサイラスは付け加えた。
「では、何故イシュマイル君に刺客などを?」
アーカンスは、かねてからの疑問をここで再度口にする。
「……あそこを見てください」
サイラスは動じる様子もなく、離れた高い位置を指し示した。
「何がみえます?」
「空欄? ……何かが光っているようですが」
かなり高い位置だが、かろうじて見える。
プレートはあるのだが白い文字が見えず、ただの石の板だ。
「光っているのがわかりますか」
「えぇ」
「ならば話は早い」
サイラスは、何も刻まれていない光るプレートを指差して言う。
「おそらくは二人分。しかし、あそこに名前は無いのです。ずっと以前から」
「以前から?」
言われてみれば、確かにバーツの列よりはかなり離れた所にある。バーツたちは比較的最近の者なので、まだ光っているプレートも多い。
だがサイラスの示したプレートの周囲は、真っ暗なのである。
二枚分のスペースだけが、不自然に輝いている。
「場所は確保されているが、存在は発見されていない。そういうことです」
「今では『女神オーマによって出現が予言されたガーディアン』と呼ばれています」
「女神、オーマ……。天界の現在の主」
「えぇ」
現在のエルシオンの最上位であり、タイレス族にとっても主神となるのがオーマである。そのオーマが予言したという、二人の人物――。
「今も輝いている以上は死亡はしていないはずなのですが、これほど長く人の目に触れぬというのも、不思議なものです」
オーマによって示されて以来、数十年が経っている。
いまだ生まれていない可能性もあったが、緊張が高まったのはここ最近のことである。
「……もしや」
名の無いプレートを見上げていたアーカンスは、ふと気付いて問う。
「それが、イシュマイル君だと?」
サイラスは無言でいるが、その態度は肯定である。
二人分のうち、片方はイシュマイルであるかも知れないと第四騎士団では見ている。
「アレイス殿やわたしはそう仮定して行動しておりますが……もう片方に至ってはそれらしき人物すら皆無」
「ただ、何時ここに名前が浮き上がるかは全くの未詳……それを見過ごしてはならぬ、と警告を受けております」
警告、そうサイラスは断言した。
「誰から」
「……アレイス殿の、主」
預言者ベルセウス・アレイスに預言を与えている天人である。
「エルシオンに坐す、さるお方とのみ。わたしには見ることも聞くことも適いませんが」
アレイスの主と表された天人は、しばしばイシュマイルという存在の抹殺を匂わせてくる。明言はされなくとも動く、それが信仰心でもある。
「ガーディアンはエルシオンの戦士であり使徒でもありますが、それ故に人族の味方というわけではないのです。警告を受けているなら尚更……」
「警告……」
「エルシオンですら謎として探し続けている存在……けれど現状すでにこの輝きです。出現するのは、かなりの能力者と予想されています」
「……我々が、イシュマイル少年から感じる脅威、そしてガーディアン・バーツに対する違和感。少しは理解していただけましたか?」
「……」
アーカンスは無言でいたが、今までとは違う角度からの情報を前に、感情に混乱があったのは確かだ。