二十四ノ七、月魔竜
近付いてくるのは、地響きだ。
揺れを伴って迫ってくる音に混じり、獣の吼えるような声が聞こえる。
――何かの生き物、それも、巨大な!
重い衝突音が響き、それが旧修道院の壁が崩れる音だと把握した時には、次の壁が崩され瓦礫が庭園へと降り注いだ。
壁の向こうから切裂くような咆哮が響き、庭園の太い古木が裂ける音を立てて傾いだ。
「これは……ドラゴン・ブレスかっ?」
日頃から竜馬を扱う白騎士団には、覚えのある音と光景だった。
二発目のドラゴン・ブレスが放たれると、頭上にある斜塔が崩れ落ちてきた。
白騎士団は咄嗟に市民兵を庇い、魔物ハンター達は音のする方へと身構えた。
庭園の向こう――修道院の廃墟の屋根に、肉の塊が現れた。
現れた直後、その重さに耐えきれず壁が崩れ、屋根ごと無様に落下した。
「竜――にしては、大きい!」
瘤のような突起と膨らんだ皮膚、そして氷解のような透明の塊。
「あれは――!」
ネヒストとカルード、そして白騎士団がその姿に反応する。
(あの時の……化物と同じ!)
カルードはフェルディナントに肩を借り、引き摺られるようにして避難させられていたが、この光景を前に身を震わせた。恐怖からではなく激情からだ。
フェルディナントは、今にも飛び出しそうなカルードを掴まえているだけで手一杯でいる。
居並ぶ白騎士団も、かなり冷静さを欠いた状態で肉塊を凝視していた。
その皮膚は竜馬よりも赤く、わずかにまだらの模様が見て取れる。
――まだらの竜の成れの果てである。
元の大きさよりも二倍近く全身が膨れ上がっていた。
「はーっはははは! 見ろ! これが証拠だッ! 六つ足は龍族にあらず!」
狂ったように叫んだのは巡礼服の男である。
両腕を後ろ手に縛られているため胸を反って叫んでいるが、そうでなければ両手を挙げて喜んでいただろう。
「貴様――貴様が何かしたのか! あれは何だ!」
白騎士団が男を詰問するが、男はまだら竜を見て嗤っている。
「龍神の恩寵を授けてやったのみよ。その結果があれよ、あの山羊や、白狼どもと同じ末路よ!」
「……月魔、か……!」
ようやく事態を察し、ネヒストが、カルードが呻く。
男の自白を信じるならば、今回の月魔の発生が全てこの男の仕業である。
「竜族が……月魔になるなど、ありえん……!」
聖殿騎士にも、魔物ハンターにも経験のない事態――しかし目の前で起こっている。
ネヒストが努めて冷静に問う。
「お主! 何ゆえ竜を月魔に変えた。何の目的も無いわけではなかろう」
男はネヒスト相手には会話に応じる。
「言ったはずだ……我々は龍人の眷属である、と。アヌン・メイダ様が入れ物となり、その救いの対象となるのも赤い髪の龍人族よ」
「アヌン……なんだと?」
タイレス族にはやや聞き取りの困難な発音である。
だが男は構わずに続ける。
「我等は視た……入れ物となる者が、アヌン・メイダ様と共にドロワに来たことを。しかしアヌン・メイダ様は去ってしまわれた……ゆえに我等に使命が下された。ビジョンとして……」
男は何を見るともなく彷徨う瞳で続ける。
「邪魔だてしたもの、この先もするもの……いずれも排除せねばならん……」
「誰かの命を狙うてのことか!」
ネヒストの問いに、男は他所を向いたままゆっくりと頷く。
「一人は銀の髪、今一人は金の瞳……手掛かりとなる名は『フェンリル』である、と……」
ネヒストはわずかに反応したが、男はもう独り言のように呟くのみだ。
「何者かはわからぬ……だが銀の髪の者は敵だ。タイレス族も然り。アヌン・メイダ様に仇なす者に相違ない……ゆえに……」
あとはぶつぶつと低く繰り返している。
「……馬鹿者が……!」
ネヒストは誰にいうともなく罵倒する。
男の標的が誰であれ、その方法と結果がこの惨状であるのなら、なんと意味のないことか。
ネヒストは一度は鞘に収めた剣を抜いた。
「ネヒスト!」
叫んだのはカルード。
まだフェルディナントに抱え込まれたままでいる。
(ガレアン殿……)
ネヒストは、カルードの必死の叫びの意味を理解している。
「『あれ』の対処は承知しており申す。あの時と同じ……それしか手がない」
そして周囲の顔を見ながら言う。
「自警団は離れられよ、我々は過去に一度遭遇している」
白騎士団は月魔竜を取り囲むように回り込んで剣を抜き、そうでない者は市民兵と、魔物ハンターをも後ろに下げようとした。
「ネヒスト殿! 月魔の様子が――!」
注意を促したのはフェルディナント。
ネヒストらが振り返る間も無く、パキリパキリと何かが砕ける音が響く。
みれば、月魔竜の背から一対の小ぶりな羽が伸びていく。
蝙蝠の羽のような、細い骨と薄い皮膜。ただその色は白く、さらに皮膜はガラスのように透けていて、それが開きながら割れて崩れていく。
月魔竜の体がふわりと浮く。
巨体が屋根の高さまで浮かび上がるもその羽は殆ど動いておらず、翼の揚力ではなく魔力の類が肉塊を浮揚させているように見える。
「あの竜……飛ぶのか……?」
誰となく我が目を疑い、呟く。
見た目は竜馬と同じ土竜に似ているが、まるで違う種族のようだ。
そして月魔竜はそこから自由落下し、地面にその身を叩き付ける。
石畳の地が揺れ、巻き起こった突風が白騎士たちを吹き飛ばそうとする。数歩這うようににじり、また浮いた。
月魔竜は何度も弾みながら、一直線に泉へと進んでいく。
目指す先に、捕縛されたままの巡礼服の男がいる。