二十五ノ一、ⅣとⅨと
第三部 ドロワ・弐
二十五、露
しばらくして、議場にオルドラン・グースが姿を現した。
祭祀官長としてのローブを纏う初老の男性である。
長くドヴァン砦ら囚われていた為、解放された時は疲労困憊してやつれて見えたが、今はもう回復している。改めて近くで見ると、掘り込まれたように表情の堅い人物だった。
「オルドラン殿、この度は」
型通りの挨拶もそこそこに、カミュが直接謝意を伝える。
「我々の要請に応え、輪を発動して頂き――」
オルドランはその言葉を遮り、無言で頷いた。
「私個人や人の意思ではない、命じられるままに……」
誰に、とは言わなかった。
「じゃが此度はこちらの不手際じゃ。一所で片付けようとする余り、委細を丸ごと逃してしもうた。儂の浅慮であった」
「……セルピコ殿。過ぎたことです、それよりもわかっている事実だけを見ましょう?」
オルドランはその話は横に置き、入室してきた二人を皆に引き合わせた。
祭祀官と同じくローブ姿、年齢ははっきりしないがオルドランと似て表情が無く、所作の端々で人形のような精密さがある。
この二人は所謂『オペレーター』と呼ばれるガーディアンの一種なのだが一般にはそうとは知られていない。聖殿の秘儀を司る高位の祭祀官、とのみ紹介された。
すでに聖殿騎士団と自警団の持つ情報はオルドランらには伝わっている。
二度の月魔事件の大きなあらましは謎のままだが、わかっている部分のみ、オルドランからの説明があった。
「今回の月魔発生の仕組みがわかりました。おそらくは前回の六体の時も同じ方法だったと思われます」
二振りの、筒状の短剣が回収されている。
傍らのオペレーターが短剣を両手で丁寧に持ち上げ、居並ぶ一同に見せた。すらりと伸びた指に金属製の筒を載せて掲げる様は、どこか儀式めいて見える。
「これはジェム・ギミックですが、ギミック部分は主にジェムの魔力を封じる為のものです」
オルドランが事前の検査の結果を報告する。
「今中身は空ですが、ここにジェム原石の欠片が整形された状態で入っていました。これを体内に打ち込むための装置でしょう」
「……つまり」
「人為的に月魔を作り出す道具、ですな」
やはりか、という溜息が皆の間から漏れる。
今一人のオペレーターが、オルドランに代わって言う。
「聖殿のギミック専門家により、実際に試射した上で検証致しました」
その中性的な声音と、さらりと言ってのける内容に居並ぶ三団の者たちは言葉を呑む。
オペレーターは、自らをテセラと名乗った。
今一人の短剣を掲げている者をエネアと紹介したが、それらは名前ではなく数字、ナンバーでしかないことまでは言わなかった。
「ガレアン殿」
オルドランは未だにカルードをその名で呼んだ。
「前回、第七中隊が新市街区で遭遇した月魔は、通常と違う異形のものだったそうですな」
オルドランの淡白かつストレートな口調に、カルードは若干の戸惑いを覚える。
「……えぇ。それまでの月魔と姿かたちは似ておりましたが、上半身は結晶のような物が覆っていた……その体は、獣の部分ですら剣で裂けぬほど硬かった。まるで岩か金属のような――」
「同じ状態を、作り出してみました」
冷たい口調で繋いだのはテセラ。
「どうやら打ち込む欠片の数、そして位置です。多すぎるとそのようになり、一押し程度なら通常の月魔と化します」
恐ろしい人たちだ、そうカルードだけでなく皆が心中で思う。
黙りこんでしまうのを避けようとしてか、セルピコが大袈裟に言う。
「月魔を人の手で作り出して街を襲わせるとは……度し難い!」
「それよりも目的じゃよ。例の、ライオネルの策にしては随分と粗雑な印象じゃ。前回はともかく、今回は何が目的なのかまるでわからん」
セルピコの問いに、カミュが問いで返す。
「ライオネルの仕業ではない、と? 先日のクライサー・オイゲンの件もあります。我々に対する揺さぶりでは?」
「わざわざ『前回の犯人は私たちです』と名乗るのが? このギミックの筒がファーナム製だという証拠でもあれば別じゃが」
「それについてですが」
いつもの掛け合いになる二人を前に、オルドランが口を挟んだ。
「ファーナム製のギミックの特徴ではないとのこと。何より、その道具についてはノルド・ブロス帝国内で使用されていた、ある道具かと推測されます」
「百年近く前に遡りますが……帝国が復興段階にあった昔、人為的に月魔石を生産する施設があったのは事実です」
「……月魔石を?」
「月魔を人為的に発生させ月魔石を収穫する施設、です」
収穫という言葉に、一同はぞっとする。
それは帝国内では『月魔の牧場』とも揶揄された施設である。
月魔化した動物を屠ったとも、人を使ったとも噂される。
「今は禁止されておるそうですが、水面下ではまた存在しているのは想像に難くない。言うなればこれは、月魔を作る為の種付け道具といったところでしょうな」
祭祀官長としての厳かな声音にそぐわぬ、オルドランの物言いである。
気立ての優しいカミュも、人道を重んじるセルピコも、この話には不快感を感じている。
「月魔石を人の手で作り出して……それで一体なにを?」
カミュの問いにオルドランは頷き、セルピコに問いを振る。
「セルピコ殿は、前回のドヴァン砦攻略でご覧になったのでは? 砦の守備隊は月魔石らしき魔石を兵器、あるいは魔方陣の発生器として使用していた、と」
「……儂はこの目で見たわけではないが、ファーナム騎士団はそれで壊滅させられたらしい」
「月魔石のジェム・ギミック、ですか……」
オルドランは『月魔石らしき』と仔細をぼやかしたが、周囲はそれを聞き損じたようだ。
ともかくも、通常のジェム・ギミックに比べそれらがどれほどの威力があるかなど、もはや想像の外だ。