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アモルファス  作者: 霧音
第四部 諸国巡り・弐
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二十六ノ六、武装商船

第四部 諸国巡り・弐

二十六、紡ぐ者と読む者と

 大陸の中央にある巨大な淡水湖、アール湖。

 アリステラからウエス・トール王国に向かう航路は、この時期とても安定している。静かな波と心地の良い風は、船が初めての者にも比較的快適な旅を与える。


 イシュマイルはその日、宛がわれた船室のベッドで眠りについていた。


 夢の中で、またいつかの洞窟の風景を見る。

 サドル・ノア族の村、その少し外れにあった洞窟はどこか人工的な佇まいで、人目に付かぬ森の深くにあった。


 夢の中で幼ないイシュは真っ暗な中を歩いていて、その周囲には姿こそ見えないが確かに大勢の人の気配があった。

 彼らは歌っているのである。

 それとも、長い抑揚とリズムに合わせて、古い物語を聞かせているのか。


 景色が見えた。

――その船は海ではなく黒い空の星々の波間を渡る。異なる世界から訪れた異邦人たちを乗せて、繭は揺り篭のように漂い続ける――。


 石舟伝承の一節にも似た情景、無数の人々が歌う紡ぎ詩の中にイシュは居る。

 周囲はキラキラとした光が揺れていた。


 幼ないイシュは幻影の中で、大きな船を見上げている。

 興味を惹かれてかよく見てみたいと感じた時にはもう、目線の先に向かって体がふわりと昇っていた。


 驚きや恐怖はなく、触れてみようと船の外壁に小さい手を伸ばした。

 壁面は暗い景色の中で光を吸い込んで黒く見えていたが、よく見れば僅かに透けているらしく、その厚みが煙っている。

 手の平を当ててみると、樹脂のような柔かい感触が伝わる。石のようだが石ではない。吸い付くようにな滑らかさで、冷たくもなく温もりすら感じる。


 イシュは、この感触をどこかで知っている。

 熱にうなされた時などに、手の平に甦る感覚。何にも触れていないのに、手の平には何かの記憶が再現される。それが何なのかはわからない。


「――来てはいけない」


 不意に、すぐ近くで声がした。

 レムの声がとてもはっきりと、耳の近くで聞こえる。

「お前は来てはいけないところだ」

 振り向く前に、弾き飛ばされた。



「――!」

 船室のベッドで、目が覚めた。

 咄嗟には此処がどこで、今がいつかもわからなかったが、唯一ここが現実だとわかったのは、夢には無かった全ての音がその耳に明瞭に聞こえたからだ。

「……船……?」

 体を起こして周囲を見回すと、並んでいたベッドの片方が空になっている。

  同室のバーツはすでに起きて船室を出たらしい。


 ベッドから降りて歩こうとしたが、体の自由がきかずにふらついて、またベッドに手をついた。

 体調からではなく、船が揺れていたからだ。

 先ほどまで凪いでいたはずの波が高くなったのか、船室がゆっくりと揺れていくのがわかる。建具が小さく軋む音が聞こえ、傍らの本が床へと落ちた。



「キャプテン・バルバス、何があった」

「これは……ガーディアン・バーツ」

 バーツがアリステラ商船のブリッジに顔を出した。

 ブリッジは客室ハウスの上部にあり、バーツとイシュマイルは特別に最上部への出入りが許されている。


 バーツは異様な気配を感じ、船長バルバスと話している。

「航路から外れています。現状すでに不可侵水域に入り込んでいる状態で」

「いつの間に?」とバーツも水面と空を見上げている。 


 不可侵水域とはアール湖の中央一帯を指し、どの街の船籍であってもここを抜けてはいけない水域である。


「抜けられないのか?」

「波でも風でもなく、なにか別の力で船が流されておるのです」

 バルバス以下、この船のクルーは経験豊富な者たちではあるが、今はその表情に焦りを滲ませる。

「このようなことは……私も初めてのことで」


「バーツ!」

 イシュマイルもブリッジに上がって来て、大声とともに飛び込んでくる。

「これって何かの魔力じゃない? さっきから急におかしいよ」

「あぁ、お前もわかるか」

 バーツはイシュマイルの顔を見、そしてバルバスに言う。

「まずは乗客を全て船室に避難させた方がいい」

「もとより」

 バルバスが階下の船室に報せを入れようとした時、ブリッジの伝声管越しに声が響いた。


船長キャップ、右舷に船影! ノルド・ブロスのものかと――」

 右舷デッキにて見張ワッチにあたっていた航海士の報告に、ブリッジ内に緊張が走る。

「俺が出る」

 バーツはバルバスとイシュマイルの返事を待たずにブリッジを飛び出す。


 バーツが右舷デッキに上ると、果たして黒い船影が急速に近付いてくるのが目視できた。

「――近い。真直ぐに来ます!」

 航海士はブリッジに向かって対衝撃体勢を警告し、自らは安全帯のフックを二本手に引き出してきて、片方をバーツに差し出す。


「ガーディアン、貴方もこちらを。体を低くして!」

「軍船じゃないのか。攻撃してくる可能性は?」

 二人はフックを繋ぎ、身を低くしてレイルを握りつつ声を上げて話している。双方の船の発する警笛が、二人の声を掻き消した。 

「武装商船のようです。……接舷を強行する模様ですが、こちらからは先制攻撃できません!」

「接舷? みすみすぶつけてくるのを受けるのかよ!」

「この距離です、こちらが避けられない以上――」


 すでにアリステラの船は制御不能になっており、不自然に東へ流されながら惰性で進んでいる。

 ノルド・ブロスの船は東からゆっくりとやってきて、急速に回頭すると横腹を見せた。通常の船の動きとはまったく違って、巨体が水の上を自在に滑って近寄ってくる


 このまま接触は免れないと構えた時、二隻の間で異様な波が吹き上がった。

 波しぶきと泡、魔力を帯びた空気の壁が二隻の衝突を防いでいる。

 二隻は大きく揺れ、客室内では船に不慣れな乗客らが転倒するなどして悲鳴が上がる。


「しっかり掴まって!」

 バルバスに言われるまで無く、イシュマイルも手摺りにしがみつく様にして揺れを耐えていた。ブリッジから外を見ると、黒い船体が窓一杯に埋め尽くして何も見えない。


 跳ねるような揺れが治まる間もなく、今度はアリステラ船の船体に衝撃が数度響く。

 バーツが下を見ると、巨大な接岸フックが船縁に打ち込まれて固定されている。下部の船楼部にも係留台が密着しており、アリステラ船は完全に帝国船に固定されてしまっていた。


 繋がれたまま、二隻はしばし波間に揺れる。

 その周囲には、ノルド・ブロス籍と思われる武装商船の船影が見える。


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