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アモルファス  作者: 霧音
第四部 諸国巡り・弐
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二十八ノ八、善人

「なぁ、ロア。ドヴァン砦が落ちたとしたら、どうなると思う?」

 スープの皿を掻き回しながら、ジェイソンが独り言のように言う。

「それとも……もし、失敗したら――」

「オレが、死ぬ」

 ロアは淡白に答え、ジェイソンは慌てて言い直す。


「じゃ、じゃあ無事落とせたら? 聖レミオール市国は解放されて、ドヴァン砦も通行できるようになる。ドロワも……サドル・ムレスに戻る?」

「元通り、だな」

 ロアはジェイソンが何を言っているのかわからない様子だ。

「変わらない……なにも」

 いつものように静かな声で言うだけだ。


 ロアはそのまま食事を続け、ジェイソンは手が止まっている。

「だが……タナトスに続いてライオネルも消えることになったら……。そうなったら、カーマイン一強……帝国に住む俺たちタイレス族は、さらに肩身が狭くなるんじゃ――」

「なら、逃げろ……」

 ジェイソンが顔を上げると、ロアがまっすぐに自分を見ている。

「逃げるって……どこに」


「確かに、ドロワやレミオールに逃げ出してる奴らはいる。アテがあって金がありゃあ、な」

 ジェイソンには想像も付かない。

「受け入れられると、思うか? タイレス族だけの国があるなんて、俺には信じられない」

「……」

 ロアは少し考える。

「……無い」

 まったくもって必要以下の言葉しか発しない。

 どちらの問いに対する答えかも判別つかないが、ジェイソンにはどちらでも同じだ。


「俺だって一度は魔物ハンターになって故郷を捨てたさ。だが戻ってきた……今んなってもう一度逃げ出した方がいいってわかってても、もうその気にはなれん。不思議とな」

 ジェイソンも、祭祀官シェイムと同じである。

 ボレアーがどうなろうとも、そこで暮らし続けるだけだと。


「ロア。お前、生まれは?」

 ロアは首を横に振るだけだ。

 覚えてなどいない。

 ただ今までで一番長く滞在したのはボレアーだろうと思われ、その点ではジェイソンと境遇は似ている。


「なぁ、ロア」

 まだ少し迷いはあるのか、ジェイソンがまた訊ねる。

「お前のその技術……どこで学んだんだ?」

「……」

「あぁ、鍵開けとかギミックとか、そっちだよ。ルネーに連れられて修行して回ったんだろ? やっぱりロワールとか、ファーナムとかか?」

 ロアはまた少し考えている。

「ちょっと、憧れるよな。俺はハンターとしてあちこち回ったつもりでいたが、帝国の外には出たことないんだ。……色んなとこで腰を落ち着けて修行を積むっても、悪くは――」


「……ハノーブ、だったかな……」

 不意にその名が頭に浮かんだ。

 街や工房の名ではなく修行した場所でもないのだが、何故かそれを思い出した。


「ハノーブ?」

 ジェイソンには聞き覚えのない町だ。

「そこって小さい、町?」

「……いや」

 ロアは手を止めて考えている。


「――セイグダ・ハノッブ……パル・アギテュール」

「え?」

 不意にロアが不思議な言葉を発した。

「……ディオデキマ・デイケ・ミナメス……ハノッブ・セグンダ……デ・シーマ」

 いつもの掠れきった声でなく、滑らかな音が喉から出てくる。


「……ロア。今、なんて言った?」」

 ジェイソンは少し間をおいてから訊ねる。

 ロアは自分では気付いていない様子で、視線を落とし思い出そうとしている顔だ。


「ハノーブって聞こえた気がするが……なんというか、聖殿の祈りの時みたいな――。お前、いまさらシェイムに祈り方でも習ってんのか?」

「……なに?」

 ロアは今問われたかのようにジェイソンを見た。

 発する声も普段と変わらない。

「いや、なにって……」


 ジェイソンはひとまず聞き流すことにする。

「ま、まぁ、いいんだ。……それより覚えてることは?」

「……」

 ジェイソンは再び訊ね、ロアはハノーブの記憶を辿ろうとする。

「……そう、だな」


「ライブラリー……」

 思いついた単語を口にする。

「ライブラリー? どこかの聖殿の図書館ってことか?」

「……」

「本を読んだだけでそこまで?」

「いや」

 ロアは遠い記憶をたぐっている。

「覚えて、ない……ただ」


「ただ?」

「酷い目に……あった」

 覚えているのは、そこで捕まった記憶だけだ。

 まだほんの子供だった。 

 ロアが最初に捕まった所で、逃げる生き方はそこから始まった。


 以来、ルネーの手によって再び捕まる日までずっと裏社会に居て、カラスとあだ名されるほど逃げ続けていた。

 お頭と呼ばれた男たちは、それを『ギフト』だとも言っていた。


 ハノーブのことは思い出したくない。

 あれ以来、声がうまく出せなくなった。

 ハノーブの記憶を辿ろうとすると、体が強張り自由が利かなくなる。

 それもまた『ギフト』のせいだとも――。


 ロアは両の二の腕をさするようにして、もう話したくないと首を横にふる。

 ジェイソンも気遣って、それ以上は訊ねない。

 マスターはロアのことを「痛くも無い足を引き摺る」と言っていたが、それはロアをよく知ってはいないからだ。


「ギフト……天賦の才ってことか」

 ジェイソンはギフトの意味を古い信仰として知っている。

 神が神の手を人に授ける時、犠牲もまた強いるという考えである。


 言ってからジェイソンは、その意味に気付いて自分で笑う。

「じゃ、俺がハノーブってとこに行っても、お前みたいになれる望みは、うすだな」

 そこまで神に愛されるには、元となる才能がなければならないからだ――ジェイソンはそう解釈して、吹っ切れたように笑っている。

「……」

 ロアには、ジェイソンの笑いの意味がわからない。


「――なぁ、来年もちゃんと来るんだろうな? 今年早上がりした分、お客も待ってるだろうしな」

 ジェイソンは、ロアの身を思っていつもより早く街を出ろと忠告した。

 マスターが心変わりするとは思いたくないが、少なくともマスターの目の届く範囲に、ロアを置いていたくない。

 ロア達が無事なら、ボレアーで何かあっても計画の破綻には繋がらないとも思っている。

 だが街の人々にもこの店にも、ロアは必要だ。


「……生きてれば」

 ロアは冷静に言い、少し悪ぶってか付け足した。

「……自警団員って肩書きは……オレにとって、便利だからに過ぎない。……だろ」

「あぁ」

 ジェイソンは頷いたが、納得したわけでもない。

「でもさ。二人が、ドロワで市民になったって聞いたから、さ」

 ルネーがドロワに腰を落ち着けるなら、ロアもそうかも知れないとジェイソンは思っている。


「準市民、だ……それにオレはサドル・ムレスじゃ、前科者だ」

「お、俺だって帝国じゃそうだぜ、二度捕まった。今だって……」

 ジェイソンはいつもの癖でワルの度合いを張り合おうとする。

 が、相手が悪い。

「今だって――三流の鍛冶屋だよ」

 諦めてそう言った。


「ギルドの支援で工房を持てたが、俺の本当の役目は窓口……使いっ走りだよ。市民に溶け込んで、人目を欺く手伝いだ」

 ジェイソンはそう自虐したが、口調だけはさっぱりとしている。


 ロアは知っている。

 ロアレルムストー・キルグムという存在もまた、便利な肩書きに過ぎないと。

 最初からそして今後もずっと、そんな人間はこの世に居ない。

 ロアはそれを受け入れて演じていて、ルネーはロアとクロオーという二役に対し驚くほど完璧に別の人物として接している。


「……あんたみたいなのを……善人っていうのかも、な……」

「はぁ?」

 ロアはふと口にし、言われたジェイソンは耳を疑った。

 ジェイソン自身の基準でいうなら、自分は善人ではないからだ。


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