二十八ノ七、正しいこと
祭祀官シェイムは少しズレたところがある。
ロアに睨みつけられてようやく自分の失言に気付いたが、慌てる様子もない。
「あぁ、ごめんごめん。クロオーはハンターネームだったね。つい、昔の癖で。……でも夜盗団のクロオー・エアライの方が知名度は上だからね」
わざとか、と思うほどシェイムはその名を連呼した。
クロオー――ロアは鋭い工具を手に、脅すようにシェイムに切っ先を向ける。
かつてのお尋ね者の、錆び付いていない姿だ。
「そう怒らない、むしろ『我々』の世界じゃあ武勇伝だよ?」
シェイムも懲りてはいない様子だ。
ロアは『もう一度言ったら殺す』と言わんばかりの形相だったが、また前を向いて作業に戻る。
シェイムは言う。
「ルネーの口利きで赦免されたんだってね。でもそれでルネーに恩義を感じるってのも何か違う気がするよ、私には」
ロアは持っていた工具をきちんと元の位置に置き、その隣を取る。
「……そんなんじゃ、ねぇ」
床に広げられた工具や取り外された部品類は、綺麗に整頓されている。
シェイムにはその几帳面さが奇特にも見える。
「でももう足を洗ったんだろう? その技術は良い事に使うべきだよ」
シェイムが祭祀官になって、あまり長くはない。
年齢の割りに位が低いのはそのせいで、シェイムもまた元は魔物ハンターである。
以前は力自慢の暴れ者だったが、聖殿での生活に感化されたのか近頃のシェイムはやたらと善や悪といった言葉を口にする。
ロアが手を止めた。
「良い……? 良いとか悪いって、なに?」
いつもの掠れた息のような声で、シェイムの顔を見据えてそう問うた。
「オレは、いつも同じことをしてるだけ……それで金を貰うこともあれば殴られることもある。オレには……その境目がわからない」
いつもはあまり言葉を発さないロアである。
シェイムは祭祀官として迷う者には何か答えるべきだと習っているが、なんら気の利いた言葉も出てこない。
シェイム自身、良いとか悪いという言葉が理解出来てはいないからだ。
シェイムが何も答えないので、ロアはまた仕事に戻る。
「……近々……でかい仕事がある」
手を動かしながら、そう言った。
「ドヴァン砦かい」
シェイムも、ルネーの計略の協力者である。
ジェイソンも、一応マスターもこちらの陣営ではある。
「帝国に弓引くことになっても? それともルネーの命令だから?」
「……それしか出来ないから」
ロアの返答は、シンプルなものだ。
ロアは工具を弄りながら、独り言のように続ける。
「……あいつら……必死でさ。街のために……」
それはボレアーのことなのか、ドロワのことなのか――。
「ふぅん……」
シェイムは意味がわかっていないような相槌を打つ。
「まぁ私は祭祀官だから、レミオールが解放されることには賛成だよ。その結果ボレアーにどういう影響があろうとも、日々やることはそう変わらないしね」
シェイムは暢気にそう言ってのける。
「ハンター崩れの私が、ボレアー聖殿なんてところに潜り込めたんだ……これ以上はないと思うね」
ロアは、シェイムのローブ姿に目をやり、言う。
「……似合ってるよ、それ」
言われてシェイムも悪い気はせず、笑っている。
「……前からおもっていたんだが、『クロオー・エアライ』と『ロアレルムストー・キルグム』どっちが本当のお前さんなんだい」
ふと口にした。
どちらも偽名であることはわかる。
クロオーとは『鴉』という意味で、裏社会の通名であってハンターネームでもないのだが、シェイムはそちらで馴染んでいる。
ロアレルムストーはノア族としての名なのだが――。
「……ノア族じゃない」
ロアはそれだけ答える。
他にも幾つか名はあったがロア自身はいちいち覚えておらず、周囲の人々によって記憶されている名は、主にこの二つだ。
「そうだね。その髪、染粉かい? 便利なものだね。私には染める髪はないけど」
シェイムはロアの黒髪を、そう自虐を交えて冗談にする。
ロアはにこりともせずに言う。
「……似合ってるよ」
ローブの時と同じく、感じたことを口にするだけだ。
帝国人のシェイムはあまり知らなかったが、サドル・ムレスでも西方にはブルネットに近い人々がいる。主にフロントやファーナムの一部などで、いずれも魔力やジェムに関わりのある地域である。
ロアがカラスとあだ名されたのも、その狡猾さに加えて外見的な印象からだろう。ノア族に変装する以前から、ノア族っぽさがロアにはある。
『素早い鴉』などと異名で呼ばれる様を、シェイムは羨ましいと感じている。祭祀官として慎んではいるが、そんなことに憧れる所はいかにも元魔物ハンターである。
鍛治屋の親方、ジェイソンもそれは同じである。
――夕食時。
ジェイソンはロアに、ボレアーを早く発つよう忠告した。
すでにボレアーでのロアの仕事は完了している。
あとはルネーの指示を待つだけで、毎年と同じように鍛治屋に滞在していた。
「マスターか……?」
ロアも、マスターの件は把握している。
「言うな。あの人は、タナトスが帝国のタイレス族を助けてくれると信じてる。異変を聞いて混乱してるのさ」
ジェイソンは、今度はマスターを擁護している。
「マスターとルネーの仲は険悪だ。対立するかも知れんが、俺にはどっちが正しいかなど……わからん」
ジェイソンの本音である。
タナトスとライオネルの目的はわからないが、聖レミオール市国の占拠は、帝国にとって悪手だとは思っている。
聖地は解放されるべきだ、とも。
今更マスターが反対に転じたところで覆ることもないと思っているが、もしマスターがそのような動きをすれば、それを阻むのもジェイソンの役目だ。
できるなら、マスターとは争いたくない。
「……」
ロアには、ジェイソンの苦悶の理由はわからない。
だが『正しいこと』を断じてどちらかを捨てることが出来ない様には、好ましさを感じている。
ロアは常に切り捨てられる側にいて、自分も様々に切り捨ててきたからだ。