二十八ノ六、ロア
「ルネーはドヴァン砦の陥落を狙っている……。それがボレアーの住人にとって脅威になるとわかっていて、だ」
そう断じるマスターの言葉に、親方は反論する。
「必ずしもそうじゃないだろう。今のままじゃボレアーもドロワも干上がるだけだ」
「だが、皇太子タナトスの意には反している」
マスターは、ルネーの行動には支持の姿勢だ。
しかし感情論では同意しかねている。ルネーの態度にはボレアーへの配慮や愛着が感じられない。
マスターは現役の魔物ハンターだった頃、剣士ピオニーズ・ルネーと親しんだ。
ルネーは各地に拠点を置いて大陸中を放浪する剣士だったが、その一つが街道都市ボレアーにある。
当時のハンターズギルドは、ハンターでないルネーの為に窓口を用意した。
何の変哲もない町の鍛治屋に、ルネーはロアという少年を預けた。以来、ロアは定期的にボレアーに滞在する。
「ルネーは高名な剣士で協力的だが、所詮は個人的な契約で動く者……その子飼いのロアもだ」
「やめてくれ、マスター」
親方は、マスターとの何度目かの同じ話題に首を振る。
近頃のマスターは、ルネーに対して疑念を抱くようになった。ドヴァン砦が閉鎖され、ルネーがドロワ市で自警団に参加してからは特に――。
「マスター、俺たちはもうハンターじゃない。ボレアーに暮らす普通の住人で、ルネーはたまたま帝国人じゃないってだけだ。ロアだって――」
「そうだな。お前は元ハンターのジェイソンで、ロアはただの鍵開け屋……名うての盗賊で犯罪者だ」
「あんただってそうだろう!」
親方――ジェイソンは、拳でテーブルを叩いてマスターの言葉を遮った。
「隠居したあんたやギルドを抜けた俺に、他にどんな生き方が出来た? ロアもそれと同じだ。そもそも今のボレアーの状況じゃ誰だって、確実に安全を買える相手と手を組むさ。聖殿も、ギルドも役に立ってはくれないからな!」
「……」
マスターは、しょうがない奴だという顔でジェイソンに言う。
「痛くもない足を引き摺って施しを受けるのが? いっぱしの職人になってもそれを続けて、小銭の袋を騙し取る……。染み付いているのだよ」
「それなら俺も同類だな。あんたには小銭でも俺たちには飯の足しになってるさ」
ジェイソンはあくまで反論を続ける。
「……ジェイソン。善からぬ銭でいうなら私もだ。上納金を取り、賄賂も取れば人も殺す。酒場で水で薄めた酒を出すこともな。だが、私はそれをわかってやっている。お前だって何度も縄を喰らったろう?」
「……あぁ」
「だがルネーにしろロアにしろ、奴らにはそういった感覚がないのだよ。規範となるものが……。そんな連中は、本当の意味では味方にはならん」
ジェイソンはそれ以上の言い争いを諦め、話題を戻す。
「タナトスの身に何かあったんなら、なおさらドヴァン砦は解放された方がいいんじゃないのか? タナトスに出来なかったことが、ライオネルに出来るとは思えんよ」
「……そうだな」
その意見にはマスターも同意する。
「アルヘイト家の中で皇太子タナトスだけが、我ら帝国で生きるタイレス族を気に掛けてくれていた。同類相憐れむというやつだ」
マスターは、タナトス派である。
ライオネルが聖レミオール市国とドヴァン砦を奪取した時も、それがタナトスの命であるなら、と見逃した。
だがライオネルはその後それらしき行動を起こさず、ルネーはドロワに拠点を置いて敵対の立場を取る。
マスターには、感情で物をいうくらいしか不安や不満の行き所がないのである。
翌日。
ロアはボレアー聖殿に出向いて、祭祀官シェイムから受けた修繕の仕事をこなしていた。
もとよりシェイムからの仕事の依頼などジェイソン達への繋ぎか、ロアをボレアー聖殿内に呼び込む口実でしかないのだが、ロアは構わずシェイムを待つ間に黙々と作業をしている。
こういうことが好きだからだ。
ボレアー聖殿に施された細工の一つ一つは古い技術で劣化もあったが、ロアは好奇心を惹かれてか仕事以上の集中力でことに当たっている。
「――ロア」
祭祀官シェイムは、約束の時刻より遅れてやって来た。ロアのために軽食を手に持って来ている。
「一休みしな、ロア。急ぎの仕事じゃないんだ」
中庭を囲む回廊、その回廊に降りる扉の仕掛け部分にガタがきていた。
ロアは壁のレンガを除けて内部のパネルを外し、自分は石の床に座り込んで作業している。壁の中には鍵の機構と、一部にジェム・ギミックのロックが仕込まれている。
鍛治屋の仕事の範疇を超えているが、ロアは気にしていない。
シェイムは段になった回廊の飾り縁に腰掛ける。
持ってきていたロア用の軽食の載ったトレイを、石床に広げられた工具の間へと置いた。
「食べな、手をとめて。……ここは声が響かないし人も来ないから、話しても大丈夫」
「……」
集中を妨げられて、ロアは目だけをシェイムにやる。
皿から一切れだけ摘んで口に放り込むと、また作業を続けた。
「やれやれ……」
シェイムは苦笑いでいる。
「愉しそうだね、ロア」
ロアはシェイムを半ば無視していたがシェイムは気にせず、祭祀官らしく滔々と話しかけている。
「私にはついぞわからないんだけど、それを弄る事の、どの部分が愉しい?」
シェイムは開いたパネルの中を覗く。
ギミックの機構部分が曝け出されていて、その生々しい様に驚いて体ごと避けて視線を外す。壁の中に生き物の臓腑でも見た気分で、肩を竦めた。
「……得意だから」
「うん?」
「それだけだ」
「鍵開けや、ギミック破りもかい?」
「……あぁ」
ロアの答えに、シェイムは笑う。
ロアは石の床に無造作に座り込んで仕事を続ける。
その袖や裾からのぞく肌に、大小様々に傷跡がある。
古いものも真新しいものも。
今のシェイムには、懐かしさを感じさせる光景だ。
シェイムはふと、ロアの昔の話を口にする。
「――確かにお前さんは器用だが、それで捕まってうっかり処刑されそうになるってのは、得意とは言わないよ、クロオー」
ロアは動きを止め、いつものロアには無い眼光でシェイムを睨み付けた。




