二十八ノ二、ライブラリー
「預言者という言葉の意味、わかりますか?」
「予言ですか? 未来を見通すという――」
「そちらではない、預かる方の預言者です」
サイラスは注意深く説明する。
「偉大な存在から人への、大切な言葉を受け取る資格のある者……賜り物を預かる者を指す言葉です」
「つまりは託宣ですね。――通常これが出来るのは聖殿のみです。それも高位の祭祀官を通じてのみ、エルシオンの使徒であるガーディアンすら聖殿を利用します」
基本的な知識を前に、アーカンスは無言で頷く。
「しかし稀に……そういった第三者の介入を得ずに、天人の言葉を直接受け取ることが出来る者が出現する……」
「我等が第四騎士団が他と決定的に違っている所は……その預言者が団の中にいるという事実です」
「!」
「仕組みはわかりませんが、強い感応力と信仰心のなせるわざでしょうか」
アーカンスも思い当たる。
「もしや……アレイス殿ですか」
「……」
サイラスは答えず、ただ沈黙で肯定する。
団長ベルセウス・アレイスはエルシオンと直接交信できる唯一の者だと、サイラスは言っている。
サイラスは言う。
「わたしは団の中では情報通です。人を使い金を使い道具を使い、時間を使って情報を得ます。しかしそうやって集めた情報よりも、早くて正確な預言を『彼』は一瞬で受けることが出来る……」
「そればかりか、他者には得られぬ恩寵をも」
アーカンスにはにわかに理解しがたい話である。
「信じられません……」
「致し方ありません、だからこその『奇跡』ですから」
サイラスも、その語り口は重いものである。
アーカンスの目には、サイラスが日頃隠している憂慮が透けて見えてきた。
自然と気遣う気持ちが沸き、アーカンスはサイラスに問うた。
「サイラス殿。貴方の話しぶりをお聞きしていると、何やら否定的なニュアンスを感じるのですが……」
「左様ですか」
「私は、貴方も熱心な信仰心をお持ちかと」
「持っていますよ、人並みには」
「わたしがエルシオンに感じる神威とは、その絶対的な合理性と秩序。無限の愛などと言う物は厳格に裏打ちされてこそ、です」
恩寵と天罰は表裏一体――。
それがサイラスの理想とする、もっとも美しい世界である。
「エルシオンが何者かに例外を与えたならば、その見返りも必ず要求されるでしょう。それが理だと、わたしは思っています」
「……では、アレイス殿のことを案じておられるのですね」
「えぇ。貴方は飲み込みが早くて助かる」
アーカンスはなぜか安心して微笑み、サイラスも相手に話が通じることに満足している。
「天人はとても気まぐれです。わたしから見れば、エルシオンと天人は同一ではあり得ない。しかし天人の声はエルシオンの言葉でもあります……この微妙な差異が、地上の人族に、幸いと災いをもたらす――」
「それが、強すぎる力に触れるということです……」
サイラスは、エルシオンからもたらされる神託を冷静に見ている。
いつか自分たちの頭上に、アレイスを介して災いが降りかかる――そう予見しており、それを回避する方法を模索している。
――ただの独りで。
「アーカンス・ルトワ。今日貴方を連れ出したのは、見せたいものがあるからです」
サイラスの目的は会話ではない。
この小路の先に、目的ものがあるとサイラスは言う。
「我々が何故、ガーディアン・バーツやガーディアン・イシュマイルを危険視するのか、わかって頂けるでしょう」
(今、ガーディアン・イシュマイルと言ったか……?)
アーカンスはその言葉に耳聡く反応する。
古い小路は木陰を縫うように緩やかに曲がっていく。
サイラスの言う、古の巡礼路である。
小路に誘われるままに暫く行くと濃い緑に囲まれて大きな建物が見えてくる。
「見えますか。大図書館です」
「えっ、もうそんなところまで? 大図書館は聖殿からはだいぶ離れてるはず――」
「近道……ではありません。さっきの小路が本来のルートなのですから」
サイラスは得意げに説明しながら荒れた坂道を登り、整えられた巡礼路へと戻る。
「この建物、外から見ると特徴的でしょう。屋根がこう、天球が被さったかのような丸い屋根で」
小路を抜けると木々に隠れていた空が広くなり、石造りの建物が見えてくる。
霊峰・風炎山を背に、大図書館がその姿を現す。
サイラスの言葉通り、大図書館は古い構造の石壁の上に美しい弧を描く円蓋が乗っている。緑の木々の上にこんもりと連なる屋根瓦が見えている。
「あの円蓋部分には古い時代に作られた天球図があり、天に関する秘儀を会得出来る場所と言われていますが……本来の用途は少し違うのですよ」
サイラスはさらりと言い、アーカンスは鸚鵡返しに問う。
「本来の?」
天球図自体見たことがなく、素晴らしい出来だとかどのくらい正確だ、などといった伝承のみを聞かされてきたのである。
サイラスの口ぶりでは、秘儀など無いということになるのか。
「実の所、この建物が書籍の所蔵庫として使われる以前から、ここはライブラリーでした。つまりは、表の大図書館は目隠しですな」
「目隠し? ……では」
アーカンスには初めて見聞きすることばかりだった。
大図書館にはエルシオン関連の蔵書類のほか、ファーナム市やその近郊、そしてジェム・ギミックに関する書物など様々に収蔵されている。
だが。
「人々の目から隠す必要があるようなものが、ドームの中にあると?」
「えぇ」
サイラスは大きく頷いて言う。
「半分正解です。かつては人々の目に自由に触れていましたし、それが正しい姿で巡礼の通過点でもありました。……しかし今、扉は封印されたまま。一部の者しか入れません」
「どういうわけか正しい巡礼の伝統は廃れました。その原因はわかりませんが、ライブラリー自体は今でも此処ファーナムに、たしかに残っている」
大図書館の重厚な石壁に守られて。
「失われてもなお、それを守り伝えようとした者たちの意志と共に――」
アーカンスは大図書館を前に、上へと見上げる。
碧色のドームの曲線を目で追うと、自然と空へと視線が向く。
青い空に、昼間の白い月が見えていた。
――エルシオン。
何故だかその言葉が月の姿と重なった。
「あそこは本来、貴方の今の階級では入れません。アレイス殿では絶対に許さないでしょう」
サイラスが声を潜めて言う。
「だから、彼の留守を狙ったのです。……ですので、他言しないように」
アーカンスはサイラスの言葉に驚いて振り向く。
つまりはサイラスは、アーカンスにあのドームの内部を見せるためにここまで連れて来たのだ。