二十六ノ五、紋章
「……なるほどな。家柄も才能というが、あんたにはそれがあるわけだ」
話していた団員が離れてカルードが一人になった隙間に、ふとフェルディナントの口からそんな言葉が出た。
嫌味か皮肉の一つでも言おうとしたのかも知れないし、ただの感想だったかも知れない。だが返すカルードの言葉に、フェルディナントは虚を突かれる。
「フェルディナント、お前は頭が良いし俺に遠慮なく意見を言ってくれる。有難いと思っている」
「……!」
思い返せば、改まって謝意を告げたのは初めてかもしれない。
レイムントらと違って、フェルディナントに対する時には身構える癖が付いていた。今は、少しは落ち着いて話が出来る気がした。
対するフェルディナントは応える言葉に窮してか、自分の顔を撫でる仕草で口元を覆って言う。
「……ならば当のガレアン家の荘園にも改善を求めたいが、それはどうかな」
「父上の?」
珍しいものを見たかのように、カルードが見上げて問う。
フェルディナントの方も、動揺を隠そうとする余りに咄嗟に口をついて出てしまった。
以前から思ってはいたが、誰にも言ってはいなかったことを。
「果樹園か穀物畑あたりで何かあったか」
カルードはいつになく会話を進めてくる。
調子が狂うとはこのことだ、と内心焦るフェルディナントである。
「……なに、厄介ごとじゃねぇよ。おたくの園じゃ出荷の出来ない屑実は大方棄てて、マシなとこでも家畜に与えるかしているって話だが」
「近頃じゃその辺りの改良も進んでてな。無駄にすることもないってわけで、そういう話を上に通したいが中々聞いて貰えない」
フェルディナントにしては歯切れの悪い物言いだが、大方の意味はわかる。
「それは」
「聞いておかねばな」
「だろ。だからあんたには、下の声を掬い上げて貰えるよう口をきいてもらいたいってわけだ」
「……なるほど」
栽培のことはわからないが、そちらならばとカルードも頷く。
「何とかしてみよう。父上より兄上の方が好みそうな話だ。――それにしても」
「お前の身内か? 父上の所で働いていたとは、奇遇だな」
「……」
懐かしそうな声音で問うカルードに、フェルディナントは暫しの躊躇いのあと、言い放った。
「いや、俺さ」
「自警団に来る前は、ガキの頃から今まで、ガレアン家の果樹園で毎日汗だくで働いてたぜ」
今度はカルードの方が虚を突かれた
「下町の露店で料理鍋をかき回してた頃よりは見入り良かったが……それでも満足いくもんじゃなかった。特に、若造だからという理由で何一つ認めて貰えないってのは……キツかったな」
フェルディナントは彼らしからぬ声でようやっとそれだけ繋く。
「だから一発逆転を狙って自警団に入ったわけさ」
フェルディナントは普段から自分のことはあまり多く語らない。
地竜の適性試験の時もガレアン家の名を出さなかった。団長候補がガレアン家の者ということもあって、尚更口にしなかった。
ただ、ただ悔しさからだ。
フェルディナントのそんな嘘も意地も、顧問官や指導役の人々は知っていたのかも知れない。結果的にフェルディナントは副団長に指名され、ガレアン家の者に一番近い役割を与えられた。
だがそのことは団員たちは知らず、カルードも全く予想の外だった。
荘園で働く人々にガレアン家がどのような待遇だったのか、まして子供の労働者となると良いものだったとは思えない。
カルードには言うべき言葉が見つけられなかった。
「残念ながら、初代団長の座はあんたに獲られたがな」
「……そうか」
「わかったろ、俺があんたに懐かねぇ理由がよ」
「そうだな」
呆然と相槌だけ返すカルードに、フェルディナントは鼻で笑って言う。
「まぁいいさ。あんたが自警団と街を良くしてくれるって言うなら、ひとまず俺はそれでいい」
「あんたはたぶん……なるべくして団長になったんだろうからな」
「……」
フェルディナントとしてはそれも本心である。
寄せ集めだった自警団が何とかここまで形になったのは、ガレアン家の貴族息子の看板があったからだとも、今なら思う。
その貴族息子の口から、この街の少し先の様子が覗えて、叶うのなら悪くない望みだとも思った。それは上から一方的に与えられるものではないはずだ。
「あんたのことも、何度か見てる」
労働者と雇い主の息子、フェルディナントの一方的な記憶でありカルードは相手が何を感じたのかすらわからない。
子供の頃を振り返りながら語るフェルディナントの瞳に、ガレアン家の紋章が映っている。果樹園の門や、木箱に捺されたガレアン家の紋章と同じもの。
本当に嫌になる位に見てきたものだ。
「……あん時のまま、いけすかねぇ貴族のクソガキのままを期待してたのにな。あんたときたら……」
視線を向こうに、苦笑いでそう追想するフェルディナントを、カルードは見上げている。初めて見る笑い方といつになく悪態をつく様に、我知らずその笑いが移った。
「そんなにか」
「あぁ、兄上共ほどじゃあないが」
「確かにな」
「下町で何かやってるみたいだが、あんな調子じゃあ、あんたの兄上は失敗するんじゃないか?」
「たぶんな。だがその方がいい。ガレアン家への風当たりは強い今、他の貴族たちの溜飲も下がるだろうさ」
カルードが笑う。
作り笑いや見様見真似でなく。
自然とこみ上げてくる笑いなど、久しく感じてなかった。
兄が何かして父が慌てる様など、子供の時以来見ていない。
それを思い出して、子供の時のように笑った。
聖殿騎士だった頃に大事に抱えていた誇りだとか諸々のことを、眩しく思い返さないわけではない。ただ道は確かに続いていたと感じ始める。
聖殿騎士の結束の固さ、組織として完成された生き方とはまるで別の世界、その生活の中に自分の居場所というものが形になりつつある。
フェルディナントは気付いた。
いつの間にか、自分がカルードの傍らに立って笑っていることに。
その位置に、覚えがある。
いつだったか、白狼を倒した時に見た景色――あの時はネヒストがいた。
フェルディナントはいつもの癖で一歩下がって離れようとし――その気恥ずかしさを振り払ってその場に留まった。
あの時、誰にも言わなかったがその光景には憧憬を抱いた。
今は一先ず、この位置に立っても良いのだと、不思議とそう感じた。
顔を見ると、遠くに目をやるカルードの瞳に苦悩が伺えた。
視線を辿った先にあるのは、修復された家屋とガレアン家の紋。
今のカルードが何を思って表情を曇らせているかまでは計りかねたが、これまではそんな微妙な感情の差など気付かなかった。
この距離から見る景色はまるで違う。
(これが、信頼される者の位置なのか――)
なぜか、そう思った。
認められることに必死になってきた生き方が、その記憶が頭を掠める。
この位置がそうなのかはわからないが、存外に悪い気はしない、とも思える。