二十五ノ七、ロドルフス
「そうなの……あの子がね」
自室にて白狼フェンリルの顛末を聞いている間、ルイは静かにしていた。
「どうだった? 月魔になったあの子は綺麗だった?」
聞き終わり、最初にそうカルードに尋ねた。
「……」
ルイは指先の端々にまで気を張り詰めて動かすのだが、この時も長い指を癖でずっと動かしている。その仕草は気障なものだが、節張った指の薄い傷の跡は日々の鍛錬に由るものでもある。
「いえ……。見識の無い私の目には、とてもそのようには……」
「そう」
そしてぽつりぽつりと語り始める。
「ロドルフスはね、ノルド・ブロスで買ったのよ。あの毛並みに一目惚れしてね」
ロドルフス、とは白狼フェンリルのことである。
つまりはノルド・ブロス帝国からの密輸。
白狼ロドルフスは数年の間ルイの元で飼われていた。その後どうやってか屋敷から逃げてドロワ近郊の森へと逃げ込み、そこで他の狼たちと交ざって一族を形成したのだろう。
辺り一帯で旅商人や農場の家畜を襲う狼のリーダーを、いつしか人々はフェンリルと呼ぶようになった。
――森は月魔の徘徊する場所、冥界へと続く入り口だと人々は考えている。
深い森に潜む狼も森の支配者として恐れられ、同時に竜族にすら牙を剥く様から、自然の理を守る存在ともされている。
特に『フェンリル』という名は、深い森に踏み入れようとする人の前に現れ、威嚇するものを指す。転じて、閉鎖的な神秘主義者などが仲間内の印として狼フェンリルの紋章を身に付ける、とも言われる。
「……ルイ」
カミュが呆れ半分に声を低くする。
ルイが白狼を飼っていたことは、カミュたち親しい貴族仲間も知らなかった。
カミュは友人を相手に子供を叱るような口調で語気を強める。
「それがどれほど安直なことか。あの狼の血を引く群れは手強い。被害に遭うのは、ドロワ市民なんだぞ」
「それは……申し訳なかったわよ。これでも探したのよ? 人手を使って」
さすがにルイも弱い声で言い訳をしたが、本当に理解しているかどうかは怪しいものだ。
白狼の件も、その前の月魔騒動の時もルイは屋敷に篭っていたので被害の程を実感してはいなかった。
「ともかく、今回の件は痛み分けにさせて貰うぞ? こちらが退治したのは、あくまで月魔。君の財産じゃない」
「わかってるわよ。……もともと貴方たち相手に訴えたりしないわ」
これがルイと白騎士団による示談でもある。
自動的に自警団やほかの聖殿騎士団にも適応されるのだが、ルイ本人も言う通りそんな話し合いをする為に時間を作ったわけでもない。
「やれやれ、疲れた」
部屋を後に、ルイから解放されるなりレイムントは大きく息を吐いた。
それまでずっと黙って貴族たちと元貴族の会話を聞いてはいたが、ルイの早口と気紛れとも感じる話題の飛び方には付いていけずにいた。
「私には刺激が強うございますな」
結局ルイとは言葉は交わさず仕舞いである。
そんなレイムントに、カミュは少しだけルイを擁護する言葉を言う。
「存外に自由意志などないのが貴族さ。そうは見えないかも知れないが」
「えぇ」
カミュにはレイムントの疲労の理由はわからない。
ただ大抵の者はルイが相手では振り回されるだけだと、身をもって知っている。ルイはいつでも有り余るエネルギーを持て余しているのである。
「いいんですか?」
屋敷の庭を戻りながら、レイムントがカルードに訊ねた。
フロリンダという娘のことである。
「……あぁ」
レイムントならずとも、あの話の内容は察しがつくというものだ。カルード――ヘイスティングにとって親しい娘だったフロリンダに、ルイは求婚すると言う。
カルードは実家ガレアン家を勘当された時、その婚約者との話も破談になっている。それは皆が興味を持って知っていることだ。
その元婚約者というのが、フロリンダという娘なのである。
「……ルイ様は人柄も功績も申し分ない。魅力のある方だしな」
カルードは淡白に答える。
「そして家柄も、な……。彼女の家も名誉も守られる」
そういうものなのか、そうレイムントは眉を上げたが口にはしない。
カミュも横からレイムントに言う。
「むしろ彼が身を固めれば、これで奥方に手を出されずに済む旦那方が安心するんじゃないかな」
ルイが恋多き男なのは、その見た目からも想像は出来る。
高い家柄ゆえに良縁が纏まらずにいたルイだが、それを上回って火遊びも派手だった。目に留まったご夫人や娘、若者等見境無く誘惑するのである。
「現実はどうあれ、形の上で安全ならそれでいいんだ」
社交界でそれを語るのは、それこそ野暮というものだ。
「……そういうもんなんでしょうかね」
レイムントには、やはり理解しかねる倫理観である。
けれどそんなルイが、自分から改まって求婚すると宣言したのなら、それは本気なのだろうとカルードもカミュも感じている。
「しかし……。あのルイ様というお方。やはり今度の件でお名前に傷が付いたのでは? あのフェンリルの被害も、全てはあの方が――」
竜馬車に乗り込み、再び市街地に向かいながらレイムントは気になっていたことを訊ねる。
「優しいな。ルイの心配をしてやるのか?」
「い、いえ。そういうわけではないのですが……」
白狼フェンリルによって数年に渡って家畜等に被害が出ている。そして今回はそのフェンリルが街中にまで現れて大きな騒動にもなった。
内密に話を進めたとて、いつかは人に知れるのでは――そう思うのが当然である。
「今度の件、確かに噂が広まればルイも窮地に立たされるだろう。事が事であるし、普段から足元を狙う者は多い」
「では――」
「でも、その噂は広まらない」
カミュは断言した。
「もし広まったとしても、ルイの名誉は傷つかない形に嘘が混ざるだろうな」
「なぜ、です」
「噂を撒き散らす大元が、身内にいるからだ」
レイムントは口が堅い、それ故にカミュもこの街の真実を一つ明かす。