二十五ノ九、縁談
レイムントは宿の女将クレアに注文を頼むと、木造の階段を昇って客室へと戻ってきた。
「階下が騒がしいようだが」
室内ではカルードが書簡の類に目を通している。
部屋に戻って休むのかと思いきや、いつも通りに仕事をしている。
カルードの今いる部屋は執務室として使っている客室だ。
階段を着き上がった先にあり、ホールからの音や声が響いて中々に騒々しい。普段は扉を開けて誰でも入れるようにしてあるのだが、カルードを気遣ってかレイムントは扉を閉めた。
「貴方が昼間からここにいるからでしょうな」
レイムントは、カルードの正面に腰を下ろして、つかの間くつろいだ。
「……あいつらは何で居るんだ、真昼間から」
「非番だからですよ」
以前は剣士が集う宿だったが、今は魔物ハンターが多く滞在している。
市民兵と違ってドロワに住居が無い彼らは、準市民として無償の宿舎が与えられているのだが、宿代を払ってでもこちらに泊まりたがる。
宿の亭主、ロランとクレアは、市民の団員は歓迎したが魔物ハンターは苦手だった。
ただカルードがいる限り、他の宿よりは大人しい。
宿屋は日雇いの女を増やした。
今は三人の娘が一階の酒場で給仕している。
ひときわ大きな声で、団員らを叱責する声が聞こえる。
若い娘の張りのある声が響き、次いで団員らの笑い声が聞こえる。
「……ディアヌか」
「えぇ。おっとりしたクレア殿と違って……まぁ、なんというか」
言葉を濁すレイムントの様子に、カルードも僅かに笑みを見せる。
「俺の顔の傷を見て怖がっていた娘が、随分としっかりしたものだな」
「違うでしょ」
レイムントは、即座に否定した。
「ここは昔っから剣士だの魔物ハンターだのが大勢利用する宿ですよ? 顔の傷くらいで怯える娘じゃありませんよ」
「じゃあなんだというんだ」
レイムントは言葉に少しの含みを持たせる。
「……たぶん、想像していた『ヘイスティング・ガレアン』の顔と違ったからじゃないですか」
カルードは、ディアヌと会ったことは無かった。そもそもクレアに娘がいることすら知らなかった。
だがディアヌの方はそうではない。
祖父の話と共に、その愛弟子の評判は幾度と無く耳にしていた。
「あの娘は……お爺ちゃんが大好きな孫、なんでしょうなぁ」
その孫娘と祖父は、今まで共に過ごすという経験が殆どなかった。
カルードの計らいで、その祖父と暮らす生活を得てディアヌは今までに無い楽しさを感じている。レイムントもそれは知っていた。
「……ほれ、この宿の亭主のロラン。あれはかなりの剣士嫌いなんですが、その理由は言うまでもないでしょう」
「あぁ」
ロランは、家族を捨てクレアに苦労をかけた義父ルネーを許していない。
「しかしその娘のディアヌは祖父への憧れもあって、大の剣士好きときてる。ロランでなくとも、男親ならピリピリするでしょ」
「そういうものか」
「ロランが貴方には無愛想なのは、そういうことですよ」
「……またか」
カルードの周りには、この手合いの溝があちこちにある。
貴族だから、聖殿騎士だから、若いから、など色々な理由を聞かされてきたが、今度はそれに剣士という条件が加わった。
加えてルネーの弟子でもある。
ロランに関しては察しはついていたから放置しているが、改めて聞かされる溜息のひとつもでるというものだ。
そんなカルードに、レイムントは忌憚無く尋ねる。
「……身を固める気は、ないんですか?」
「え?」
レイムントは窓の外を向いていて、カルードの顔を見ずに話している。
「貴方は今、これまでの身分も生活も捨てて市井での暮らしに馴染もうとなさってる。それが本意であるのなら、これも視野にいれておくべきですよ」
「……レイムント」
皆が気付いていることだ。
カルードが、別の何者かになろうとしていることを――。
レイムントならずとも、その姿は不自然に見えている。
「お前はすでに妻子があるからな……。こういうこともこなして――」
「でも、気付いてないわけじゃないでしょ? 今もあの娘たちが浮かれていて団員らが冷やかしている、その理由ですよ」
言われるまでも無く、今までも何度となく団員らにからかわれてきた。
「あのかしましい娘たちが、貴方の前だと借りてきたようにお澄ましますからなぁ」
「……あぁ」
「正直、少し堅苦しい……」
娘たちの態度なのか今のレイムントの話題なのか。
「では、好ましいと思う娘などは?」
「……」
矢継ぎ早のレイムントの問いに、カルードは答えない。
「……レイムント。俺にも許婚くらいはいたんだよ」
「えぇ。存じております」
勘当された時に破談になったという噂なら以前から耳にしていた。つい先程もルイとの会話にその顛末を垣間見もした。
「まだ思いがおありで?」
「いや……そういう話じゃない」
レイムントは興味本位で訊ねているわけではない。
個人的にカルードの身を案じているし、副団長として自警団の今後も視野にいれて考えている。
カルードは部下に自分のことは話さない性分ではあるが、レイムントの気遣いを汲んで、いつもよりは踏み込んだ会話にも応じている。