二十五ノ五、貴人
しばらくして、オルドランと二人のオペレーター、テセラとエネアは退室した。
聖殿にて定刻の儀式があるからだ。
聖殿騎士団と自警団もそれぞれに持ち場に戻る。
あまりに長時間幹部を一所に集めていては、反意を疑われる。
カルードは、一人で議場をあとにした。
終始言葉が少なく議論にも参加しなかったカルードの背を、カミュは黙って見ている。
そのカルードに、小走りで追いついて声を掛けたのはレイムントである。
「カルード、お待ちを。カミュ殿がご用があるとかで」
「……団長が?」
カルードはつい昔のようにカミュを呼び、視線をそちらに向ける。
カミュはそれを確認してから、ようやくカルードに話しかける。
「カルード、いやヘイスティング。私はこれからとある所へ行くのだが、同行を頼みたい。無論、断っても良い。強制はしない、場所は新市街区だ」
カミュは改まって、そして手短に要点を告げる。
新市街でいずれかの貴族に会うのだと、カルードでなくても察しがつく。
「……なぜ、俺に」
「今回の件、特に白狼フェンリルに関することなんだ。だが家名に傷をつけるわけにはいかぬ故、先程は皆に報告しなかった」
カルードの脳裏にまさか、とあることが過ぎったが、今は口にしない。
「……安心しろ。自警団から直接話を聞きたいとの仰せだ。害はないよ。なんならレイムントたちも来ると良い」
カミュはいつも通りの笑みを浮かべ、カルードはレイムントの顔を見る。
レイムントは緩衝材のようなものだ。
カルードにとっても、カミュにとっても、そこに居ることでデリケートな会話も滑らかになる。
三人は旧市街を少し歩き、カミュが予め呼んでおいた竜馬車へと乗り込んだ。
特別なことはない。
貴族屋敷を訪ねるならば、竜馬車で乗り付けるか竜馬に騎乗して赴くかが常である。カミュは白騎士団側の供を一人も連れていなかったが、誰もそのことに違和感は覚えなかった。
竜馬車は貴族屋敷の並ぶ一等地を通り、そこからさらに北へと向かう。
以前カルードたちが新市街で異形の月魔と遭遇した場所は、街道を見下ろす眺めの良い山際だったが、いま竜馬車から見える景色は山の木々が鬱蒼としている。
「ドロワ城の東側は山ばかりだと思っておりましたな」
レイムントが、左手側に見えるドロワ城を振り返って言う。
此処まで来ると、そこに邸宅を持っているのは城主セリオの親族か、よほど古い家柄の名家のみである。
カルードの実家であるガレアン家、そしてカミュの本家よりも格上の貴族ということになるが、カミュは白騎士団の制服のまま、団長として来ている。
緊張している様子もなかった。
「フェルディナントは置いてきてしまったが……良かったのかな?」
カミュは、レイムントやカルードとは対面に座っている。
レイムントは好奇心から、カルードは無言でそれぞれに窓の外を眺めており、そんな二人の様子を暫く観察していた。
「フェルディナントはまだセルピコ殿と何事か話し込んでおりましたので」
素早く反応して返答したのはレイムント。
「……あいつなら大丈夫。あとで報告をきこう」
そうレイムントに言うカルードを見、予想していたよりは副団長二人と上手くやっているなとカミュは微笑む。
「それに、フェルディナントには刺激が強いかも知れませんから、来ない方が良いかとも思いまして」
「貴族嫌いだから?」
「いえいえ、そうではなくて……彼は生真面目ですから。白狼の件は見過ごせないことも多いでしょ」
含みのあるレイムントの物言いに、カミュが何事か気付いて問う。
「レイムント。君はどうやら承知しているようだが、平気なのか?」
「これでも私、竜の訓練士でしたから」
レイムントは庶民らしい苦笑いで言い濁す。
「なんというか……まぁ、お屋敷なぞに出入りの許された日には、表に出来ないあれこれも幾つかは見聞きすることにもー、なりますので」
「……なるほど。君は『口が堅い』と聞いていたが、そういう意味だったか」
カミュも、珍しく悪戯めいた笑みを浮かべる。
聞かなくてもおよそ想像は付く。
男女の間柄や性的な嗜好、犯罪絡みで入手した品、政治的な不正、上流の取り繕った顔とはまるで違う素顔――色々な物を目にする。
だから大抵のことには慣れている、そうレイムントは自負していた。
白狼フェンリルの裏に上級貴族の存在があったからとて驚くには値しない、そう達観したつもりでいた。
だがレイムントは到着して早々に面食らうことになる。
人の美意識以上に、他人の理解の範疇を超えるものは無いのかも知れない。
「これは。なんというか……あ――」
「悪趣味、か?」
レイムントの呟きを遮って、カミュが先に口にする。
「いえ、敢えて、背徳的か、と……」
取り繕うように言い直すレイムントだが的確な言葉が出てこない。
これまでも貴族屋敷には何度か訪れたが、壁の色彩が賑やかだとか過度な装飾、過密な調度品といったものなら目にしてきた。
だがこの屋敷はそうではない。
根本的な感性がずれている、そう感じた。
「……やれやれ、私には刺激が強すぎますな」
ひとまずはそれだけ口にした。